爆笑問題のニッポンの教養

2009年10月18日 (日)

“『FILE086:「<私>探し」』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.10.06.O.A.
FILE086:「<私>探し」
を 見ました。

永井均(ながいひとし)
日本大学文理学部教授。

以下、番組内容。発言の内容が正しくないところもあると思いますが ご了承をば。


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日本大学 文理学部へ。
『子どもの頃から 不思議に思っている 何か哲学的な疑問 ありますか?』
という色紙を頂いたそうで。

先生の研究室へ。色紙の質問について、それこそ『人は何故生きるのか』みたいなことだろうか、と聞くと。

永井:「子どもの頃にある疑問を思ったわけです。それは どういうのかというと、いっぱい同じくらいの背格好の子どもがいるのに、その中で何でこいつが僕なんだろう と。」
他のヤツは僕じゃなくて全然違う 見える世界。動かす手足、殴られたりしたら痛いのは僕。

漠然と思ったのは幼稚園の頃だという先生。

身長171cm、体重63kg、好きな食べ物は カレー。プロフィールをいくら並べても、
私は何故 永井均なのか。
何故 私は永井均なのか。


太田:「他の友だちにちょっと言ってみたりしました?」
永井:「言ったんですけど、誰も分からないんです。意味が。何を言っているか。」
田中:「何で おれはおれで、お前はお前なの みたいな感じで言っても。」
永井:「そう 言っても。」
田中:「わかんないよね。ポカンとしちゃう。」

太田:「じゃあ友だちに理解されない――…ったら余計…」
永井:「そうそう。理解されちゃったらそこで終わっちゃったかも。あぁそうか そういう問題なのか。なんだみんなそう思ったのか。終わり。と。
    誰も分からないと、おれは不思議だと思っているのに、何でみんな分からないんだろう?っていう ここ大事ですよ。みんなが分からなかったものの中にさらに問題があるんじゃないかというふうに思ったわけですね。」
太田:「じゃあ1人で悩むしかないね。」

永井:「誰かのうちの1人が僕だ っていうこと、そういう問題じゃなくて、なんでその 僕とか私ってヤツが、他の人はみんな自分じゃないわけですけど、自分っていうヤツが何で存在しているのかと。
    だって いなくたっていいじゃないですか。人類が生まれて いっぱい 生物としての人類が生まれて 意識もあるけど 自分がいる必要はないのに。だって100年前までいなかったわけですね あるとき生じたわけじゃないですか。何で生じたのか っていうのはやっぱり不思議。」

生物学的、生理学的には脳が進化して とか進化論的に言うけど、脳が意識してとか そういうことばかり と永井氏。

太田:「周りばっかり説明する感じね。」
永井:「人間ができて、人間が心があったり
    ~…若い時、偉そうな人に いっぱい聞きました。けど、問題の意味が分かる人でも 答えがない。」

太田:「『我 思う』ってのはどうなんですか?」
永井:「デカルトですか。」

“デカルト:『我 思う、故に 我あり』”

永井:「森羅万象 全部幻で、他の人もいなくて、自分の記憶とか 自分の体も無くても、それでも 自分というものだけは、私ということだけは疑えない。
    あの、彼…デカルトは考えたわけですけど、そのことと、結局 僕が考えている 何で私 変な、例外的な っていうか 特殊なものがあるのか って考えたことは 究極的には同じ問題だったと思います。
    でも デカルトだってその…」
太田:「なぜ っていうことは」
永井:「そこの答えは無いんですね。そこが出発点になって、そこからなんか神の存在証明して色んな外界てか色々やっていくけど、そこに何故 起点が置かれるか っていうことに関しての説明は デカルトだってやっぱりないですね。」

太田:「デカルトは少なくとも、 自分である ってことでしかない っていう、そういうことは言ってんじゃん。」
永井:「言ってました。
    だからデカルトは僕と非常に似た 何かをとらえていた。一瞬ですけどね。デカルトの場合は」
太田:「一瞬?」

永井:「つまりその 私とは何か って時に、同じ思考実験みたいのをしたらば どんな人でも同じ結論に達する っていうふうに彼はすぐそのあと言うので 僕はそれはちょっと違うんじゃないかと。
    他の人には当てはまらない、自分だけ〈私〉だけっていう問題こそが この問題だ と思うので、一瞬だけはつかまえたけど、すぐに違う方向に。」
太田:「デカルト ズレちゃいましたか」(笑)

“『我 思う、故に 我あり』の 我 とは何だ?”

太田:「5歳くらいになると 大抵 僕なんかもそうですけど、死ぬのこわい とかって 漠然と思うわけですよね。で、直感のような気もするけど、そのある状況から、「じゃ おれは何?」っていうとこに行くことはある。」
永井:「ありますよね。死ぬ ってのは一つありますね その 死ぬってのは、他の人が死ぬことは見たり経験したりできるけど、自分が死ぬ っていうのは全く特別なことですね。」

永井:「まぁ言えば 世界がなくなっちゃう そう 終わっちゃうわけですから、それは他の一般的な死からは理解できないことだけども でも 理解するんですよね。で、その問題と、今 言ってる『私が』っていう問題とは ある種似てますよね。
    死 っていう問題 結局『私』の 死 っていうことで 『私』の死は 他の――…当たり前ですけど誰も経験したことがなくて、他の人の死しか経験してないですね。
    他の人の死っていうのは いわば世界の中で起こる出来事ですよね。でも〈私〉の死は 世界そのものが消えちゃう っていうか。いわばその舞台の中の出来事なんじゃなくて、舞台そのものがなくなる。スクリーンの中の出来事じゃなくて、スクリーンがなくなっちゃう。ま、無になっちゃう。」
田中:「死んだことを認識した人って いないわけじゃないですか」
永井:「いないですね。」

田中:「死にかけた は あるかもしれないけど。」
太田:「死後の世界に行った人はいるけどね」
田中:「まぁ 丹波(哲郎)さんとかね」
太田:「あれは完全に認識してますよ。」
田中:「いやいや。(笑) ま、そういう人はたまにいるけど。」


太田:「つい この前、臓器移植法って成立しましたよね。」
永井:「あぁ、はい。」
太田:「ま、法案に 賛成・反対はあるけども、ふと こう考えたことがあって、脳が機能しなくても 他が機能している場合 何か感じているような気がするんです。で、じゃ 心って 頭にあるの 胸にあるの って話になって。
    それで結構わかんなくなっちゃった感じがあって、やっぱりその いずれ我々はそれを解明… 人類はその心の居場所っていうのをおそらく追求していかざるをえないと思うのね。」

“〈私〉の心は どこにある”

太田:「今の時点では 暫定的に 脳死は人の死ってことになるわけですけども、それでもやっぱり ホントか ホントか っていう追究。その哲学的なことになっていきますよね。だんだん。
    で、それって “オズの魔法使い”っていう物語の中で、ドロシーが竜巻に巻き込まれて、オズの国へ行くと かかしとブリキのきこりとライオンと3人連れるわけですけど、かかしはオズに脳みそがないから脳がもらいたい って言うんですよ。ブリキのきこりは僕には心臓がない 心がないから心がほしい って言う。 で、その2人が言い合いするわけです。心なんか 心臓なんかあったって……ハートって書いてある。
    そんなものがあったところで、それを脳がなければ どう使うかわかんねぇじゃねぇか って言うわけです。すると ブリキの方は ロボットの方は、いや 脳なんかあったって 心臓がなければ幸福にはなれないんだ っていうやりとりがあって。
    本当の自分 っていうのは、ここ(頭)にあるか、ここ(胸)にあるか。」

永井:「~…
    …それはわかんないわけだから、そういう意味では 本当は絶対わかんないですね。どこで死ぬかなんて。」

太田:「そうするとでも、先生の最初の疑問 小学校の時に感じた疑問っていうのは、医学的に、生物学的にはすごくアプローチしてるわけじゃないですか。結局 自分はどこにある っていうのは、脳なのか心臓なのか体なのか それは選択しなきゃならない現状にまで来てるわけですよね。日本はずいぶんそれを先のばしにしてきたけども でも、それを医学的なアプローチが 逆に哲学的な先生の追究のヒントになる可能性があるわけですよね。」
永井:「いや ないですね。」
太田:「ない?」

永井:「つまり医学的研究ってのは どうやってしているのかと。生物学的に言ってね、脳と脳状態と心の状態の 対応付けをするわけですよね。脳科学的に言ったら いかなる死活であるかと。そうやって一番 極端な状態考えると、自分の脳を自分で研究することはできますよね。つまり 自分自身で脳と意識を見た場合、直接わかるわけですね。
    このとき これだと。名前つけなくていいんですよ これは痛いとか何とかじゃなくて、これのとき これ。あれのとき あれ ってやって自分の中で言葉なしで 概念なしでやるわけね。でも これのとき これ って言ったんじゃ何だかわかんない。
    つまりポイントは それぞれの人が実感するっていうことと 科学になるっていうことの間に 大きな飛躍があるわけですよ。 それは何やってるかって言うと、心と体のつながりじゃなくて 言語がやってるんですね。実は。で 大きなのは 実は 脳科学的研究とか あらゆる科学研究は 言語っていう媒介がきわめて大きいですね。」

太田:「言語化したときに ズレるっていうことでしょ。実感から そこが問題だってこと」
永井:「ま、ズレるって言ってもいいけど、ズレるっていうより そこで作られるんですね。新しい概念がね。」

田中:「ちょ ちょっと難しいんであれですけど、例えば この色は何ですか って言われて、「赤」「赤」「赤」って答えますよ。これ“赤”。 でも、実際どう見えてるか 誰もわからない。そういうことですか? ぶっちゃけて、こう 今の わかりやすく言うと。」
永井:「えーと」
田中:「要は もう 赤でいいじゃん。赤って」

永井:「ま、そうです。簡単に言えばそうで。
    あの、言い方を変えると、ま あれですよね。言語的に言うと この色が赤なんですよ。それで それぞれの人がこれをどう見てるかわからないっていう話は 言語的な、普通に話してる時には入ってこないですね。
    で、それぞれの人はどう見ているかわからない っていうふうに言ってもいいんだけど、でも その赤い本取ってくれ 黄色いのじゃなくて って言うと、僕が思ってる赤い本を必ず取ってくれるわけですね。で、どう見えるか関係ない。“彼にとってどう見えるか”ってことが そん中に入ってこないで 赤い本取ってくれるわけですね。
    そういうふうにできている以上 赤 っていう言語を使った我々の生活の中では 彼に、彼女に どう見えているかということが入ってこないんですね。その意味では機能を果たしている心の中身と 物の関係の研究は言語を使っては出来ない。」

太田:「そうすると先生の疑問で言うと、自分は何故 自分じゃなきゃいけないのか っていうのは 僕は逆に おれ 本当に自分で いれてるのかな と。」
永井:「いれる とは?」
太田:「自分という他者の影響を受けない 本当の純粋な自分であるのか。 おれは他人じゃないのか」
永井:「いやいやそこはね 僕はね 心配ないと思います。」
太田:「よかった~。」
(笑)


永井:「あの ちょっと 思考実験しますけど、例えばですね、自分とまったく同じ人がもう一人いたとしますね。全く同じ人。だから見掛けも同じだし中身も記憶とか。それも同じで で、経験も、経験も同じためには 分裂…ある時期まで一緒にやってたやつが2つに分かれる。すると経験も同じですね。で、今 分かれて、太田さんなら 太田さんが2人いると、」

永井:「2人いるから、2人いても中身 全く同じなんですね 中身も外も。でも それでも 根本的な違いはやっぱりあって、
    (…~それぞれを 別々に殴るとして、別の反応があって、それぞれの目から見ている世界も違うし、片方は手を挙げても、もう片方は手を挙げなかったり~…)
    生物として全く同じで 心理学的にも全く同じだったとしても、どちらが〈私〉であるかという違いは 全く それとは別にある。で、〈私〉の存在っていう問題はデカルトも言ったように、〈私〉の存在という問題は 他のものの存在と種類が違うんですね。
    存在ってのは 本当はその〈私〉の存在という そのレベルで考えるべきもんなんですね。 それでさっきの問題に関しては えー 完璧に安心できる。」
太田・田中: (笑)

永井:「安心 っていうのはつまり オリジナルっていうのが全くなくて」
田中:「あり得ない」
永井:「そうそう」

“私のコピーが100人いようとも 〈私〉は たったひとり”

永井:「でもね、逆に言うと、今のは同じ人間であっても 例え同じ人間であっても、〈私〉というのはどちらか一方っていう話だったんですけども 逆に言うと、同じ人間じゃなくてもいいことになりますね。〈私〉っていうのは そしたら。
    だから太田さんである〈私〉は 太田さんでなくてもいいですね。田中さんでもいいっていう。 つまり今から急に(太田さんが田中さんの目から)世界が見えて で、これが(田中氏を指して)痛い っていうのはどうですか?」
太田:「イヤです。」
永井:「(笑) ヤだけど そうなったらこれ(田中氏の体)が私になっちゃう。」

“田中である 〈私〉?”


太田:「なんて言うんですか、例えば右手を上げるだの、何かを見る 殴られる っていうのは、何かと関わった瞬間にオリジナルになるというか。世の中の起きてることを感じた瞬間に こいつがオリジナルになっていくとすると」
《画面上に矢印で田中氏を指し、“←こいつ=私” と表記》
太田:「つまり先生の最初の疑問で言うと、おれだけ何故おれなのか っていうのは 実は先生だけが おれ じゃなくて おれんとき と こいつ(田中氏)も先生も全部おれっていうことに…」
永井:「それ どういう意味で言ってます?」

太田:「この取り巻く世界は やっぱり全部自分でしかない」

永井:「それは仰る通りで、だからね 他のいっぱい人間がいて、こいつとこいつとこいつは同じなのに、なんでこいつがおれなのか っていうと、これはある意味全てなんですね。これは世界なんですね。これが。
    これは世界の中に出てきた 全く同じ―… 性質は同じものなのに、これは世界の中の一事物。これは世界そのものなんですね。これ全部なんです。全て。 森羅万象全部これなんですね。 という意味じゃ、これとこれは全く違うわけですね。」
太田:「そうですね。」

永井:「うん。それは同じものより全く種類が違うものができるってわけですね。で 私の存在の不思議なとこはまさにそれで、〈私〉であることによって、それこそが全てなんですね。
    全てであって、そのあらゆることは 私なんて時間的に短くて数十年から100年くらいしかないんだけど、にもかかわらず、大昔のことも 大未来のことも〈私〉がそう思っている あるいは 宇宙のことも全部〈私〉が思ってるわけで、〈私〉が一度も存在しなかったならば、世界も宇宙もないのと同じですからね。」

“我あり 故に 世界あり”

太田:「それぞれがそういう世界ですよね。」
永井:「そうですね。」
太田:「おそらく」
永井:「おそらく」
田中:「そうなんだよね」

永井:「すると そこがまた問題で、それぞれが っていうステップにどうやって行けるか っていうことですよね。
    つまり自分が そうだ というところから他の人もみんな同じだっていうことに行く ここがまた大きいステップで」
田中:「自分だけかもしんないけどね。本当にね。」
永井:「本当に自分だけ っていう可能性がありますね。」
田中:「ただの登場人物の可能性がある」


太田:「それぞれがそうだとすると もっと考えていくと 結局 先生が最初に思ったその 自分は何故 自分でなきゃいけないのか っていうことではなくて あの 自分は他人でもある ってことになる。」
永井:「いや 他人もまた自分。
    あのー、心ってのはそういう問題ですね。心とは何であるか っていう問題があるじゃないですか。それで あの ま、心って今の話で繋げれば 自分の心と他人の心 ありますね。あれ全然違いますね。 両方とも 心って同じ言葉で言われますね。
    これってなんでだろう って言えば、ある意味では不思議ですよね。こんなにも種類も性質も違うもので、つまり 自分の心はきわめてはっきり心はあるな とわかりますけど 他の人はわかんない。 物はもっとわかんない。物は一応ありそうな感じがしますよね。いくらこれ幻覚かもしれないとか何とか言ったって 多分ありそうじゃないですか。こういう物って。
    他人の心は本当に見えないから もしかしたらロボットかもしれないとか、もしかしたらゾンビかもしれない っていう可能性は本当にあるかもしれないよね。」

太田:「例えば 心っていうのは それこそさっき言ったように何かと関わって初めて いろいろ変化するような気がする。
    そうすると、オリジナル っていう話にこだわると、おれが先生とこうやって会話してると、おれが思うこと ってのはおれが予想できるんだけど、先生が思うこと ってのはおれは予想外なわけですよね。絶対に。
    じゃあ どっちがオリジナルなのかって、おれにとってのオリジナルは先生なんですよ。先生の言うことのほうが予想外だし 今まで考えたことないことが起こるわけだから。そうすると、おれのオリジナルはこっち(先生)だって思っちゃうわけね。
    で、そういうふうにたぶん関係がみんなあって つまり おれはおれだ じゃなくて、だって絶対その関係性から離れることは絶対にできないから。 ま それこそ ひとつ 死 っていうのは可能性はそこだけど、だとすれば生きてる限りみんなの合作なんじゃないかっていう気がするんだけどね。」

“あなたがいるから 私は〈私〉に気づく”

永井:「こういうのはどうですか。例えばね、これがね 夢だとするんですよ。夢だから僕が作ってるわけですね。それは全部自作なのに。自作であるにも関わらず、色んな人が色んなこと言うのは 全部その…夢ん中でも意外なこと言いますよね。」
太田・田中:(笑)

永井:「夢だから全部 自分が作っていて 自分の いわば 心の中なのにも関わらず、二重三重に自分の心以外のものがあって、そのものの中に さらに奥に他者の心っていうものがある…っていう構造を自分で造っちゃう。
    これがあるから そうだとするとですね、現実もそうなっていますよね。すると 現実と夢と どう違うのかと。逆にね。」
太田:「逆に記憶になっちゃうと、もう夢も現実も別にどうでもいいからね。」

永井:「どう違うかっていうと、まぁ ひょっとするとね――…これは一つのアイデアですけどね もしかしたら現実は、他の登場人物もいわば同じ夢を作っている主体で、向こうの夢でもある。
    田中さんや太田さんの夢でもあるっていうことを認めるみたいな ある種 根本的な社会契約みたいなもので そう根底的な社会契約を我々はやっていて、それはみんなで認めましょう っていうことが 現実の世界っていうものをね、構築している っていうか 成立させている っていうかね。」

“世界は62億の〈私〉という奇跡でできている。”

〈私〉がはじまるとき、
哲学がはじまる。


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“死”に関しての話はすごく興味深くて。
確かにそうなんですよね。別に5歳くらいとかでは無いんだけど、他人の死は“外の出来事”として考えるんですけど、自分の“死”を認識する っていうのは、よくわからないですし。
“<心>が” というか、今、こうして何かしら考えてたり、思ってたりする “意識”? みたいなものはどうなるんだろう。 というのはよく考えました。
例えば、死ぬ直前までの意識の中では、病気か何かの症状で『苦しい』という思いばかり続けていたものが、死んだらその意識はどうなるんだろう と。
いったん(?)途切れるのか、それとも『苦しい』という意識からいきなり解放されるんだろうか。
…とか考えたりして。
オズの魔法使いの例も面白かったです。
で、心がどこにあるか、頭か胸か。とか。言ってしまえば、脳なのか心臓なのか とか考えられがちなんですけど、これはあと“お腹”にも 心があるんじゃないかとか。
意見を言い合って、納得する時に『腑に落ちる』って言いますし。これは頭で理解するよりも深いところで“わかった”というふうに言われますし。
“心”というか、“神経”みたいな意味合いで、どのものにも、どの部分にも“心”があるとも言えると思いますし。
今回の話の中では、哲学的ゾンビについてとか、クオリアについてとか、上記のことは“<私>が何か”というよりか、“心の在り処”、心がどこにあるのか、ってことについての内容だった感じですが、
<私>という意識、考え…などはどう成立しているのか、どうして<私>という意識はこうなったのか、などは、結局 相対的に捉えるしかない感じで、まさに、
“あなたがいるから 私は〈私〉に気づく”
としか言えないんでしょうか。
けど、相対的ではない、“絶対的な意識(思考)の<私>”というものの根源はどうなんでしょう。相手の考えに批判的になったり、共感したりする反応の理由は…。
まぁ、ここでスピリチュアル的に言ってしまえば、“魂の記憶”がとか言ってしまえそうなんですが、だとしても、その経験をする前に至る経緯とかは…?
面白かったです。
こういうのホント個人的に好きですね。
永井先生の本も読んでみたいと思いましたよ。

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2009年10月 5日 (月)

“『FILE085:ハトはピカソがお好き?』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.09.15.O.A.
『FILE085:「ハトはピカソがお好き?」』を見ました。

渡辺茂(わたなべしげる)生物心理学。
慶応義塾大学文学部人間関係学系教授。

1950年に『イグノーベル賞』を受賞したという。

以下、番組内容。


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研究室へ。中に入っていき、学生の人からマウスの空間実験について説明を受けたり。
カゴから出して、丸く囲まれたとこにネズミを出す。その中からエサを求めていく ということだけど、始めは闇雲に動き回っているけれど、そのうち部屋に貼ってあるポスターなどから空間を学習し、エサまでまっすぐ辿り着けるようになる。とか。

別の部屋へ、また別の学生の人から。
学生:「セキセイインコの行動を4台のカメラで追っていて、どういう関係を作っていくか っていうのを…」

で、セキセイインコについて、
学生:「浮気するんですよ。」
太田:「鳥はだって 一夫一婦制だって言うね。」
学生:「それが定説だったんですけど 最近ちょっと…」
太田:「違うの!?」
そうしてカメラでインコの動きを見てるそうな。


部屋から出て、渡辺先生から「ハトとかカラスとか今日はお見せできなかったけと…」と続け、
渡辺:「色んな動物の実験をやってるんですね。」

そして渡辺先生が案内し また別の部屋へ。

《ナレーション》
:続いては世界で初めての試み。

渡辺:「脳を調べている所なんですよね。」

渡辺先生、ガラス瓶からピンセットで小さな脳を取り出す。マウスの脳だという。
そして次に ハトの脳、さらにカラスの脳と出していく。順に大きく、カラスの脳が一番大きい。

太田:「大脳がデカいほうが頭がいい?」
渡辺:「まぁ、一般的にはね」
そして脳を薄く切ります。と。

《ナレーション》
:カラスの脳を厚さ50ミクロンという極薄にスライス。染色液で染めて、顕微鏡で覗き、各 神経細胞の位置を割り出していった。そうして完成させたのが 世界初 『カラスの脳地図』。
 実はカラスの脳は思考や感情を司る大脳の中でも、複雑な情報処理を可能にする部分がよく発達していることを初めてつきとめた。

爆笑問題の2人は脳のスライスされたものを見ながら、ちょっと…気持ち悪いなぁ…と。

《ナレーション》
:これまで誰もやらなかった方法で 動物の心理を明らかにする。


別の部屋 応接室のような場所で話。イグノーベル賞を受賞した研究について。
『ハトに名画を見せること』

ハトがピカソの絵を見ている映像を見る。ピカソの絵が出ている時はモニターを突っついているけど、それがモネの絵になるとモニターを突っつかない。そしてピカソの時にエサを取る。

渡辺:「こういうふうにやって、モネとピカソの絵の区別がつく という実験。」

そこで太田氏より指摘があり、ピカソの絵とモネの絵の、今見ている絵を覚えているだけじゃないかと。しかし 渡辺先生よりピカソとモネの絵 ともに違う絵を見せてもピカソとモネの区別がつくという。
けど、晩年のばかり、と。

渡辺:「そうです。だから 青の時代とか あぁいうのは扱ってないです。あれはダメです。
    キュビスト時代のピカソとインプレッショニスト全盛期のモネです。」

《ナレーション》
:ハトがどうやって区別しているか。まず、(絵を)白黒にしてみた。しかし ハトはピカソとモネをちゃんと見分けた。色みではないと。今度は絵にモザイクをかけた。それでも見分けた。つまり輪郭の違いで絵を捉えているわけでもない。

渡辺:「いろんなものを手掛かりにして、総合的に判断しているんですね。」

続いて、
渡辺:「これ、子供の絵なんですけども…」
と、ディスプレイの左右、赤と青それぞれに5枚の絵がある。
渡辺:「どこが違うかわかりますか?」

それに田中氏が答える。
左の赤いのは上手な絵であろうと言われるもので、右の青いものは、ま、下手な絵であろうと言われるもの。

渡辺:「芸術的な問題はたとえ動物もわかるとは思いませんけども、こういう素朴画 子供の絵みたいなやつだと、『これが上手でこれが下手』っていうのはおそらく鳥にも出来るんじゃないか っていうんでやったんです。」
太田:「それで、できたんですか?」
(身を乗り出してディスプレイを見る)

渡辺:「それで、見たことのない絵を見せても判断できた。
    ひとつき…前に論文で発表して、いろんなところで反響があった研究です。
    ただね、これは区別がつくということであって、鑑賞しているということではない。絵を見て楽しむかどうかというのは別の問題なんです。僕らがこういうものを調べる時に二つのことをいつも気にします。
    『区別がつくか』それが『楽しいか』二つなんですね。で、楽しんでいるのがもうちょっとハッキリするのが音楽のほうなんですが。」

渡辺:「これはね、文鳥なんですけれども、曲がバッハの曲とシェーンベルクの曲が流れます。」

と、その映像を見る。バッハの曲は止まり木を飛び移り、エサを取りに行くが、シェーンベルクの時はエサを取りに行かない。


《ナレーション》
:シェーンベルクの音楽に不協和音が多いことではないかと 渡辺は考えた。
 そして不協和音の時は右の止まり木に、和音の時は左の止まり木に止まるよう訓練してみた。
 すると その通りの動きをしてみせた。


渡辺:「で、これは区別の実験なんですが、あの、今度 音楽に関しては『心地良いかどうか』という実験をやりました。それは こう止まり木が3つあって…」
 左がバッハ、右がシェーンベルク、真ん中が無音 という。そうするとバッハのとこにずっと居たそうな。
渡辺:「で、それだけだとあんまり面白くないんですが、他の動物で いろいろやったわけさ。
    で、ハトでやってみた。ダメなんですね。音楽の好みが出ません。区別はできましけど 好みはない。
    ネズミでやってみた。ネズミも音楽の区別がつくんですが、でも 好みが出てこない。で、金魚でもやった。金魚も音楽の区別が出来るんです。だけど好みは無いんです。 さぁそうなると、僕らと文鳥だけが持ってて、他の動物がダメなのは何故か というのが問題になる。
    複雑な音声コミュニケーションを覚えるっていう、そういう必要のある動物にとっては、ある種の聴覚刺激が心地よいってのは ものすごく有利に働くんですね。自分で聴いて 楽しいっていうんで どんどん練習できるわけですから。おそらく、ま、それが原因だろうと。」

《ナレーション》
 文鳥は歌声のようなさえずりで求愛する。だから音楽のセンスが磨かれたのだと、渡辺は考える。


太田:「先生はこういうのをやって、結局何を追及してるんですか?」
渡辺:「あのね、結局、心理学はヒトの研究をしますでしょ。ヒトの研究だけではわからない ヒトの側面があるんですね。それでいろんな動物で人間的なことをやらせてみる。」
太田:「心理学?」

渡辺:「心理学。『これは人間独自の機能だよね』って言われたことのある部分は動物で出来る っていうことが分かってる。逆に言うと、じゃあ残りが人間スペシフィックな これこそが人間の特性だっていうことが 段々明らかになっていくんですね。その一つが言語です。」

渡辺:「あの、チンパンジーに言葉を教えるっていうプロジェクトがずいぶんあったんですね。で、なぜチンパンジーがチンパンジーになっちゃって人にならないか。それはチンパンジーに育てられたから。 人の子供は人として育てられたら人になる。
    自分の子供とチンパンジーを一緒に育てたんですね。同じように扱って で喋るかといったら喋らない。それはのどの構造が喋れない。」


《ナレーション》
 生物心理学のヘイズ夫妻によって チンパンジーをヴィッキーと名付け、6年間育ててみたが、喋ったのは「パパ」「ママ」と この程度。


渡辺:「で、ようするに最後のアウトプットのところにだけ問題があるんだったら、『手話にしちゃったらどうだろう? のどを使わないで』というんで、ガードナーっていう人が手話を使うチンパンジーっていうのを訓練して……ですけど…、言語とはかなり違うということがわかってきました。
    というのは子供の言語の発達 見てきますと、最初はモノマネみたいなことやるんですが、段々ね、話が発展してるんですね。例えば、わんわん来たよ。わんわん来たよ。尻尾が長いね とか発展していくんですね。 ところが、
    チンパンジーたちの手話って それがなくて ほとんどが要求です。つまりエサを欲しいとか くすぐってとか 基本的に要求言語なんですね。
    それからやっぱり文法構成が貧弱ですね。要するに電報みたいなやつなんですよね。だから言語が人間の特徴であることは明らかなんですね。 ただし こういうのもあるんです。」

と、渡辺先生 ノートPCに再び映像を流す。
画面にはオウムと一人の女性。註釈として 『特殊な訓練により 簡単な会話をするようになったオウム「アレックス」』と。
そして女性が、皿に乗った黄色や緑のブロックを見せながら、
「グリーンのブロックはいくつある?」と、
オウムは「ツー(二つ)」と。

そして次に別の物を見せながら女性が「なんのオモチャ?」と聞く。
オウムは応えるも、女性は「違うわ」と。

VTRを見ながら 渡辺:「飽きてきちゃったんですね。」

女性は席を立ち、部屋から出ようとする。女性:「バイバイ」
オウム:「ごめんなさい(英語)」

VTRを見ながら 太田・田中:(笑)

オウム:「ここに来て」
    「ごめんなさい」
    「行っちゃうの?」

VTRを見ながら 太田:「かわいいな コイツ」

オウム:「僕、悪い子?」
女性、部屋に戻ってきて、
女性:「あなたは悪い子よ!!」
そしてまた女性とオウムが会話(?)をする。


太田:「どうなんだろうね これ 会話なの?」
渡辺:「訓練はかなり難しいんですけれども、あのくらい 僕らとのコミュニケーションは成り立つんです。」
田中:「あれは 分かってるんですか?」

渡辺:「文法の構造が分かっているわけじゃなくて それ」
田中:「パッケージとしてね。」
太田:「その感情になってる?」
渡辺:「えぇ」

太田:「うちの鳥もね わりと近いもの ありますよ。」
渡辺:「オウム飼ってらっしゃるんですか?」
太田:「オウムというか 大型インコなんですけど」
渡辺:「喋ります?」

太田:「やっぱりね、人が帰る時に「バイバーイ」って必ず言う。帰る時しか言わない。」
渡辺:「うん。分かってるんですね。この状況の時にこれを使う。」
田中:「おかえりなさい も?」
太田:「おかえりなさーい も 必ず。」

渡辺:「うん。で、こういうふうにその動物と人の異なる動物の間のコミュニケーションって 今みんなわりと一生懸命やってるんだよね。
    ですけども、それを オウムの中に僕らと同じような心がある、あるいは犬の中に同じような心がある ということではない。
    コミュニケーションが成り立つということと、中身が同じ ということはちょっと違って。そこを誤解してしまうと、昔 擬人主義 って言ったんだけど、人に擬して動物を考える って そういうふうになってしまうんで、そこは気を付けなきゃいけないんですけども。」


《ナレーション》
 動物と、取り敢えず喋ることはできる。
でも、だからとい

って 彼らの心が理解出来ているわけではない。私たちは動物と本当に分かり合える日はくるのか。


太田:「ウチに猿回しの 太郎次郎っていう芸人がいて、ちょっと前に結婚したんですけど。その飼ってる次郎がね、そのカミさんだけは 絶対に キーッ!! ってやるわけですよ。」
渡辺:「そう。」
太田:「嫉妬 っていうんですかね。」
渡辺:「えぇえぇ。それはわりと社会性のある動物は多いですよね。」

太田:「愛情っていうのは やっぱり我々と同じようにありますよね。」
渡辺:「そうですね 愛情……アタッチメント 執着する っていうのはすごくありますね。」

太田:「逆に動物……犬、猫なんかは 死 っていうのはどうとらえている?」
渡辺:「それはまた別な問題ですけどね。あの―…死んだ動物を、死体を持ち歩くってのは 結構サルなんかありますよね。」
太田:「あれ見てて、かわいそうだな って思いますけど、でも別にアイツ おれたちが思うほど そうじゃねぇな っていう目はしてる。」
田中:「目なの!?」
渡辺:(笑)

太田:「普通に物理的に持ってるみたいなことで、死への恐怖みたいな…要するに一番大きいところっていうのは その心理的のね、動物と人間の一番大きい違いって、死を恐れるかどうか っていう感じがするんですよ。」
渡辺:「うん。それ人間固有かどうかは分からないんですが、あの やっぱり 脳内の機構として かなり あることはあるんですよね。死への恐怖って。
    逆にね、あの、臨死体験をした人が、「死ぬのが怖くなくなった」って言うんですね。「あれなら非常に気持ちいいか」 ってことは 逆に言うと、
    それをやっていない人は どういうことが起きるか分からないから ものすごく怖いですよね。死ぬ時ね どうなるか キリスト教の場合はキリスト―…… 僕らの場合は 三途の川とかね。そういう文化に調整があるんですけども、脳の中に死ぬ間際に「こういうふうな感じになる」っていうのは、どこか組み込まれているらしいんですよ。それが いつ どういうふうに組み込まれているかわかんないんですけどね。」

太田:「でも動物は? なんかね そこが不感症なんだよ動物たちは。」


太田:「あの―…だから こないだ…
    土浦連続殺人の犯人の公判があって、あいつはまったく ホントにやりとり聞いてると 人間の命ってのは「人間は蚊を殺すことと同じです」って言ってるんですよ。で 要するに ライオンが獲物を食べる時に相手に悪いと思いますか って、それと同じですよ 要は、ってわけね。
    確かにそれは でも、おれはね、あ、動物はそういう意味で言うと、面白いも つまらないも 相手が死ぬこともすごくクールでいるように見える。
    その代わり愛情はあるのに、愛情も想像力も動物はおそらく持っているのにもかかわらず、その 死 っていうことに対するドライさ っていうのは なんか おれにはその動物を見ていて違和感ですよね。そこが動物と人間の決定的な違いであって あの犯人が言う、「僕とライオンは一緒です」って言ってるところは そこでおれの中で繋がる。」
田中:「なんか繋がっちゃうね」

渡辺:「そこは難しいところですね。向こうの 言語的な 当人の解釈したものを僕らは聞いてるので 本当は何か っていうのはなかなか再解釈していかないとわからないので ちょっと難しいところはありますね。」

太田:「難しいですね そこはだからおれなりに解釈するしかない。コイツだから ホントに…なんか子供の頃 子供の頃かなんかわかんないけどとにかくその、家庭で あー 楽しい とかって思ってないとしか思えないんだよね。
    で、逆に言うと、思ってたらそれが悲しいっていうのがわかるんだけど…でも だからそこがね…」

渡辺:「喪失に対する恐怖っていうのが ないんですね まったくね。」
太田:「犬だって わーって喜ぶくせに 死に対して なんかドライだろお前…」
田中:「たぶん 先のことを やっぱり 想像するっていうのができない だから 今は楽しい 現在はあれだけど 今、こうやって楽しいけど、2年後にはおれ死んでいるかもしれない っていう 想像することは出来てない っていうことだよね」

太田:「なんでそこだけ出来ない… だって ずーっと寂しくても、帰ってこないかなーって待ってることは出来るわけでしょ。」
渡辺:「でも、それは量的な違いだと思うんですよね。」
太田:「うん…」

渡辺:「近い、短い量だったら 僕らでも動物でも恐らく同じだと思うんですけれども 明日の明後日くらいは。でも 一年先、二年先 自分が「老衰した時に…」とかっていうのはないんだと思う。」

太田:「ま、でも おれたちより野生なのに、なんでそれだけわかんないの そんだけ生きて死ぬっていう ね。現場に我々より いて、目の前でね、サバンナでシマウマ死ぬとこ見て育ってるわけでしょ。あいつら なんでそこに無関心でいられるの 不思議だよ…(笑)
    なんつーかな…」
田中:「やっぱ 先を考えてるっていうことが想像できないってことだね。動物がね その しづらい。」

渡辺:「それを考えることによって その 動物が進化する上で 役に立ったかっていうと あんまり役に立ってないと思うんですよね。」
太田:「おー…」
渡辺:「あの 動物の進化っていうのは結局は子供をたくさん作るっていうことですからね。いつも死のことを考えているオスが たくさんのメスを獲得できるかっていうと 多少ニヒルでいいかと思うかもしれないけれども まぁ、陽気なほうがいいんじゃないですか。」
太田:「っははははは!(笑)」
田中:「ホントそう!ホントそうですよ。」
太田:「そうかぁ? そうかね?」


“一緒にいても違う世界に生きている
 でも、どこかに通じる道はある。”


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ネズミの、空間察知能力というか、エサまでの辿り着き方というか。前、NHKスペシャルで男と女の違いについて地図の読み方やってた時に、近い感じというか。
ネズミが人間に近いような空間察知能力を持ってるってコトなんですかね。
チンパンジーが喋れないのは、のどの構造上無理、ってコトは オウムとかは喋れる構造ののどをしていると。
で、文法構成はともかく『要求言語』って、人間もそういうのが多く見られることがあるような。相手のコトを考えるっていうことをせずに、どこか相互関係がインスタントで、『子供を増やすことが進化』とか、なんか…ねぇ。
あれが欲しい、これが欲しい、こうしてほしいとか。そういうのばっかりな人間ばかりの中で、ワガママになっていって、それが当たり前になって『要求』できない人が、『要求』することを我慢してネガティブなほうに行ったりとしたら もう…ってこれは考えすぎか。
『先のことを考える』コトについては、最近ほぼ日で糸井さんが今日のダーリンで書いてらしたような気がしたけど、なんだったっけ…。
土浦の犯人の話に絡ませて、楽しいを感じるコトと、悲しいと感じるコトについてありましたけど、喜怒哀楽はそれぞれ感じてこそ、それぞれの感情に浸れると。
喜怒哀楽を全て感じるからこそ、だから“強く”なれるんだろうね。
『温室で育つ花は冷たい雨を知らない』(Ruvie : nameless song より) では良くないですからね。
ところでHPの爆笑問題の対戦感想に、太田さんのコメントで、
『逆に人間は、動物と会話が出来たら、当然動物をもっと殺せなくなるだろうし、ウシとかブタでも食うことが出来なくなるだろうけれども、動物の側はそうでもないんじゃないかなっていう気がする。』
これは あるでしょうね。
ウシとブタが会話できるようになったらどうなる…っていうか、肉食動物(ライオンとか)と草食動物(シマウマとか)が会話できるようになったら、ライオンはシマウマの話を聞けても殺すのかな。食べるために。生きるために。
だけど、ライオン同士は殺し合いしないですよね。(ゴメン 知らないけどさ)
お互いに喋れる人間同士が、動物の種類としては同じ“人間”同士でも殺したりするのは、他の人間以外の動物の殺す理由とは全然違ってきますよね。
いつも死のことばっか考えてるより、陽気なほうが良いとは思いますけど。ま、それだけばっかでもなぁ、とも思いますが。
異なる生物同士がコミュニケーションすることが最終的にどこへ行き着くんでしょうかね。
そして次回、つか明日の放送は 永井均先生 哲学ですよ!
野矢先生、木田先生に次いで3人目の哲学の先生。
「他者とのかかわりの中にしか<私>は存在しないのでは?」という発言がHPの次回予告のとこにありますけど、どう展開していくのか。楽しみです!

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2009年9月20日 (日)

“『FILE084:21世紀 マンガノチカラ』を見た。 ”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.09.08.O.A.
『FILE084:21世紀 マンガノチカラ』を見ました。

対談相手は 浦沢直樹先生。

以下、番組内容。↓


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オープニングは移動中の車の中から。

田中:「僕なんか 20世紀少年とか大好きです。MONSTERも読みましたしね。」


   表現者
爆笑問題×浦沢直樹


浦沢先生の仕事場へ。
20世紀少年 番外編の作業中の原稿を覗きこんでいく。

田中:「これは 皆さんの役割は違うんですか?」
浦沢:「得意なジャンルがあるよね。
    自然物が得意とか 建物が得意とか。得手、不得手はあるけど。」

本棚にある 昔のファッション雑誌とか 手塚プロから貰ったという ブラックジャックの豆本とか 色んな漫画家さんのサインの入ったカードとか見せてもらったり。


浦沢:「みんなに描いた原稿 こうして渡す時にね ほとんど下書きの線が見えないヤツがあるの。それは なんでかっていうと、鉛筆のこういう段階でもうミスの線がないわけ。下書きの迷い線がない。そういう時がたまにあるんですよ。」
田中:「ゾーンに入ったようなものですね。」

浦沢:「そうすると 頭に思った映像が どんどん どんどん右手を伝わって出てくるんですよ。そうやって ぐーっと描いてるんだけど
    わわわわわ すごいすごいすごいすごい って思ったら、翌日ものすごい具合が悪くなったりする。だからもう限界がピリピリきちゃってるのね。
    あと 肩 壊しちゃったり。」
太田:「肩 壊しちゃったり。(笑)」
田中:「肩 壊すって すごいですよね。」
浦沢:「この右手を自由に動かすために ここ(胸~左肩)を固めてるんで。で ここ(左肩)の ガクん って脱臼しちゃったの。」
田中:「脱臼…。」

浦沢:「そういう時にね、ま~…良い絵が次から次から出る出る。で 危ないの。」

太田:「これ 例えば 別に漫画にこだわらなくてもいいわけじゃないですか もう 先生ぐらいになると。」
浦沢:「いや~僕の得意技は漫画だな。今 ここまで 僕 漫画26年目ですけど、まだ 色々極意みたいなものが少しずつわかりつつある。そういうようなものを使って ぶんぶん無茶して振り回しても これだったら出来る ってのがわかってきたわけですね。」
(太田氏 うなずきながら聞く)


20世紀少年 の話。

浦沢:「あれはね ちょっと面白く描きすぎちゃった 犯人捜しをね。」
太田:(笑)
田中:「覆面してんですよ 先生」
太田:「正直 色々言われたでしょ」
浦沢:「ううん たまたま会った人が良い人だったから」

太田:「おれ別に悪いことだからって言うんじゃないのよ。そこまでやっぱり物議を醸し出すっていうことがあの作品の力だと思うんだけど。」

田中氏、雑誌の企画で“ともだちバッヂ 当たります”というのに送ったという。
太田:「ちょっと 社会現象ですよね これは」

浦沢:「なんかね そういう時代の要請みたいなものは絶対にあるんですね。」

太田:「だから そうすると おれはあの それこそ20世紀少年 ともだちのあいつがやろうとした ま、ある種 オウムの麻原がやろうとしたことに近いかもしれない。
    これ全部ナシ もっ回 オレが元祖になる っていう ふうに思いたくなる。」

浦沢:「だからね、“ともだち”の気持ちが一番分かる って言ってる人がすごく多い」
田中:「あぁ そうですか」
浦沢:「そういう気持ちなんでしょうね。
    とりあえず、ま、チャラにして、イチからやれば オレがいわゆる あこがれのもの あこがれのあれになれる」

太田:「あの結末に関しては結論付けてほしいんだよね。」
浦沢:「結論付けたけど 駄目だった?」
太田:「駄目だよ あれじゃあ」
(笑)
太田:「あれじゃあ駄目だよなぁ」
どうなんだ?と 太田氏 近くにいたアシスタントの人に振る。そして『血のおおみそか』で終わっといた方が良かったんじゃないか と。

浦沢:「そういうやり方もあるんだけど、そっちの方がブーイングが大きくなると思うよ。」
太田:「そうかなぁ。 あの結末に向かっていたんですか 最初から」

浦沢:「最初に思い付いたことを描いたんです。」
田中:「それすごいですよね。」
浦沢:「イメージが出来上がってるんですよ。」
太田:「へぇー…」
浦沢:「その終わりに向けて描いてるんです。描き始めた時から」

太田:「変わることはないんです?途中で」
浦沢:「ある地点まで行ってみたら 思いがけない風景が広がってることはよくある。」
太田:「あぁーなるほどね」
浦沢:「も 一回 考え直して 考え直して やっぱり最初に思い付いたことの方がいいな っていう感じで大体いきますよ。」


『現代の映像 マンガ1969』の映像に。

浦沢氏は23歳で漫画家デビュー。当時ヒットしていたマンガといえば

『Dr.スランプ』
『キン肉マン』
『タッチ』
『キャプテン翼』

田中:「23歳で漫画家デビュー っていうことは それまで学生の頃とかも 漫画家になりたくてなりたくて ずーっと描いてた…」
浦沢:「や、なりたく―…(漫画家に)なりたい気持ちはなかったです。」
田中:「なかった?」
浦沢:「うん。あの なんでなりたくなかったのか っていうとね、好きな漫画が大体売れてない漫画なの。」
田中:「好きな漫画売れてないんですか?」

浦沢:「大体売れてない漫画。
    そうすると自分もその道に入っていくと きっとこういう売れないもの作っちゃうだろうな っていうのがあって。何となく こう 不幸が待ってあるような感じがして。」
太田:「どういう漫画が好きだったんですか。その売れない漫画」

浦沢:「永島慎二さんって知ってます?『フーテン』とか、『漫画家残酷物語』とかね。あとね 山上たつひこさんのね『がきデカ』を描く前のね、」
太田:「描く前の!?」
浦沢:「うん。『光る風』ですよ。こっれが 問題作。 近未来~えー…いわゆる軍事政権ものみたいな。」
太田:「ほぉ~ そんなのあったんですか」
田中:「どういう作品だったんですか?ギャグでも何でもなく」
浦沢:「すーんごい 暗い。ちょっと今 読んでもね 衝撃が強すぎる うん。」


太田:「それは やっぱり―…やっぱり 手塚作品が元にあって、それに対してマニアックな っていう感じで好きになったんですか」
浦沢:「手塚作品っていうのは もともとそういう(マニアックな)ものを内包しているものだ。
    で、本来 手塚という人間の持っている、マイナー性みたいなものを飛び越えた メジャーなものになっちゃったんで。」

田中:「じゃあ あんまり 漫画家も違うかな と。何になろうと思ったんですか?」
浦沢:「で僕 編集者になろうと思って。 編集者の試験を受けようと思った時に、原稿を一緒に持っていったんですよ。
    その それは別に なりたいじゃなくて プロの編集者という人が、これを見て何と言うかな っていう。
太田:「あぁ~」
田中:「そこに興味があったということですね。」

浦沢:「ったら、思ったとーりのことを言ったんですよ。
    あの、まず 君の作品は 奇をてらいすぎてる。それで、あぁやっぱりメジャーの出版社ってそうなんだな って 思って
    立ち上がって行こうとしたら ビッグコミックオリジナルの編集長になる 林さん って方が通りかかって パラパラって見て、これ サンデーじゃない。ビッグ いこう。ビッグ って。
    で ビッグ 連れて行かれて それで そこで いいじゃん って言われて、そっちが―…メジャーな小学館が僕の作品を見て、いいじゃんって言う方が意外だった。」

太田:「ガロとかなら」
浦沢:「そうそう そうそう。ヘタすると そっち行っちゃうんで、どう考えても貧乏が待ってる。」
田中:「ははははは!」
太田:「蛭子さんとかよく描いてたな」
浦沢:「蛭子さん収入源は競艇だから」
(笑)


田中:「それで じゃあ そのまんま漫画家…」
浦沢:「それで 新人賞 出してみないかって言われて で、出したら入選取っちゃった。」
太田:「もしかしたら 時代が、先生が思ってたマニアックだと思ってたのが 今やもうメジャーになってんのかもしれないね。」

浦沢:「(時代の)変わり目ではあった。
    あの、大友克洋っていう人間が出現してきて 時代が ぐーっと変わりだしてるところで だから 僕みたいな青年がいっぱいいたにはいたんです。
    それをメジャーがこう 吸収しようとしてる時代ではあったんですね。」


次に“PLUTO”について。
浦沢:「中学の時な火の鳥を読んだ。そうしたらねぇ、びっくりしちゃったの。なんだこれ。読み終わった時に 縁側でずっとこう ボーッとしてたら 夕暮れになってたの。昼間読んでて。
    こんなすごいものを描く人が世の中にいるんだと。」

田中:「手塚治虫さんの―…あの、昔のね こないだドキュメンタリで我々も見させてもらったりして、
    当時の考えられないじゃん 週刊で何本もやって、月刊も。」
(画面には“NHK特集「手塚治虫 創作の秘密」(1986年より)”)
太田:「手塚さんは異常ですよ。プラス アニメやってるからね。」
田中:「あぁいうのって 何なんですか その アシスタントさんがいるとかいないとかの問題じゃ…」
太田:「異常」
浦沢:「あの人も相当 自分で描いてましたよ。」
太田:「自分で描いてた。車ん中で描いてんのも」

浦沢:「あれはもう 完ッ全に負けず嫌いですね。あとは 自分が一番面白いっていう、その なんだろう…そのプライドね。これはすごいですよ。」

田中:「まぁそれは どの世界にも、例えば お笑いだってそうじゃん 自分が一番面白いと思って―…。」
太田:「おれなんか、こう お笑いをやってると どうしても ビートたけし という人が ま、おれらデビュー当時ツービート似てるねなんて よく言われて ま、それはそうなんです。影響もろ受けてるわけですから。
    で、発言や何かっていうのは どうしても亜流になっちゃう自分がいて すごく嫌なわけですよね。嫌だけども そっから抜けられない っていうのはそれがキッカケになっちゃってるから で、アイツ早く死んでくんねぇかな とかっていう」
田中:「ははははは!」
太田:「…っていうことをラジオで言ってまた問題になったりするんですけど なんか…正直いなけりゃ…でも、いなきゃ今のおれはいないんだけど、どうすりゃいいのよ これ、っていう いつまで経ってもね その人になれないっていうか それを覆せないと、おれ やってる意味ないじゃん って思ったりして すごく空しくなったりするんですけど。
    漫画界にとっては手塚治虫 ってまさにその位置にいるわけじゃないですか。」

浦沢:「僕もそんな、随分悩んだことあるんですよ。いや、本当―…何やっても それこそね、あの、これは新しいなと思って描いてみるんですね。それでたまに手塚先生のを パッと見ると うわっ ここに描いてある って そればっかりなんです。」
田中:「それは辛い」
太田:「それはもしかしたら 何か物を作ろうっていう 思ってる人は ずーっとたぶん…」
浦沢:「ジレンマ」
太田:「ジレンマでー宿命…」
浦沢:「御釈迦様の手の中で孫悟空が飛んでいる。あぁいう感じですよね。
    そしたらさ、あの、ローリングストーンズのギターのキース・リチャーズがさ、彼が『自分が死んだら墓碑銘に、過去の遺産を未来に語り継いだ男と刻んでくれと。自分のやったことはそのぐらいだ』って言ってて、ああこのスタンスはかっこいいわって思ったわけ。」

太田:「そうだろうね。多分手塚さんも、誰かから学んでいるわけだし。」
浦沢:「超えられないわって思った段階で、あるちゃんと真理が分かっているんです。自分は究極の芸のようなものはなかなか出せないけれども、こんなのだよ、だったよっていうのをとにかく今の若い世代に語り継ぐっていうぐらいしか出来ないだろうと。」
太田:「まあそうなんでしょうけど。」
浦沢:「もしでもそれが出来たら、それはそれですごいもん。」
太田:「まあ語り継ぐことが出来たらね。」

太田:「やっぱりさ、もの足りなくなるんじゃないか っていう気がするんだよね。このジャンル」
浦沢:「漫画?」
太田:「うん」
浦沢:「あぁそっか もの足りなくなっていないのはすごいね考えてみたら。」
田中:「だって絵が(BILLY BAT読みながら。)」
太田:「いや、絵はいいのは分かってる。こいつら(アシスタント)が描いてるから」
(笑)

太田:「おれは世間から言われるのは 本当はお前 漫才師だろう って言われるわけです。
    ところが みんなが思ってるほど漫才を好きじゃないんですよね。で、漫才でやれることなんて ホントに ま、そりゃ そこだけ本腰入れたらどんだけのことができるか そりゃ試してませんけど。それでやろうと思わないわけですよね。ましてや こういう番組での表現と こういう対談とか あるいは じゃあ文章書く、ラジオでやる、いちいちここにこだわって じゃあ他を捨てるかっていうと それももったいないような気がするわけですよね。
    だから、先生ぐらいになると 色々な発想が出るわけじゃない そうすると、ま、アニメっていうのは近いとこにありますよね。手塚さんはアニメ行った 何か もう この 単行本や雑誌っていうところじゃあもうちょっとこう…」

浦沢:「あのね、映像に乗り出すと 出世魚にみたいに言われることあるじゃん。なんかさ 映画に進出だとか 進出って言うな 漫画でいいじゃんって思っちゃう。あたかも映像に行くのが ステップアップ…」
太田:「上のような」
田中:「勝手に“アップ”にしちゃう」
浦沢:「何か違うと思うな」

浦沢:「ちょっと違う話になるかもしんないけどさ、こう ものを考える時に こう、じーっと これ解けた あれ解けた これ以上考えて この次 隣行くと おれ 頭おかしくなるんじゃないか って思ったこと ない?」
太田 :「んとね、そこまで行きたいとは思うけれども、なったことはないね。で、もし そう思ったら行っちゃう。」
浦沢:「行ってみる?」
太田:「絶対 行っちゃうよ(銃声音(放送禁止用語))」
浦沢:(爆笑)
田中:「太田さん?」

太田:「抑えるわけですか?」
浦沢:「ここ行かないでおこう ってなる時があるんだ。」
太田:「おれ もしそこまで行ったら 行っちゃうな。」
田中:「それはでも わかんないもんね。どうなっちゃうかね。」
太田:「どうなったって いいんだよ 地球が滅亡しようが」
浦沢:「はははは」(笑)

太田:「いいじゃない だって それをやるためにいるんでしょ。」
浦沢:「もしかすると、僕がお茶の間的に受けるのって そこでハンドルを切るからかもしれないね。」
太田:「まぁ それは自分はすごいとこ行った っつっても世間的には なんじゃこりゃあっていうのはありがちなことだからね。 そうなっちゃったらつまんないよね。」

浦沢:「でもさぁ、ギリギリのハンドルプレーはみんな見たいわけよ。」
太田・田中:「うんうん」
浦沢:「あぶなーい っていうね。そのままドーンって行っちゃうか行かないかの問題」
田中:「だから2つあるんだろうね。サザエさんみたいに絶対安全運転。サザエさん的な あれはあれで人気があるわけだよ。それと、コーナー攻めてギリギリのところ行くのと両方人気があるよね。」

浦沢:「だから じゃあ 僕の面白いと思っているものを いかに本当に面白いんだっていうふうに世に届けるには どういう努力をすればいいのか。
    僕の好きなものは売れてない。売れてないから きっと僕がやったら また その売れない漫画家が一人増えるだけになっちゃう っていうのに対して、それを繰り返してたらいかん って思ったところが “ある”。その悪戦苦闘なんですよ。今までやってきたのは。」


“漫画って何だ?”
浦沢:「僕は芸術だと思ってる。だけど 世の中的に芸術扱いされたくはない。」
太田:「うん わかります。」
浦沢:「で、世の中から芸術扱いされると、なんか お高いところに祭り上げられるだけで、なんか そこにおいしいことは ない。
    だったら世の中としては相変わらず、たかが漫画と言ってもらっている方がいい。僕は芸術って思っているから。そのぐらいの位置関係がね。

田中:「東京藝術大学に漫画専科って やって すごい なんかまた崇高なものみたいになったら 全然 漫画じゃなくなっちゃう。」

浦沢:「いわゆるだから漫画の殿堂ってヤツも、僕は芸術を作ってるつもりだから 117億円かけて どんどん作ってもらって構いません っていうのは僕の内心なんですよ。
    だけども、日本漫画っていうのは もうどうしようもないぐらいのギャグがいっぱいある。ものすごいエログロナンセンス エロチックなもの それらを並べないのは 日本の漫画の殿堂ではない。そのナンセンスさが もし起きたら とってもおかしいんだけど」
太田:(笑)
田中:「よくわかりますね それ」

太田:「そうすると 手塚さんが前インタビューで、漫画っていうのはもっとストリートのものじゃないといけないんですよ――って言ってて もっと批判して下さい って言ってたんだけど
    日本で今 誇れるのは漫画しかありません なんて言ってるわけだから そうなっちゃったらそのジャンルって やっぱりちょっと 危ないっちゃ 危ないんですよね。」

浦沢:「サブカルチャーがサブで無くなる っていうのは繰り返し行われているわけでしょ。それこそあれですよ 爆笑問題だって実はサブカルチャーだった。
    それが さ、メインになってる。で、たけし ってのも あれだって浅草の芸人がメインに行ったわけだ。だからそういうことが繰り返されて こう サブがメイン、サブがメインってだから もう一回 だからサブが―。
    もし 僕らがメインであるならば、サブがそれに乗っかってこなくちゃいけない。爆笑問題 太田にサブが乗っかってこなくちゃいけない。でしょ? でも 今一番メインでいる太田が一番サブっぽいっていうのがこれが困ったことで。」
田中:「あははは!」
太田:(苦笑)

浦沢:「ね。漫画でも、浦沢がメインにいるのがなんとなくやりづらいんだと思うの。本当はサブの人間だから。 きっと困ってるよ。なんかコイツらがメインっぽくいると ジャマ!みたいな感じ。(笑)」
太田:「それはそうかもしれないね。」
浦沢:「絶対 僕はサブだもん。」
太田:「そうか…おれはもっとメインに行きたいんだけどね。」
浦沢:「(笑) だったらもっと発言に注意しなきゃ。」
(笑)


田中:「例えばその若手の新しい…この人たちね」
太田:「第2、第3の浦沢直樹が…」
浦沢:「第2、第3じゃなくて、全く別ジャンルの 別ジャンルの… 見たこともない、読みづらいな とか 僕らがさ、読めねぇーわ これ っていうものが 若者たちが キャーキャー言って読んでるみたいな そういうことになるんじゃないか。
    例えばエルビスプレスリーが出てきた時に 腰を振ったっていうだけで その腰から下 映しちゃダメっていうくらいね。そういうことで こう革命が起きて その、ものすごく ある世代は わーっと付いていくけど、もう ある世代は見ちゃらんない っていうふうになる それが起きて次にバトンタッチしていかないといけないのかもしれないね。」

田中:「むしろそういうのが 最近ないのかもしれないね。逆に。」
浦沢:「そうですね。
    手塚先生が生前によく言ってらしたのは 紙をめくってコマ割りがこうなっているのは自分が作ったフォーマットだから これを壊してくれないと って言っているんですよ。巻物とか。ヤダ 巻物の漫画なんて描きたくねぇや って思ったんだけど。」(笑)
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色々抜粋しながら感想。
“浦沢:「だからね、“ともだち”の気持ちが一番分かる って言ってる人がすごく多い」”
これはありますよね。
ただ、共感はあれど実際するか って言ったら、勇気が無いからとか、それでも希望があるから。とか。
20世紀少年 に関しては、完結した時に あるサイトで、
“『友達の友達は 友達ではない』ってコトを言おうとしたんじゃないか”って言う感想を見て、興味深いな と思ったワケで。
ま、一方で『友達100人できるかな(とよ田みのる 著)』では、愛情を 友達をつくるコトで示していたり。
コミュニケーションの屈折したものとか、根本はそれなんでしょうかね。
個人的に今回気になったのは、太田さんのこのセリフで、
“太田:「おれは世間から言われるのは 本当はお前 漫才師だろう って言われるわけです。
    ところが みんなが思ってるほど漫才を好きじゃないんですよね。~(中略)~ あるいは じゃあ文章書く、ラジオでやる、いちいちここにこだわって じゃあ他を捨てるかっていうと それももったいないような気がするわけですよね。」” で。
じゃあなんで、その表現手段を取ろうと思ったのか。漫才でも、漫画でも。
浦沢先生にしてみたら、好きだから とか、長年やってきたから とかで、「得意技は漫画」だと言っているんだろうと思うけど。
悪戦苦闘してでも面白いものを描かないと、好きな漫画はマニアックで売れないから貧乏になる。っていう。
けど、太田さんは、表現手段はなんでもいい。
っていうか、今回の回からだと『漫才は別に…』みたいな感じのようで。
面白ければいい。で、みんながワーッとしてくれたらいい。っていうのが太田さんだと思うし。
ま、太田さんじゃなくても、藝大SPの時の学生さんの言葉を表して言った、菊池先生の、
“「社会の中でどうやって消費されるかの方がかなりでっかい問題」”っていう これで。
自分が表現したいものが、ある手段を通して伝わらなかったら、 手段を変えるのか、表現を工夫・推敲するのか。そして どう自己プロデュースするか。
私自身のコトで言うと、やりたいコト、言いたいコトがあるから、書いたり、描いたりっていう手段を問わずに表現してみたい って思うんだけど。
この点、昨日たまたま友人と喋ってて、そいつは「描くという手段が好きだから」と。「メッセージとか思いつかないし」と。
私とは逆だったんですね。
どっちが良かれでは無いんだけどね。最終的にはどっちにしても、『社会で消費』されてくれないと不満だと思うんで。その為に努力するベクトルが どっちなのかっていう。
藝大の時のと絡めれば、絵画とかやってても『社会で消費』されにくいものだと思うので、結局は学長の言う『在り方』になるのかもしれませんが。
最後に浦沢先生が巻物にどうこうとか、漫画のフォーマットについて話してらしたのですが、それは なんだろ、井上雄彦先生が、黒板に漫画を描くとかそういうコトでもあるのかな。
ま、これは井上雄彦先生だから注目を集められたコトだと思うので(前回の教授の時の、音の無い曲みたいな)、最初は基本のコトをしっかりやって実績作って『社会で消費』されて、それから変なコトやらないと、ただの変なコトで終わるとか、身内で面白がって終わるだけですからねぇ。
私はハガキに漫画を描いて送る、っていうコトをやってるんですが、これは普通のコトなのか、面白いけど別に…、ってだけなのかわかりませんが、著名な人が同じコトやってて盛り上がってたら悔しいし。とか 思ったり。
まとまって無いですが、また表現に関しては機会を改めて書くコトにします。
それまでの暫定的な結論としては学長の『在り方』を主旨とした発言をもとに、常に、書いたり 作ったりして 発表する。そして自分の土台を固めておく。
というコトで、ま。とりあえず。
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2009年9月15日 (火)

“『FILE083:台本のない音楽会』を見た。 ”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.09.01.O.A.
『FILE083:台本のない音楽会』を見ました。

今回は音楽がメインで。番組内容・各自の発言は抜粋してます。
また発言内容は言葉の通りでは無い場合があります。


今回の対談相手は“教授”こと 坂本龍一 氏。

では、以下。 ↓

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


今回はNHKにて。スタジオらしきところへ入っていき、そこには坂本氏が。

テーブルを囲んで、教授のパソコンに入っているものを紹介していく。

13世紀のもの。
古楽(こがく)と言われるもの。など。

教授は いわゆる普通の ポップスなどは聞かないようで。田中氏が普段聞くもの、聞いてきたもの のCDを持ってきて流したけど、途中で止めたりして。

田中:「ものすごく 興味ない」
太田:「何も引っかかってこない」

田中:「ミュージカル……サタデーナイトフィーバーとか…」
坂本:「つらいなー…」
(笑)

続いて『花』という曲を紹介される。

坂本:「普通 リズムっていうのは 周期性がある。けど これは周期性が…
    わかんない。(笑)」


次に、音の無い音楽を紹介される。
始め、何の説明も受けずに聞いていた為、爆笑問題の2人は『聞こえる?』『いいや』とやりとりしている様子だった。

坂本:「これはね、音がしない音楽なんです。」
田中:「ちょっと、それ行きすぎじゃないですか。」
太田:「ばかにしているんじゃねえかって。」
坂本:「これは本当に有名な曲で。4分33秒っていう曲なんだけど。」

坂本:「提起したのは、音があることだけが 音楽じゃないよ。」


レストランにおいてのBGM…、食べ合わせみたいなもの… と教授。
太田:「そば屋でジャズ っていうのも」
坂本:「いい時もあります。ミスマッチな。
    中華の時にボサノバかかってて…不機嫌になっちゃいましたね。」(笑)


太田:「サザンとか…どうですか」
坂本:「どうかなぁ…」
サザンの『彩-Aja-』をかける。

……。
坂本:「もちろん 桑田くん顔見知りだし 知ってるんだけど、理解しようとするんだけど よくわかんないんだ。」

坂本:「まず 大問題があって、歌詞が耳に入ってこないんだ。
    歌のある音楽を聞いていても、入ってこないんだ 意味が。」

太田:「カラオケ 地獄ですか?」
坂本:「カラオケ地獄ですねぇ」

坂本:「記号として入ってくるので 全部が音なんですよ。僕は。」

田中:「『いけないルージュマジック』とかは どういう感覚でやられてたんですか?」
坂本:「ほとんど分業で 音は僕が。あとは清志郎くんが」
太田:「清志郎さんの歌ってる言葉や…あんまり気にしてない…?」
坂本:「気にしてないですね」
太田・田中:「へーーっ!!…」

太田氏、普通 歌 って ね、キズついたりした時の薬であったりとか…そういう。坂本さんそういう経験ないんでしょ? と、言われ 教授が紹介したのが “ボブ・マーリー”。

また、J-POPも坂本さんのパソコンに入ってる ということで。
坂本:「“時給800円”って知ってる?お笑いのヤツ」
パソコンのJ-POPのフォルダの中には、“時給800円”、“宮沢りえ”、“ACIDMAN”、“アジカン”…、そして流した曲が、“相対性理論”の『テレ東』。


言葉でどれだけ言っても届かないところに、音楽に乗っけることによって届くものがある。

太田氏、この前の藝大でオルガンの生徒のコが お客さんが来ないことを嘆いていたことに触れ、
坂本氏、毎週のように 現代音楽のコンサートに通うと、500人くらいのお客さんしかいなくて、毎回 同じ顔を見て 顔馴染みに。これじゃ広がんねぇなぁー ……と。

太田氏、例えばさっきの無音の音楽みたいに 我々が理解出来ないとこへ行っちゃう っていうのもいるじゃないですか。
と。
坂本:「それはそれで 結構簡単… 実はね 」
と ピアノの前に座り、鍵盤をデタラメに弾く。
坂本:「こういうのはね 簡単」
田中:「これが芸術だ みたいな。」

だけど、自分も良いと思って 人に共感してもらう。っていうのはやっぱり難しい。と坂本氏 話して、今度はピアノを丁寧に綺麗に 弾く。

坂本:「これだとさ、聴いてる普通の人もわかるし でも そん中に織り込まれてるような感情っていうのは 複雑にもできるし、単純に聞こうと思ったら単純に聞くこともできるし。」

坂本:「何で音楽があるのか っていうのはわからない。ただ 色々研究してる人がいて、一説によると、例えば まだ言葉も喋れない赤ちゃんに お母さんはどうやって話しかけます?」
田中:「子守歌…?」」坂本:「例えば 「はい○○ちゃん、ミルクよ」 と すごく 声が高くなって 抑揚が大きくなって 歌のメロディのように あれは万国共通。」

坂本:「言葉と音楽がまだ 未分化の…ホモサピエンス……何万年か前の言葉と音楽が分かれる前の状態のコミュニケーションは ああいうものだったんじゃないか っていう説がある。
    感情の ものすごく深いところ…」


“音楽って何だろう”

2001.09.11. テロの時の出来事を振り返りながら…。

坂本:「あの うるさいニューヨークで ニューヨークが しーん、となっちゃったの。音がしないんですよ。車のクラクションもない。
    78時間経って、生存者がいないという状況になり 最初 耳に入ってきたのが“イエスタディ”なんですよ。ビートルズ。」

坂本:「一つの音楽の原点っていうのかなぁ。何のために音楽やるのか っていうのはそこで――…。
    本当につらい時とか 恐怖を味わっている時は 人は音楽はできない。あまりにも恐怖で体がこわばっているし 特に足元がね。」
太田:「それをほぐすのも やっぱり音楽なんですよね。」

坂本:「3~4週間 その状態だったんだけど、僕はあまりにも次 何が起こるか分からない。 また 第2のテロがあるかも どうなるんだろう…ってなってたんだけど…。
    やんなきゃいけない仕事があって 〆切が迫ってて どうしてもやらなきゃいけない ヤだなー と思って。でも ま、しょうがないから作り始めた。そしたらね、音で体が溶かされる。
    音でこういう効果があるんだ っていうのが しみじみそこで感じましたね。」

太田:「泣ける っていう時は だいぶいい状態ですもんね。」
坂本:「泣けないくらいに恐怖で縮こまってる時に 音が聞こえてくると、緩んで 涙が出てくる。
    これはやっぱり一つの癒しであるし、追悼でもあるのかなぁ。」

太田:「それはやっぱり音楽が それこそ世界を変えている っていうことの 一つの現象じゃないですか。」
坂本:「音楽が…ほら世界を変えるとか言うけどね 僕はそこまで力を持っていいのか っていうことも疑問なんです。
    つまり そんな力を持ったら危険だと。ま 反対にも使えるからね。 っていうのは…」
太田:「ワーグナーなんかも」
坂本:「そうそう。そうでしょ。
    ナチスがね、それを利用してものすごく最大限 効果的に使ったわけよ。それでドイツ国民を一つの方向に持ってっちゃった そんな力がある。これは気をつけて使わないと。
    だから世界を変える っていいことのようだけども もしかしたら その目的がさ 100%正しいとは限んない。」
太田:「まぁ そうですよね。」

坂本:「ぼくらが信じていることが100%正しいとは限らない。なのでいつもそれに対する疑問は持っていなきゃいけないと思っていて。」
太田:「そうすると 作曲するときに――…」
坂本:「そこがだからジレンマなんです。――あえて 抑えよう っていう。」

太田:「いいじゃないですか それで世界が滅びようと」
坂本:「それ 悪魔のささやきだよ。それ。(笑)」


“耳をすませ
 人類が生まれてから
 音楽が鳴りやんだことはない。”


そして最後に 何か弾いて頂ける ということで2人そろってのリクエスト「戦メリ」と、坂本氏に『戦場のメリークリスマス』を目の前で弾いてもらう。

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番組中で、爆笑問題の2人と、教授が紹介した曲は、爆問学問HPにリンクがありましたので。ま、それで。

強い力を秘めているもの それを使うこと …に関しては前にも、我々は使い方を誤らないようにしなければいけない…という話があったような。

無音の音楽については、対談感想で田中氏の発言にもありますが、『実績もある人だから』っていうのがやっぱり。 ね。

『音があることだけが音楽じゃない』って言うのはもう芸術の域だと思いますし。感性の追及だと思いますし。

で、太田氏が、前回の藝大スペシャルでのオルガン科の生徒さんの話をして。

教授がピアノをデタラメに弾いて「こういうのは簡単」ってありましたけど、これは藝大の時に菊池先生が「オルガンは裸で弾けばいい」 に繋がってくると思うんですが、

注目を集めるためにどのような表現をするか というのは容易だけど、共感というのが。

面白かったです。

けど、音楽を表現すること自体と、 それが社会の中でどう消費されたいか についてもうちょっと聞きたかったですね。

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2009年9月10日 (木)

“『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』を見た。”

2009.08.17.O.A.
「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』を見ました。

FILE043の時と同様に今回も東京藝大の宮田学長が自転車に乗って登場。

以下、不足点もあるかもしれませんが、番組内容をざっくりと、


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校門に入り、副学長の渡邊さんも。中に進むと管楽器を持った生徒がファンファーレで迎えてくれたり。

先ず、音楽学部へ。
『指揮者をやってみませんか?』という事で、まず田中氏がちょっとやってみる。…と、ぐちゃぐちゃに。
田中氏「『常々、指揮者 要るの?』って思ってたけど、本当にぐちゃぐちゃになるんだー…」と。
もう1回 田中氏 やってみると、なんとか様になってた感じ。

続いて 太田氏。
……。
田中:「陶酔し過ぎじゃない?」
太田氏 なんか感情全開で指揮してるけど、オーケストラとズレてるような…。

宮田学長「先日まで オレも指揮いらないんじゃないかと思ってた」とか。
田中:「俺らと同時?」

そして太田氏、指揮者とオーケストラの関係を 男女の性行為に喩えたり。
“自己満足≠自己表現”

次に、音楽学部 オルガン専攻へ。
オーケストラの場所から、少し上の位置にある。
弾いてる姿を じっと 先ず 見て、 で。
太田氏、実際にやってみる。鍵盤と横の管が連動してるようで、音の出方も違う と。

生徒:「(オルガンで演奏することは)オーケストラを一人で演奏できる っていうのがすごく魅力的。」
渡邊:「自分のこの操作で、色々な音が作れる。」
別の生徒:「それは新しい個性であって、すごく楽しいです。」

学長から『行くぞー』と呼ばれ、音楽学部をあとにする。

田中:「いやー、音楽 すごかったですねー」
宮田:「良かったでしょー」
田中:「学長も音楽に関しては、殆ど なんか 我々と…」(笑)
宮田:「はっはっはっは」(笑)
太田:「専門が違うよね。」

そして次の場所へ。
田中:「先生のテリトリーですね。」
美術学部へ。

生徒や、現場の大工さん(?)が休憩している中を抜けていき、日本画・油絵などの制作アトリエ 絵画棟に到着。

ちょうど 油絵の講評会。作品を互いに批評し合う時期だという。
美術学部 油画専攻。
壁から手が生えてる(?)石膏を作った生徒に、教師と爆笑問題の2人が尋ねたり。

美術教師:「メッセージを込めてほしい」

まだ 手を作った生徒の作品について喋ってるのに、早くしてほしい と言われ 次の作品へ。
生徒が箱の中に入っていて、受け答えは箱の表面についてるディスプレイで文字が流れるような。

太田:「引きこもってるんだか、コミュニケーションとりたいんだか わかんない。」

次に 太田氏が気に入ったという 淡い雰囲気の絵に。にじむような感じ(?)の絵で中に鏡が入っているという。
太田氏は気に入ったようで、絵をえらい近くで見たり。

次にパフォーマンスの作品という事で、なんか… とっぴな行動をしたり。メイクもしてるけど、なんか変な醜いメイクをしてたり。

先生:「何で そういう醜い方に描くの?」
生徒:「本当の自分 っていうのが 普段のメイクの時に出せなくて、普段みんなに見せれない、自分の表情や 行動などを見せれる。…ということで。」

先生:「絵を描く という行為の本質にダブることがある。」

また、別の先生が、
先生:「こだわり ってあるんですよ 表現者 ってね。 こだわりをどこから引きずり出してきて、みんなに理解できるようなものに表現を変えていくか。」
(油絵科だけど、キャンバスだけではない。自身であったり、立体だったり。)
宮田:「自由ってすごいね」
太田:「僕はこれが 自由じゃないと思います。」

“自由 って 一番難しい”


美術学部をさらに進み、彫刻棟へ。

宮田:「さっきの絵画科の自由な表現から、素材が出てくると 表現の仕方が変わってくるよね。」

丸太など、木を削って創られていく作品を見ていき、さらに進んで 陶器を作るとこへ。
行った時は休憩中だったようで。ごはんできたら鳴らす ドラ(?)みたいなのを鳴らしたり。

進んで、デザイン科へ。
ツノを表したティアラを見たり。
で、何か統一されたテーマがあるそうな。

田中:「全体のテーマが一つあるわけ?」
宮田:「油ではさ、自由・勝手にやれ だったんだけど、何か1個はあるわけよ。」

《ナレーション》:
仏像をモチーフにしたフィギュア、折り込み広告で作られた日本刀,ふすまに…まんが…?

デザイン科の先生:「これ実は伝統とデザイン っていう課題なんですね」

古美術研究に 京都と奈良にも行ったそうな。

太田氏、見て 「すごい!」と言ったのは、『雑誌のキャッチコピーの提案』という作品。
人に、顔 一面に 字が施されている。

作った生徒に聞く。
生徒:「お寺で 御朱印 っていうのを集めたんですけど。で…、これを見て 筆の面白さを感じて。 ポスターと中吊りと 雑誌の表紙と キャッチコピーっていうものにつなげたんですけども。
    雑誌のキャッチコピーって 多くの人が目にするので、それによって少し身近に感じられるんじゃないかなと。
    今 ちょっと崩し字で書いてあって 読めないと思うんですけど、この御朱印の方も読めなくて なんて書いてあるんだろう って感じなんですけど、でも、読めない けど カッコいい 気になる。っていう。
    そういう… あれと。(笑)」

田中:「うん わかるわかる。読めないけど カッコいい。 デザイン的にカッコいい。」
生徒:「で、気になるから、つい 見るかな と思って。」
太田:「つか、どんだけ自分が好きなんだ」
生徒:「…絶対 言われると思ったんですけど。(笑)」

デザイン科の先生:「デザインっていうのはね、相手がいて、相手に伝えることがすごく大事なこと」

次に『朝顔』の作品。
薄い布みたいなヤツに 朝顔がデザインされたもの。その布を重ねて表している。

先生:「何をあなたは伝えたかったの?」
生徒:「本当は最初 夕顔を描くつもりで、古典の源氏物語の中の夕顔から取ってきて やったんですけど、夕顔が手に入らなくて 朝顔になっちゃった。」

別の先生:「西洋の立体感の出し方と 日本の立体感の出し方の違いを表現したかった。」
太田:「先生が作ったわけじゃないから!」(笑)



“創作の現場を見てまわり
太田 光は スタッフに こう言った。”
“討論があるんだろ 話そうよ”


“総合工房棟の広場には
学生たちが詰めかけていた。”

“いつ
 どこで
 誰に
 伝えるのか”

爆笑問題の2人、宮田学長が 生徒で囲まれた中心の席へ。
今日、見てきたことを振り返り まず 音楽はすごかった。 けど 太田氏、
だからといって自分でそういうのを聞きにホールに行くかと言ったら 行かない と。

太田:「音楽は その場にいる人にはものすごいけど、引っ張ってこられるまでのものがあるのかな、…っていうことは考えたね。
    だから、デザインとかだとそっちの方が “人目には触れる”
    つまりだから伝える っていう意味では、そっちの方が 人にいっぱい伝えてるんじゃないか、――――。」

ここで“ジャズ界のカリスマ”番組OPの曲も担当している、菊地成孔がトークに参加。
東京藝大で音楽理論の講師も勤めているそうな。

クラシックが 今も売れてる。ということで、辻井さんとか。のだめカンタービレとか。 「マンガやゲームになれば売れる」という菊地さん。
太田氏、近くにいた生徒に、「クラシックやる人は 普段からクラシック聞くの?」と聞くと、「別もの。」と。
ポップスとかの方が伝わったりするだろうから『かなわねぇなぁ』って思わないのかな、と太田氏。

太田:「表現ってさ、もっと多くの人に共感されたい って絶対あるでしょ。」
『音楽に限らず 全てが』 と 宮田氏。

副学長 渡邊:「太田さん、前から 数の問題をすごく気にしてますよね。」
太田:「気にしてます。」

渡邊:「数 伝わればいいのか、って、絶対あると思うんですよ。
    僕らはやっぱりたくさんのオーディエンスには伝わらないかもしれないけど、たくさんの人に近い数には伝わってるわけですよ。そこで僕らは充実感を覚えて 仕事はしてるわけですよね。」

デザイン科 松下先生:「情報にはですね、量とかスピードとか質とか色々あるんですけど、
    我々 思うにね、質に関わってるんだと思うんですね。需要があるところばかりに目を向けていると 本質を外すかもしれない。」

太田:「本質って 何ですか?」
松下:「やっぱりそれは受け手との関係をつくる ってことだと思うんですよ。」

太田:「それがねー、僕 最初 指揮やらせてもらったときに 呼吸を合わせてすごくいいもの共同で作りたいな と 思うわけだ。
    で、それはやっぱり、対 大衆にしても同じなんです。」
宮田:「そりゃ そうだよ。」

太田:「でしょ。だから みんなが共感できるように、より 多くの人が さっき、指揮を 一緒に、音を鳴らしたい っていう気持ちと 変わんないですよね。」

美術学部 保科先生:「大衆 っていうのが先にあるんじゃなくて、こう 最初に時代の精神を個人によって引き上げていくことが先だと思うんですよ。 それがこう 大衆にどんどん広がっていく っていう。
    …大衆を目的にして―――それを目的にして表現が発生するわけじゃないと思う。ベクトルが逆のような気がする。」

太田:「それは どうですか デザインの場合、違うよね。」
松下:「いや、そうでもないですよ。環境を作ることが、コミュニケーションを作ることが大事なんで 必ずしも大勢の人に向かってそれが、わかりやすいってことが、一番の優先順位じゃないと思う。」
太田:「そうかなぁ…」


ここで宮田学長、渡邊副学長が少し喋り、田中氏が 学生さんにも色々聞いてみたいと思います ――と切り出す。

生徒:「(クラシックとポップス 落語など、大衆に伝えることについて、)どんなに呼んでも10人しか来ないとか、そういう人たちの芸は本当に意味がないのか。」
むしろ そこを大衆をつなぐ何かはあるのかな と。

太田氏、確かに 落語は面白い。立川談志のとか 本当はゴールデンタイムでやりたいくらいだ と。けど、視聴率が取れないだろうし、スポンサーも付かない …漫才もそうなりつつあるだろう と、だから おれは迷ってるけど…――
太田:「人が見ないんじゃ しょうがねぇだろ って」


音楽学部 熊倉先生:「ここにいる 表現者のみんなは勿論、一人でも多くの人に見てもらいたい っていう野心、ギラギラであることは事実だと思うんです。
    でも、今 ここのためだけに 我々は作っているのか っていう自負も あると思います。 もっとずっと先、自分が死んじゃったあと に、あるいは 今ここにいない誰かの価値観を変えられるかもしれない という。妙な野心があるのが芸術家じゃないかと思うんですけども。」

太田:「だからね、芸術家の持っている問題点って、その あやふやさだと思うんだな。
    あの、だから おれのやっていることは芸(術)じゃないんです。逆に言うと、そんな何百年かけて伝えたいものでもなんでもない。ただ、今 その場にいる人に おれ、こう思ったんだ を伝えたいだけだから、喋ってるしかないわけ」


宮田:「どうだろう 僕なんか 専門が工芸なんだけど、工芸の方から粋のいい質問ないかね?」

――と、タオルを巻いた “田中:「工事の人じゃないよね」”生徒が話す。

生徒:「(話、ちょっと違ってきますけど、と前置きして)今、爆笑問題 お2人 藝大来てて、藝大っていうとやっぱりスーパーエリートだと思うんですよ。
    超専門家の人たちがいて、その中から本当に芸術って出るの?って問われると思うんですね。つまりエリートはエリートだけの 閉じた 芸術のためだけの空間じゃなくて、そこから本当に芸術が生まれるのか っていうふうに思うことはあります。」

太田:「(日大芸でのことを話をし、ぬるま湯につかってたみたいだった――)つまり学生時代って若いし、まだ自分の結果出てないから何にも で、みんなで芸術論 こうやって戦わしてきゃあ解消されちゃうみたいな――…。
    それがだんだん ここ(芸大)にいること自体が、どんどん どんどん 萎えてきちゃって、ダメにしちゃうんじゃないか その危機感は僕は学生時代あった。ましてや藝大となれば これは 親も文句は言わないし、世間もそう見ますよね。」
宮田:「そうでもないよ」

太田:「でも まぁ、彼らからそういう話が出てくる っていうのは おそらくこの中にいて、自分にはもしかしたら もうちょっと 貪欲さ、表現しようというものに対して もっと野心とか いいのか ここにいて、っていう不安はやっぱり感じなきゃ芸術家じゃないよね。」
宮田:「それ、みんな持ってるよね。」

“湧き出してしまう 何か…”
《ナレーション》
 芸術はときに人々の求心力となり、社会を挑発し、時代を予見してきた。
(ここで岡本太郎の発言が)
“芸術は 無条件だから 爆発だ”


菊地:「私、ジャズやってるんですけど、さっきずっと お話しなさってた 権威の問題だと思うんですよ。最初、権威的なものが、だんだん下位権威…――(下のものが上に、下のものが上に…)  僕が思うに 問題は たとえば今 太田さんが仰ってた クラシックはもうキャンプだから、キャンプはもう古くさい権威 ってことだけど、キャンプだから誰も聞きにこない って事じゃなくて 尊敬していると思うんですよね。
    僕 ジャズやってます って言うと ジャズなんか聞いたことない人、うわー すごいですね 素晴らしい それは。って言うんです。だから尊敬してるの。尊敬してるんだけど 聞きに来ない っていう。
    たぶん クラシックもそうで、クラシックやってるの?だっせぇー って あんまり言われないの。尊敬されたまま 生殺しにされている。」

田中:「それって でも ジャズやられてて、ヤでしょ?」
菊地:「イヤだけど しょうがない」
田中:「これはもうしょうがない?」
菊地:「そこで話 ぐるぐる回っちゃうんだけど、えーと、時折(ジャズ)市場が地上波に出て 安心するような、やっぱり本当に見たらすげーじゃん っていうような。要するにレコンキスタ 失地を回復するような感じで っていうことしか今は考えられないですね。
    っていうか 我々が思ってるよりも コンピュータのアーカイブっていうのが強くて、…――芸の片鱗をYouTubeで見てみようなんて ってことになったら 昔に比べたら だいぶ見れるよね。」

太田:「末端で どう伝わっているのか 分からないで、平気でいられる っていうのが、芸術家の特徴なんじゃないかな。」
宮田:「いやいや、そんなことないな」
太田:「この間 学長と言い合ってて、何かが違うよな、と おれと学長の」
宮田:「違うよね」
太田:「――違いっつーのは、その構え方だと思うんだよね。」
(宮田学長 首をかしげる)
太田:「あのね、こういうのって 300年後 誰かがどう思うかなんていうところのさ―…、何かこう 遠ぉーい感じがするわけね。」


太田:「――…そういう切羽詰まった感じがね、本当に表現するっていうことの、ほかのことは考えられない。」

美術学部 坂口先生:「太田さんが今、他人の死のこと(言われましたけど)たぶん僕ら 純粋なアートっていうものがあるとすれば、自分の死を問題にしている っていうことはあると思います。
    自分が日々死ぬ。 死ぬ っていうか 変わっていく っていうことが前提であって、今 出さないと その自分はもう終わりだ っていうような切羽詰まったものがあって、何かに触れた衝動っていうのが やっぱし、表現に繋がると思うんだけど、太田さんは 即、会話でやる っていう、じゃなくて、ちょっとタイムラグがある。その衝動と出すまでの間に 人前では見せれない、何か こもってやる部分がある。」

宮田:「たとえば 僕ら 喋れるよ。色んな表現力持ってるじゃない。例えば 後ろに彫刻あるじゃない 彼らはさぁ、寡黙な中にでも、ちゃんとこう表現したいってことが――すげぇ主張性あるじゃん そういうものも 作ってる連中とかさ、色んな連中が今日は見てるわけだよね。
    太田さん、ちょっと1個に偏りすぎてない?」
太田:「そうかな?」


生徒:「今、聞いててすごくもどかしくなったんですけど、私は世界にたくさん糸がパーってあると思うんですね。で、太田さんはその糸っていうのを すごい短い距離でこういう。…――想像の距離っていうのは一人一人違うと思うんです。
    どの糸を掴んでいくか っていうのは その人の感覚だったり、勘だったり、嗅覚だったり その個性だと思うので、今 それをここで言うのはちょっと不毛に思えて。」
(笑)

“選びとったやり方
 それぞれの距離
 それぞれの 糸”


美術学部 池田先生:「(言葉にならないことが 体を動かして ジェスチャーしたりすること)その もどかしさが、人を動かすと思うんですよ。 それは言葉の世界。ここに今いる人たちは音楽とか、美術やってるわけだから、そのもどかしさ ってのがさ、そんな すぐには ね、出せない。
    1年くらいかかっちゃう場合もあるし、翌日 出るかもしれないし、っていうので 時間の出方がね 悶々としてることが随分あると思う。」
太田:「わかります。」
池田:「客観的なのか 客観的じゃないのか っていうのは自分でもわかんない。」


太田:「おれ、極端な場所にいると思うんだ 逆に言うと。(自分がこのジャンルにいたらもどかしく感じてしまうから、みんなはどうなんだろうって)本当に少ない人にしか伝わらなかったら悲しいじゃん って。」

音楽学部 毛利先生:「僕は 社会学を 音楽学部で教えていて、300年って みんな その言葉が出たからその言葉につられているけど、そこまで考えてないと思う。
    明日どうしようとか、カネがねーなー とか、その場でいい演奏しようとかリアルにやっていて、スポーツ選手があと一秒速く走りたいとか、そういう感じにすごく似ている。」

で、コミュニケーションしたい ってのはどうなのか と…毛利先生。
 また、伝わる人数、伝えたい人数とか。で、田中氏から 漫才をやる時に キャパの違いで伝わり方が違うっていうか、量がもの言うわけじゃない。
けれども、
毛利:「より上手くなれば遠くに届くかって そういう問題では全然なくて、全然違うアプローチをやっている、って感じるのがすごくあるんですね。」

オルガンをやっている生徒から。オルガンが一線を引かれているような感じで、オルガンやってる って はぁ? って感じで。
生徒:「私たちは来てもらってナンボ。生だからこそ伝えられるものがある。正直 まず そこに来てもらえない。」

そして、『一回オルガン聴いてもらって合わなくて離れていくなら構わないけれど』と続けて、
生徒:「それをしないで知らないまま終わられるのが、一番やっぱり表現者としては嫌なんですね。
    たぶん 若手の芸人さんも、きっと そのような状況だと思うんですね だけど彼らはテレビに出てくるような人になるじゃないですか。私たちは一体 何をしたらそういうふうに――…。」

太田:「そこは重要な――」
田中:「じゃ これは学長に――」

宮田:「どうなんだろう 例えば僕だって たまたま学校にいるけどね 野に放たれたとしても、やはり表現するものは変わらずやってるんだと思うんだよね。生きてる ってことは表現してる。」

太田:「そうだけどさ、誰も見てくんない って言ってるわけだよ。」
宮田:「いやいや」
太田:「オルガンなんか誰も来てくんないんだって」
宮田:「(でもその前に)オルガン奏者で在るべきだよね。」


トロンボーン奏者の生徒が ジャズをやっているけど、お客さんが 2、3人しかいないこともある。けど、それをやめて途切れさせてはいけない。
生徒:「生命のように繋いでいきたいな っていう意志があって」

太田氏、今はお笑いで1分ネタというのが主流なわけ。じゃないとチャンネル変えられちゃうから。本当は10分、20分、1時間のライブを見せたいんだけど。…と し、
太田:「プライドが傷付くんですよ 我々でも。
    そこで大事なのは、そのジャンルが大好き っていう気持ちと 平気でそのジャンルを乱暴なものにいじくられても、いいよ これ っていう それが 両方必要な気がしてるわけ」
生徒:「確かに1分ネタで笑わせる っていうものがあっても 1分のネタしかやらなくなってしまったら、それは完全に 自分の表現したいものを見失ってる状態だと私は思うんです。」

太田氏、『自分たちもボキャブラ天国で――…それこそダジャレで。だけど そんなことやってらんねぇよ っていうヤツもいた。ジャズだって CD出す時にレコード会社から注文付けられる』とか。
太田:「自分のジャンルを人に知ってもらいたいけど、そのために魂売らなきゃならない局面がプロとしてやっていく上では絶対にあると思うんだよね。
    誰しもあったよね そんなこと。そん時にどれだけ突き放せるか そのジャンルを」

漫才師であろうが…ジャズ奏者であろうが、ポップスをやることで…。
“愛しているから 突き放せる。”


美術学部の生徒の発言。オルガン奏者の方でも場所はある。教会にはオルガンがあるから 自然に人が集まるし、
生徒:「攻めるべき、 国際化すべきではないかと。」

美術学部 北郷先生:「(さきほど 100年、300年の、或いは1000年、2000年と 話がありましたが、)今までの歴史の中に残ってきた その中に 残っている中身は何だ。それは本当はもっと社会のど真ん中にあってもいいんじゃないか。」


油絵をやっている生徒。やっぱり自分もたくさんの人に見てもらわないと けど、太田氏から『油絵なんて見る人少ないだろう』と。
生徒:「社会自体が変わるべきだと思うし、…大衆に触れられる環境づくりをどんどん どんどんやるべきだと思うし。
    だからどんどん ヨーロッパとか行っちゃうし。」


太田:「おれ この前ね、東儀秀樹さんとお会いして、笙(しょう)のね。 あの人は やっぱジャズやってたらしいんですね。で、笙のすごさは他じゃ表現出来ないものがある。
    だけど雅楽なんて誰も今や聞かないわけだけど、やっぱり この笙を 今のやつらの共通語にもう一回直してやらないと ダメだって思ってる。」
菊地:「今、太田さんが言う 共通語っていうのは マスメディアのことに聞こえちゃうんですよね。」
太田:「つまりわかりやすく…」

菊地:「そうだけど その感じがテレビが中心にあるってことの考え方だと思うんです。
    その、インターネットも ちょっとした奇妙なおもちゃじゃないですよね。一つのマスメディアになりつつある。
    批評もされるし、作品加工もされるし だから その流れの中で、テレビが中心にあるっていう 一種の信仰みたいな。 それが変われば世の中変わるわけで 具体的にもう変わりかけてる っていう中での――…」

“日本国内のブログ総数 1690万”
“絶えず 更新…?”
“絶えず 表現…?


生徒:「さっき インターネットとかそういう話が出たんですけど 本当に伝えたくて、そういうメディアに流したとして、今もこう 再生数とかいって、わかるわけじゃないですか。作品を何人も見てるっていうのが リアルタイムでわかるわけじゃないですか。
    ただ そういう人が世界中にいっぱいいる世の中になっちゃったわけですよ。 それがちょっと悲しいっていうか。みんな同じ土俵に立てる反面、みんな本当に私の作品をわかってくれているのかな っていう 不安っていうのも また出てくるわけですよ。
    どんどん希薄化されている っていうか、私にとって 今 この現状は すごい 表現者として 悲しい ちょっと切ない感じがするんですけど。」

田中:「それ 確かに難しいのは 気軽に見る人たちがいたからこそ そこで成功を収める人たちもいてね。 逆に言うと それで売れるパターンもあるから。それはどっちもどっちだよね。忘れ去られる人も当然いるし。」

菊地:「今 こうやって一緒に話せば 爆笑問題お2人もみんなも、同じ表現者という同じテーブルに座りますけど 一番の違いはテレビを主戦場にしている人と そうじゃない人 っていう形になってて。だから太田さんが言っている色んな説っていうのは、テレビを主戦場にしてると そういうふうになってくるのかな っていう。聞こえ方からして。
    で 先生方が言ってることは、藝大にいるとそういうふうになってくるのかなっていうことで 結局そこの戦いじゃないけど。」

田中:「先生ちょうど中間みたいな感じでしょ?」
菊地:「ありがとうございます。(笑)」

太田:「それは僕は テレビを主戦場って仰ったけど ま 確かに 気持ちはそうなんですけど、(ラジオも舞台もやってるから)どっか逃げ場所はあるって思えるんですよ。」
菊地:「したたかにやるわけでしょ」

太田:「そう、つまり表現なんてどこの舞台でもいいやって思っているから。」
菊地:「でも、彼らは選んだわけだから。」
太田:「そうそう、だからこそおれから見ていると、すごく不安なんじゃないかなと思ってるわけ。」

菊地:「あの、自分を表現するんだっていうことは、比較的たやすく出来るんじゃないかと思うんですよ、皆さん。それよりも、それが出来た後、それが社会の中でどうやって消費されるかの方がかなりでっかい問題になっちゃっていて。皆さんそのことを言ってるわけじゃないですか。だけどぶっちゃけちゃって、全員自分を表現するのが目的で、方法は何でもいいんだ。全員そうなりましょうっていって。」
太田:「なりましょうって勧めているわけじゃないけどね。」

菊地:「もちろんそうだけど、ある時そうなって、もうフルートとか関係ないんだと。オルガンも関係ないんだと。オルガンは裸で弾けばいいと思うけどね。」
太田:「オルガンは裸で弾けばいい?」
菊地:「一発だと思うけど、まあそれはともかく、そうなっちゃったら、それは一種の社会変革じゃないですか。話グルッと戻っちゃって。社会が変わることになっちゃいますよね。ジャンルがなくなるんだから。
    だから、ジャンルをどれだけ守るのか守らないかの話と、どれが社会の真ん中に来るかっていう、要するに状況の話っていうのがくっついちゃっているから。」
太田:「つまりそうするとね、どこで自分を許せるかっていう問題だと思うんです。」
菊地:「僕が思うのは、生々しさっていうのがどんどん増していると思う、かえって。パソコンなんかによって。今日だって、生まれて初めて、テレビでいっぱい見ているけど、初めてこの至近距離で田中さん見るっていうことで、ちょっと興奮しているわけですね。その生々しさがあるわけ。で、その生々しさも、実はそんなにもたないんだけど。2時間ぐらいたっちゃうと、もうああ、テレビで見ているあの感じだっていうふうに戻ってきて、ちょっともう今眠いんですけど。」(笑)
田中:「眠い?眠いって何ですか?(笑)」

菊地:「暑さもやられちゃって。あるんですけど。だけどオルガンもそうだし、クラシックもそうだけど、漫才もそうだし、ジャズもそうなんだけど、いざ聞いたらすごいね、生々しいねっていうのが10年前、20年前よりはるかに上がっていると思うんですよ。」
田中:「今の方が?」
菊地:「うん、マスメディアが発達したおかげで。」
田中:「発達したからね。逆にね。」

菊地:「だから みんな(オルガンの人も 油絵の人も)チャンス無いかも って思ってるかもしれないけど、生々しいもの見せれば 絶対動かせるんだ っていう自信はみんなあると思う。
    で 追い詰められてるだけに 一発逆転の可能性は上がってんだって考えた方が希望はあるんじゃないかな。」


“表現することの喜び もどかしさ
 だから人は
 再び 白いキャンバスに向かう”

宮田学長デザインの手ぬぐいを爆笑問題の2人は頂き、退席する。


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なんだか“表現者”って、やってるコトは製造業みたいなトコもあるけど、サービス業みたいなトコもあるとゆーか…。
あと、太田さんは喋りだけで 即時性 どうこうと言われてたけど、太田さんに喋る機会(表現する場所。見てもらえる場所。)があるのは、光代夫人のサポートあってのコトもあると思う。
そういった意味で 良いブレーン プロデュースみたいな人と組むとか…、また 自身で、自己プロデュースするコトも必要とするかもしれませんね。

で、この前、ワールドビジネスサテライトの2009.08.25.O.A. で。
タイタン社長 太田光代夫人とTOHOシネマズの人が、TOHOシネマズでお笑いライブを映画館で中継して上映して演る、みたいなコトを放送してた。
1回の料金は2700円で、普通のライブより300円安いと。で本来は飲食禁止だけど、映画館を借りるのでポップコーン食べながらコーラ飲みながらが可能と。
これは…どうなんでしょうかね…。
生でのライブとは伝わりかたが違ってくるとは思いますけど、間口を広げるというコトではアリなんですかね。

そういえばFILE043『アートのハート』でも、太田さんがたまたま誰かに作品を見てもらえるのを待つしかないのか?に対して、宮田学長は「たまたまは演出しなきゃ」とか言われてたような。


熊倉先生の話で、自分の作品が死後になって評価されるコトを話してらした際、太田さんが首をかしげながら聞いてたから、これは前回 宮田学長の回と同様なんでしょうね。
学生さんも似たような発言で“意図通り伝わらないと不満”っていう。
…まぁこれは やっぱり思ってしまうコトなんですがね。


そういえば何かの回で…姜尚中さんの回だったかな…で、田中さんが『表現する場が増えたというコトはキズつく機会も増えたというコト』…のようなコトを言ってたと思うけど。
即時的に伝わるということは、即時的にキズつくしキズつける可能性もあるというコトで。
例えば絵画など…作品が死後 評価されるということ…があれば、作品を作った時点で評価されない寂しさや悲しさはあるかもしれないけど、あとあと多くの人に広く深く伝われば…まして本当に死後、作品がしっかり届いたら作品としては幸福なのかな。
“表現者”として評価されにくいのはツラいかもしれないけど。まぁ太宰治でも…昔の著名な文学作家とかはプライベートが破綻してたとも言うから、どこが“是”で、どう在るコトが表現者として幸せかなんて分からないですね。


しかし、ま、私自身 “表現者”の一端として、見てて面白い回でした。
箱に入って画面に字出してコミュニケーション取るとか興味深かったし。顔に筆の字入れるヤツとかは個人的に好きだし。やってみたいって思うし。
パフォーマンスの作品をした生徒さんが『メイクによって 普段みんなには見せれない 表情や行動を見せる』っていうのも共感できますし。

や~いい刺激になりましたよ。こういうの見ると、なんか作品やりたいとか、常に作って発表していたい って思うんですよね。

で、作品を見てくれる人数についてなんですが、確かに多い方が良い気もしますが、個人的にはそこまで多くなくても良いや って思いもあって。
ま、それは“意図通りに伝わるコト”が気になってるからでもあるんですが。一定の人数の方々が私の作品を見て下さってて、楽しいとか嬉しいとか感動したとか、次も期待してるとか…そういう好意的な評価をして頂けると嬉しくて、創作意欲になるんですね。
私の友人に“広く、多く伝わった”人がいるので、この辺り友人に聞いてみたいトコではありますが。

良い回でした。録画したので繰り返し見て、良い刺激にしたいです☆

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2009年8月18日 (火)

“『FILE 082:ヒトと毒薬』を見た。 ”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.08.04.O.A.
FILE 082:『ヒトと毒薬』を見ました。

船山信次(薬学)

以下、番組内容をざっくりと。

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研究室へ。動物実験で ほぼ100%の確率で発がんさせる化合物をいきなり見せられたり。


《VTR》
毒は身近なところにある。(アジサイにも毒あり)船山は自然界から未知の毒を見つけ出すハンターだ。

船山(VTR中):毒のないものはつまらない。



船山:「この化合物はですね、抗がん剤の候補化合物」

船山:「抗がん活性はあるんですけれども、発がん活性もあるんです。」田中:「表裏一体」
  太田氏 離れる。
船山:「薬と毒ってのは 大体そういったところがありますから。」


研究室から書斎みたいなトコへ移動。テーブルを挟んでトーク。

船山:「毒って、どんなイメージを持っていらっしゃいますか?」
太田:「自殺」
田中:「死。トリカブト」
太田:「おなか痛い」
田中:「ヒ素」
太田:「毒舌」
田中:「フグ」

船山:「毒ガスとかね。暗いイメージのもの…あります。でも、毒、お好きじゃないですか?」

ニコチンやアルコール。……百薬の長とは言うけれど…。そして田中氏に“毒舌”を吐く太田氏。

船山:「毒とは言いませんけど、私たちは体内に いわゆる “脳内モルヒネ”って言われるもの。ありますよね。」

『脳内モルヒネ』
  脳内で分泌され 鎮痛作用や 快感に関係するとみられる物質。


船山:「ランナーズハイって言われてる人たちは、それが分泌されているんじゃないか とか。」

太田:「ロックミュージシャンならよくやりますよ…薬や……ね、外国の……、音がよく聞こえたり、感性が研ぎ澄まされる、と思うんですけど、じゃあ 自分が例えば 薬を…ね、これ一錠飲めば、漫才 めちゃくちゃ面白いの作れるよ。と、やり方ももの凄いよ って、やったところで、果たしてやるかな っつったら、やっぱりね、それはね、どーも違う。
    それこそランナーズハイと同じで、脳内モルヒネじゃないと意味が無いんだと思うのね。そういう事って。
    要するに、外部からのそれで、一回上げたけど 必ず下がるわけですよね。効果は もう 数時間。そうなっちゃった時のむなしさを考えると、あと あとでそれ 自分のラリってる状態のいいもの(いい作品)を見た時に、確かにいいとは思うけど、『これって おれじゃないもんな』って思っちゃった時に そのむなしさっていうことを考えるとね、自分でなんとか体の中からその状態にできるような……。運動選手のドーピングみたいな…、やっぱりおれは あれで記録を出しても、おれは嬉しくないと思うけどね。」

船山:「やっぱり努力の結果とかね 色んなことの結果で何かが出来てくるってのが、非常に楽しいことだと それがやっぱり人間の喜びでしょうね。たぶんね。」
太田:「だから 僕のテーマとしては、どうやったら脳内モルヒネが出る状態に 自分の思考で持っていけるか。」



田中氏、太田氏がそこにあった分子の模型を指差して、「何これ?(笑)」と。

船山:「これはアクロナイシンという名のついたアルカノイドなんですけれども」
田中:「ひとっつもわかんねぇ (笑)」

『アクロナイシン』
   オーストラリア産の植物から得られる化合物

船山:「私、この化合物一つで ずいぶん、あの 遊んだというか、研究したんですよ。アメリカに留学して3年間で、……この化合物一つで……18かな 論文を書きましたね。」
太田:「これ一個で?」
船山:「ワクワクしませんか?」
太田:「ワクワクさせて下さいよ」

  分子模型の話を聞いてみるけど、さっぱりわからない。(笑)
太田:「これ見て喜ぶなんて かなり脳内モルヒネ出てる。」


田中:「そもそも、でも、その花とか…植物だけじゃないでしょうけど、動物もそうですけど、毒っていうのは何(なん)であるんですか?
    その、相手を攻撃するみたいな動物もいますけどね。」

船山:「35億年…38億年とか生命の歴史があって、花を使うような植物は1億年ですかね。で、ま、あの カンブリア紀 って時にバーっと色んな生物が出来て、とにかくもう、ものすごい…けたたましい数の生物ができてきたと思います。
    その中で 今、生きてるの どれくらいかっていうと、生存率 どれくらいでしょう…。0.1%までいきますかねぇ。」
太田:「えー…」
田中:「そうなんですかねぇ」

船山:「ほとんどがもう 絶滅してるんですね そうしてみると。たまたま私たちが毒と言っているものを持った生物が、ちょっとでも生き残りに有利だったんじゃないかなということ。」

 “美しい花には 毒がある”

船山:「あの、よく、自分の身を守る為に毒を持ったとか、植物が ですね。そう言うけど 植物 自分で考えてそんなこと出来ません……。どこからか、調達するとか……。」
太田:「結果的に それが残った―…。」

船山:「もう、あらゆる方面にこう進化してってですね、その中に 私たちがたまたま毒というものを持つようになって。
    ただ、私たち 植物やなんかを見たときに、比較的に毒のあるものとかって結構あるんですよね。だからそういうのは生き残りに際して 有利だったんだろうなー、っていうふうに僕は考えてますけどね。」

太田:「毒、毒 って言うけど、異物は…まぁ…体に入ってきて それに体が反応してるだけのことで それを 毒、毒…」
田中:「定義が難しいよね 毒のね」

太田:「例えば でもそれって何かのウィルスが入ってきた時にそれを細胞が…やっつけようとする反応っていうのがあって、それで調子悪くなったりなんかするんだけど それって言ってみりゃ、それによって体を良くしようとする こちらの反応でもあるから 毒って言っても悪いとは限らないですよね。」

田中:「あと 量によってちょっとだったらいいし」
太田:「ワクチンとか それこそ」

田中:「(毒キノコについて)これは毒があるから、これは毒は無いから って言うんだけど、あくまで人間を基準にしている というだけですもんね。」
船山:「そうです まさにそうです」
田中:「他の動物とか…他の植物から考えたら そうとは限らない…。」

船山:「例えば トリカブトって さっきね、まぁ、人間がちょっとでも服用したら大変なことに…。あのトリカブトに よく虫が付くんですよ。団地みたいにですね 穴をポコポコあけて、そこで生活してるんですよ。…とすると…ねぇ。」
田中:「虫食ってるから 大丈夫だ じゃないですねぇ。」
船山:「虫食ってるから 大丈夫 っていうことじゃダメですね。」
太田:「その虫 なんなの?」
田中:「だから関係ないの。そいつにとって別にトリカブトの毒は おれ別にこれ好きだもん ということでしょ。」
太田:「すげぇな そいつ」

船山:「それから今 例えば、この地球上は 私たち酸素っていうものが非常に重要だし ぜったいに必要なものですよね。でも もともとの昔の生物は 酸素はおそらく毒だったんじゃないか というような生物もいた。現在でも酸素以外のものをね 好む生物っていうのもいると思いますね。」

船山:「あの、毒と私たち人類の歴史…色んな あの ところでターニングポイントに出てきてるかな、と思うんですね。人類は力が無いんです。…ある程度はあるんですけども、うんとは無いんですね。
    それで、大きな動物 早い 飛ぶ 鳥 …とか、そういったものをなんとか射とめようという時、普通の槍とか矢とか そういったものでもいいですけど 威力が弱い。そうすると そこの先に毒をつけて、いわゆる毒矢ですよね。それで吹き矢なんかで鳥をフッとやって パタパタと落ちて。 それを食べて人間が生きのびると。そういったような使い方も……。ある方は 世界4大毒矢文明だなんて言って。…毒矢文明って世界中にあるんですよ。

太田:「ほぉー」
船山:「で あの、北海道からですね、ユーラシア大陸…北の方をずーっとね、トリカブト文化圏。」
太田:「聞いたことある それ」

船山:「東南アジアの方は イポー文化圏。それからストロファンツス文化圏っていうのがアフリカの方にあって、クラーレ文化圏っていうのが南アメリカ…中南米の…。その4つの文化圏があって、それぞれ別の毒矢を。

船山:「人類がいわゆる記録を残すっていう習慣を付けました。記録を残す習慣っていうのは、古い記録ですね。くさび形文字とかってありますね。そういったものを見てもですね、必ず毒とか薬の記録っていうのがあるんですね。
    で、あと中国で紙が発明された昔の記録。それから、パピルスがありますね。パピルス、エジプトで紙の原型と言われているものです。あれでエーベルスパピルスとも言いますが、非常に古い時代の書き物の中にも毒や薬の話が、話というか、記録が出ているんです。
だからそういった記録をもしかしたら人類は残したいがために、そういった記録方法を開発したんじゃないかと思えるぐらいですね。」

太田:「あ、毒の記録を残そうと。」
船山:「初めはもちろん口伝っていうかね、親から子へとか、一族の中でっていうことだったんでしょうけれども、それを残しておきたいというようなことがあったんじゃないかなと感じますね。」

田中:「我々はそんなもう毒キノコを食べるとかってたまにありますけど、あまりないですけど、昔の人はやっぱりそれで亡くなってっていうのを繰り返して。それをやっぱり伝えないとっていう。」

船山:「あと歴史上にも色々な逸話とか残ってまして、ソクラテスっていう方はね、ドクニンジンのエキスを服用させられて、今でいう 思想犯か、政治犯みたいなカタチでね、そういったカタチで処刑されたんだけども、自分で死ぬ方法を選ばなければいけなかったんですってね。当時は。」
太田:「それで ドクニンジンを選んで。」

船山:「ドクニンジンを選んで…、それをソクラテスって方が服用して 亡くなっていく様子をですね、弟子のプラトンが克明に…。非常に今でも貴重な資料だと思います。」

《VTR》
 …毒杯を渡した男が
 足先や腰のほうを調べ
 しだいに冷たくなり
 硬くなってゆくのを
 ぼくたちに示しました
 そしてこれが心臓まできたらおしまいです
 と言いました。
   田中美知太郎 訳、プラトン『パイドン』より


船山:「それからクレオパトラという方は 追い詰められて 最後に毒蛇の毒で自殺していらっしゃる。  ………
    あの方は美しいだけじゃなくて、知的な才能もあった。そうすると毒蛇の毒なんかも随分調べていたような形跡があるんです。そうすると楽な方法を使ったですね。」

《VTR》
 船山は クレオパトラは美しい死に方をする為に 皮膚に影響が出ないエジプトコブラを……


太田:「まぁ、毒というか、薬全般ですけど、こういうのって飛躍的に進歩するのは やっぱり戦争とかがあるとね。ナチスドイツが研究したりして ガーっと進歩するじゃないですか。
    まぁ いい方向にも、今は使えるようになりますよね。」

船山:「一番最初に発見された いわゆる制がん剤っていうのは 毒ガスの研究から出てきたんですよ。そういったこと ありますし。 第2次世界大戦の時、ペニシリンっていういわゆる抗生物質のはしりのものが再発見された。
    あぁいう戦争でちょっとした怪我から ばい菌が入って、それで亡くなってしまう、というケースもいっぱいあったわけです。そういうのから救うために、そういった抗生物質がですね 発達した。そういったこと ありましたね。」

太田:「先生のやってる研究の果てに これが基礎になって色々薬が作られるわけですけど、病気を ね、なくすためのもので、ま、延命っていうことが先にあるわけ?」

船山:「ただ 私の考えとしては 生きてる限り クオリティ オブ ライフ と言いますけども、元気のいい状態、気分のいい状態で生きていたいな と、いうことですね。 それを助けることができれば というようなことが。」

太田:「それこそ ちょっとした自己矛盾というか」
田中:「あぁ まぁ そう」
太田:「こないだ、ハリセンボンのはるか。 はるかが結核になった って言って大騒ぎになったじゃないですか。ちょっと一昔前では、あれは不治の病。」
船山:「ほんとに ちょっと前。」

太田:「ほんとに ちょっと前ですよね。
    ところが あれがあったお陰で生まれた文学って どれほどあるだろうと思うと ね。サナトリウム文学っていうのがあるぐらいですよ。
   (画面下 註:『サナトリウム=療養所』)
    結核になったってことは一つのステータスであったりもするわけですよ。そこで死と向き合って、悩んで、若いうちに…。
   生まれた文学が日本文学に与えた影響ってすごいですよ。それって まぁ もちろん あぁいう病気はなくしたほうがもちろんいいし、おれが結核になったら すぐ治してくれだけど、それで失うものも確かにあるんだよね。」

船山:「色んな あの 臓器とかを替えることができるようになると、どんどん こう古くなった臓器を替えていく…。そのことも もちろん 病気の状態になった方に そういう臓器移植によって助けてあげられる。非常に進化はいいことだと思うんですけどね。
    一方で、ある種の矛盾ないかな っていうこと あり得るかなー…。」

太田:「花が パッと咲いて、キレイだと。でもこれに防腐剤がんがんやってですよ 永遠に咲き続けるこの花。あるいはもう造花ですよ そうなったら。
    果たしてそれでも先生は その花キレイかって思うかっていったら、もう そういう概念が頭にあるんで、この先 枯れない って思っちゃった以上、今までのキレイっていう見え方とは違ってきます。」
田中:「桜だって一年中咲いてたら 誰も花見も しないかもわからない。」

船山:「桜の花びらの研究もやったことがあるんですよ。この成分 研究。これ、成分ですね 他の植物の芽を出させないような成分があるんです。」
太田:「ほー、そうですか。」
船山:「だから桜の花…というか桜の木の下って、植物が育ちにくいとかって言いますね。そんなのの理由の一つかなー…って。」

太田:「いわゆる その西洋医学における、そういう薬の作り方っていうのは、まぁ 言ってみりゃ自然のものを人工的に抽出してね、さっきみたいに濃度を濃くしたり、純度を ってやるわけですよね。」
田中:「組み合わせたりなんかね。」

太田:「まぁ介入しているわけですよね。
    本来あるべき分子に人間の手が加わってる そういう危険性って、必ずこういうものってさ、全部にあるわけじゃないですか。例えば公害なんかでもそうじゃないですか。水銀のあれなんかでも。その場ではわからないけども、川に流れて その魚を採って 食うって時に、ここでは薬の濃度が低かったのに、こっちで精製されちゃってる。そうすると濃度が高くなっている。
    それが複合的に来るわけですよね 人間って そうすると、薬局で買った薬も 先生は この薬を飲めば治る っていう段階はわかるけど これを飲んだ人がほかに複合的に何を飲むかわからないわけですよね。」

船山:「むしろ 変な言い方ですけど、恐怖を感じてもらっていた方がいいかもしれませんね。副作用が少ないと言われている薬を 大量にお酒と一緒に飲ませて、保険金殺人……。」

太田:「それこそ一時期なんか、非加熱製剤がどうのこうのっていう、あーゆー判断ミスっていうのも そのちょっと何年か前には誰も気付かなかったりするようなことって日常 医学の選択が起こったりする。」

船山:「これもそんなに前のことじゃないです。サリドマイドっていう薬のこと。たいへん不幸なことだったんですけど、あれは服用したお母さんにとっては何にもなかった 非常にいい薬だったんですけど 世代をこえて、次の世代になんか悪いこと…害が出てきてしまう。
    そういう薬があるんだ っていう 長く わかんなかったわけです。それがわかりだしたのも、そんなに昔のことじゃないんですね」

太田:「しかも なんか 今、サリドマイドって他の使い方があるんですよね。」
船山:「はい。だから使い方だと思うんです まさに。で、非常にまた注目を浴びてますね。
    で、毒と薬っていうのは まったくの 裏腹・裏表で、うまく使えば私たちは薬といったものになるし、使い方を誤れば毒といったものになるんですね。」

“それを毒にするか 薬にするか 人間次第だ。”


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過去の放送内容として関連するとしたら、
生物にとって、何が薬で、何が毒かなんて分からない。…というか異なる。
ま、なにより番組の最初にあった先生の言葉。
「毒、お好きじゃないですか?」
これはねぇー…。(^^;
体に害があるとわかっててもお酒は飲むし。毒舌を交えたお笑いなんてのもクリーンなものよりも面白かったり。若者向け以外で考えても、綾小路きみまろさんの漫談だってね。
先生の目標としている『元気な状態、気分のいい状態で生きることを助ける』こと。
ま、体も心も健康的な状態にしていくために、
最終的に心や脳や体に“毒が残った状態”にせずに、うまく薬や毒とつきあっていくことが大切なんですかねぇ。

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2009年8月 9日 (日)

“『FILE 081:世も金もゲームなり』を見た。 ”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.07.28.O.A.
『FILE 081:世も金もゲームなり』を見ました。

ゲーム理論・経済学。

松島斉(まつしまひとし)
東京大学大学院経済学研究科 教授


以下、番組内容をざっくりと。↓


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先生の部屋にて。松島先生、2001年のテロの時、爆チュー問題を見せて泣いてる子どもの教育上の恩人とか。
生徒が入ってきて金融危機の中身についての本を返しに来たり。


田中:「ゲーム理論っていうことなんですけど、これはどういう学問なんですか。」
松島:「ゲーム理論はどういう学問ですか って言われる前にね、経済学とはどういう学問ですか っていう質問を受けたかったですね。」

松島先生、太田氏に経済学について聞いてみる。

太田:「経済学?経済学っていうのはちょっと当てにならない印象がありますけどね。」
松島:「当てにならない?なかなかいいポイント。
    ここでいう経済学っていう話はね。ものを買うとか 売るとか 決めるよね 自分で。その人がものを決めている様子 そのやり方ね。こういうものをね 分析していく学問なんですお。」

太田:「行動?」
松島:「行動で選択 決めるということ」

    だからね太田さんは、『りんごよりバナナの方が好きです』って言うと、バナナお選びますよね。そうするとね『太田さんはどういう人ですか?』って経済学者がね 聞かれると、バナナとりんごがあったらば、バナナが好きで バナナを選ぶ。そういう人です って答える。」
太田:「経済学者は。」
松島:「そう バナナが好きだっていう方ね。」

松島:「太田さんにバナナがいくようにしたいわけね。
    本人が欲しがっているものが、その人に行きわたるように世の中がどう作られたらいいですか。あるいは、世の中がそうなっているのかを調べていくのが経済学。」
太田:「平等に(っていうこと)?」
松島:「いや、平等じゃない。」
太田:「みんなが おんなじように満たされる…。」
田中:「みんなが満足するように なるべくしたい。」
松島:「そういうこと。まず これが基本ね」

田中:「意外でしたね。もっと お金の こう ね、色々こう 動きとか流れとかなんとなくあるじゃないですか。経済学って聞くとまず、景気。今 不景気だから特に…。
    そういうのよりまずは その考え方ですね。誰がこうだと満足。この人はこれがいい、なるべく合理的にみんながいいという。」



松島:「例えば、太田さんの奥さんのプロダクションが ちょっと一発、新しい事業を拡大したい …お金を借りるわけね。そうすると…田中銀行から借りるわけ 田中銀行は田中銀行でいいビジネスをしたい。
    太田さんのプロダクションにお金を貸して大丈夫か考えるじゃない。そうするとこう 相互依存しているわけだよね。
    そこでこの二つの問題はいっぺんに考えなきゃいけない。みんなの目的を同時に達成する問題をいっぺんに考える というのは、ある意味ではとても難しい。

    太田さんとしては、田中さんがお金貸してくれるか 心配になってくるでしょ。そうすると 田中さんのインセンティブと言って、金を貸す気持ちなのか貸さない気持ちなのかを考えなきゃいけない。」

田中:「それがインセンティブ。」
松島:「そう。田中銀行が既に危ないとこ貸してて 焦げ付いてて貸してくれないかもしれない……。そうしたら 太田さんの問題は田中さんの問題を考えないと解けない。
    これを考えるためには数学が必要。そこで出てきた数学がゲーム理論。


《VTR》
『ゲーム理論』
恋の駆け引きにも似る。
相手の気持ちや行動を読み、互いに満足ゆく状態を考えることから始まるのだ。
これまでの経済学では、物の取り引きを市場に委ねておきさえすれば、うまくゆくというのが大原則だった。
しかし、ゲーム理論はむしろ売り手や買い手の好みや動きに注目する。そして お互いが満足するための法則を導き出すのだ。
ゲーム理論が大活躍した例がある。1994年 アメリカで初めて政府の電波が民間に払い下げられることになった。その方法がゲーム理論の研究者に託されたのだ。
高値で売りたい政府。ライバルを押しのけ電波を独占したい企業。この両者を満足させるため、研究者が導き出した方法は、
電波を地域ごとに分割し、入札で一挙に売る方法だった。
これで政府は莫大な利益を得た。しかも多くの企業が予算の範囲で電波を買えた。

続いて『囚人のジレンマ』について。

《VTR》
『囚人のジレンマ』
ゲーム理論の基本シミュレーションである。
ここに 太田、田中の2人がいる。それぞれがお互いの家に泥棒に入っても良い場合、2人はどういう動きを見せるのか。(考えられるパターンは4通り。表にしたものをもとに説明していく。)

松島:「2人が泥棒し合いをすると田中さんの効用はゼロ」
太田:「効用?」
松島:「あるいは利得とか。満足度、効用って言うんです。」
両方とも泥棒しないと とても平和。」

以降、例の表をもとに『囚人のジレンマ』の説明。

太田:「別の設定を考えることもゲーム理論の先にあるわけね。」
松島:「そう。だから ゲーム理論は一つの分析のための道具なのね。」


太田:「(ゲーム理論の)目的は何ですか?経済を要するにもうちょっと上げたい?」
松島:「金融危機が問題になっているでしょ。
バラ撒き とか、公的資金 とか……。僕から見ると この話をしている人たちは奴隷だと。」
田中:「過去の経済学の奴隷」

3人が話してる、爆笑問題の2人、先生の間のとこのディスプレイに、

○ゲーム理論は『基礎研究』
例:金融危機
金融危機は不測の事態
  過去の経済学の『奴隷』
  ばらまき、公的資金投入、ケインズ政策……
ゲーム理論を使って基礎研究
  病理の仕組みの究明
  適切な政府立案



松島:「そう。例えばインフルエンザ、新しい変な病気が出てきたりするでしょ。ただ、症状を見るとまあ風邪と同じだなと。そうするとちゃんとしてないお医者さんは、じゃあ風邪薬、ちょっと多めに出しておきますってなるわけ。ただ単に症状が風邪に似ているっていうだけで、今までやっていたからまたやるって言っているだけなんです。今回みたいな危機は80年前に一度アメリカで起きています。」

《VTR》
1929年、ニューヨークで株価が暴落し、アメリカの4人に一人が失業。
この不況は世界中に広がり、その規模の大きさから『世界恐慌』と呼ばれた。


松島:「で、80年前って、今の経済学が全然出来上がってない。早い話が 今の経済学のこの流れの中で、今回のような大きな危機は一度も経験がないわけね。経験がない ということは、研究上の蓄積もあまりないわけよ。
    だからね、初めての新型ウィルスの病気でね、風邪薬 山のように投与しちゃった、っていう話で。副作用の方が心配になってきちゃった っていうね。」
田中:「あ~、なるほど」

松島:「じゃあ、それまでわかるにはどうしたらいいか っていうとね、金融危機の中で起きていることを調べていかなければならない。」
太田:「何が原因か…」
田中:「新型インフルエンザは どういうウィルスか、っていうことを調べるということ。」
松島:「そうすると、正しい治療法が分かるわけですよね。ちょうどそれに対応するようなことをやるのが、役回りが ゲーム理論だと。」


太田:「そうすると先生は、例えば さっきその過去の経済学の奴隷じゃない方法としては何があるんですか」
松島:「一つはね、ゲーム理論を使って、金融危機の仕組みをね、モデルにして分析する」

太田:「分析する段階なんだ。今。」
松島:「これはね、分析している段階なんです。」
太田:「段階なんだ。だからまだ具体的にどうすればいいかわかんない」
松島:「わかんない」

太田:「そうするとさ、それは遅いじゃんか。遅いよね。」
松島:「ところがね、遅いっていってもね、でもね危機っていうのは終わると不況が続く。80年前もね、ずーっと続いちゃうわけ。
    で、続くだけならいいですよ。戦争になっちゃった。それ考えればね、基礎研究やって2、3年ですよ。だから遅くない。」


《VTR》
金融危機だけではなく、外交問題や、スポーツの試合での駆け引き。人間関係など。互いの利害が絡む関係ならば、ゲーム理論が役立つ可能性はある。


そして爆笑問題の関係について、太田氏が喋り。

松島:「今まで培ってきたものの中に いいものがあって、それを生かすというやり方を採った方がいい。」

松島:「(爆笑問題において)最終的な責任を持っている人、それは誰かというと 太田さんは田中さんだと思っている。」



田中:「先生は じゃあ 例えば、日本のこういう分野 特にこれはゲーム理論使えば もっとそれこそみんなが幸せになれるんじゃないか みたいな。普段 思うことってありますか」
松島:「難しい質問 言ってきたね」(笑)

松島:「思ってもいない形で現実に利用される っていうことは 大いにあり得ると思うんですよ ね。こういうものが蓄積されて みんなに広く認知されていく。
    日常にゲーム理論のアイディアがあふれるという可能性は大いにあると考えられる。そんな感じですね。」


“経済学は
 みんなが勝った気になる
 夢のゲームを探す。”

松島:「(太田氏に向かって)文学的ですね。」
太田:「そうですね。まぁ…完全に文系です。」
松島:「うーんとね、文系の中でもね とても文学的でね。
    やっぱり、 悩み 悩まされ 混乱し 、っていうのを自分の頭の中でやるタイプ」
太田:「そう。常に大混乱の中にいます。今さら金融危機だって ちゃんちゃらおかしい。僕はずっと危機です。人生の危機のまま。」
松島:「それは危機って言わないんです。日常です。」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『経済学』というと、確かにお金の流れがどうのこうのと、そういうコトを思っていましたね。
みんながそれぞれ欲しいものが、それぞれ得られるように――…、っていうと、本当にこれ、お金とか、物なんかじゃなくて、能力的なコトというか、自分には何が向いてるのか……何が自分の本当に欲しいものなのか、を、見究めて、で、そのための方法論としてなんとかなればいいなぁ~、と思うのですが。
(この前の  NHK マネー資本主義の最終回で、糸井さんが『何が自分が本当に欲しい物か、みんな知らないんじゃないか』みたいなコトを言われてたような…。)
あと、この番組的には初期の頃、 『FILE004:人間は動物である。ただし…。』 で、山岸先生の時に『囚人のジレンマ』についてはやっていたハズですし、またこれについては同じく山岸先生の『日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点』でも書かれてありましたけどね。
ゲーム理論で、爆笑問題の関係についてあったように、
経済ものというよりか、コミュニケーション論だと思いますけどね。
ま、爆笑問題については、太田さんが居ないと面白くないけど、田中さんが居ないと爆笑問題は成り立たないんでしょうねぇ。(^^;

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2009年8月 1日 (土)

“『FILE 080:触ってのお楽しみ』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009年7月21日 放送。
『FILE 080:触ってのお楽しみ』を見ました。

梶本裕之(情報理工学) 電気通信大学准教授

以下、メモ↓


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触覚とは何か?

なんかの装置を頭にはめてる生徒と話す。
『ハンガーマシン』

普通の洗濯物をかけるハンガーを頭にはめると、その はめた箇所によって、首が右なり左なりに動くという。
ハンガー現象。それを機械的にやってみた。と。

生徒:「これ、何で回るかっていうのが今まで分からなかったんですが、じゃあこれを左右に向くのがコントロール出来たら、自由に こう頭の向きをコントロール出来る。」
太田:「何に役立つのかね、これ」
梶本:「だからまぁ 一種のナビゲーションには使えるだろうとは思っています。」

太田氏、実際に『ハンガーマシン』を頭につけてみる。生徒さんがなんかスイッチ押したりして。……。……。太田氏、なんか“頑張って”て、別に首 動かない…。(笑)

田中氏が替わって『ハンガーマシン』を付けると、右に左に首が(頭が)動く。

次の部屋へ。また別のものを 別の生徒さんから。
生徒:「生きているような感じを 触覚的に伝える装置。」
『生き物スピーカー』
太田氏、持ってみると カエルみたいな鳴き声(音)を出し始める。

生徒:「優しく持ってあげないと 鳴き出しちゃうので」

田中氏 持ってみると、吸い付かれる感じ という。
太田氏、また別のを持ってみたり。

生徒:「生き物の心臓の動き、鼓動の動き、あとは呼吸の動き ゆっくりした呼吸の動きっていうのを シミュレートして出力してあげている。」
梶本:「ペットロボットってありますよね。ペットロボットって外見はちゃんと動物の動きをするんですけど、持った時の愛らしさが無いんです。」


また次の生徒さんの作ったものへ。

生徒:「これはですね。鉛筆削りの触感を再現した――。まさに気持ち良さを狙って作った――…。」
『無限鉛筆削り』
実際に爆笑問題の2人もやってみる。モニターと連動して削り具合も見て取れる。ある程度鉛筆が尖ったら、また削ってない状態に戻る。

生徒:「家庭教師で…、子どもが鉛筆削り楽しそうに削っていて これずっと削れたら楽しいかなと思って。」

もう一つ、この生徒さんの作った さっきのハンガーに近いかもしれないナビゲーションの装置。
生徒:「本当に耳を引っ張って ナビゲーションをします。」
『プルナビ(PULLNAVI)』

頭になんかかぶって、そこから枝分かれした物が付いてて、その先端にあるクリップを耳にはさむ。それを田中氏が付けて、生徒さんがリモコンみたいなヤツを持って、右なり左なりに動かすと、田中氏もそっちに動いたり。

田中:「耳ってでも、ホントに体ごといっちゃう感じはありますね。」
梶本:「小さいときに耳を引っ張られた経験のせいかもしれません。」


また次の生徒さんのものへ。
生徒:「ばっさり切られる感覚を出す装置です。」
『バッサリ感 提示装置』

内側になんか丸いもののついたベルトのようなものを田中氏につける。頭にもモニターが付いてるものをつける。切られる映像が出るとか。

映像で、自分に向かって人が刺しにくる画が、
田中:「ぎゃー!」

終わってみて、
太田:「なんで作ったの?」
田中:「悪趣味だよね」
生徒:「作っていた時に病んでた。反映されちゃったみたいですね。」
梶本:「(アクションゲームで『切る側』のものは沢山あるけれど)実は切られる側も作ってやらないと、本当のリアリティは出てこない。」


移動中
田中:「楽しそうですねー」
梶本:「研究ですから 楽しくないと」

また別の生徒さんのとこへ。
生徒:「笑い増幅器っていうのを研究していまして。」
『笑い増幅器』
人の体の胸んところになんか付けて、連動で人形が笑う。
生徒:「笑うと横隔膜っていうのが反応する。」
梶本:「検出した笑いを増幅してやることによって、その周りの場を良くしていく。」


別の部屋へ。先生と3人 机を囲んで座る。
田中氏、『笑い増幅器』を付けている状態。太田氏、田中氏を笑わせてみる。ホントに笑ってる時は『笑い増幅器』が反応するけど、空笑いや、ただの笑顔では反応しない。

梶本:「ある意味の うそ発見器にはなっている」

本当は くすぐりの研究をしていて…、触覚の研究なので。そこからちょっとずれて 笑いの研究みたいになった けど。

梶本:「本当におかしくて笑う場合の笑いと、くすぐりの笑いっていうのは、やっぱり違うっていうことがわかる。」
太田:「違う…っていっても……おかしくなってない?」
梶本:「あの、おかしくなっていく人もいます。笑っていくうちに  心理学で言われるんですが、悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか っていうのがあって。」
太田:「あぁー、どっちが先か わかんないんだ。」

田中:「気持ち的には、むかついてることもあるわけですよね。(田中氏、真面目に喋ってるのに 『笑い増幅器』が反応する。)」
太田:「何がおかしいんだよ!!」
(笑)

『笑い増幅器』を外す。

田中:「そもそも、その触覚っていうのは ま、もちろん触った感じ? っていうこととしては言葉としてはわかるんですけども。」
梶本:「そもそも 視覚や聴覚に比べると、研究が遅れているとは言われています。」

《VTR》
触覚は外の世界との境界線に存在する。グラスを触れるだけで 冷たさ、固さ、湿り気、重さなど、実に多くの情報が伝えられる。
さらに触覚は人の感情にも大きな影響を与える。
触れ合うことで安らぎを得たり、時には不快感さえも持つことになる。


梶本:「で、触覚って多分、そんなに馴染みがないと思うんですね。で、みなさんがよく見聞きしているもの っていうのは…ま、見聞きという言葉でわかるんですけど、視覚と聴覚 2つなわけですよね。テレビとかで再生されるものは視覚と聴覚。それでまぁいいわけですよね。
    だけど 触覚をそれに加えると何が出来るか というのが一つのモチベーション。もともとの動機。」

田中:「(野球とか料理とかを例に出し…ゴルフの時、“ナイスショット”とは違って、)変なトコに当たると触覚がまず最初にイラッ……。結果 飛ばないとかよりも、触覚がヤな感じ。」
梶本:「触覚っていう言葉自体、普通に使ってますけど、あれもともと アリストテレスだったと思いますけど、一番最初に人間には五感があって、っていう言葉の中で触覚っていう言葉を……。」

“人間は触覚を通して世界を認識する。”(アリストテレス)

梶本:「触覚はよく 時間遅れっていう表現をするんですが、つまり 行動をしたときに触覚を提示する。0.1秒でも遅れていると、それに完全に気付いてしまって ずれた感じがしてしまう。
    実は人間の感覚の中で聴覚も速いですが、かなり速い部類の感覚 で、うちの研究室でやっているのが、主に皮膚感覚。皮膚で感じる感覚をどうやって再現していくかというのがスタートポイントになります。」

太田:「(タバコを吸う時に)煙がこう入ってくるじゃないですか ノドに抵抗感があるんですね。
    僕の中では あの抵抗感なんです。で、そう思った時に不快もそこにあるんですよ ちょっと。」
梶本:「多少 不快があると 快に変わるということはよくあります。 ですから抵抗感と仰ったのは ひょっとしたらいいキーポイントかもしれなくて  その 例えば 鉛筆削り。
    削って気持ちがいいのは ちゃんと抵抗感があるからですよね。で、ゴリゴリという音だけを聞いてみると多分あれは不快な、不協和音に過ぎないんですよ。」

太田:「これ、おれの考えですけども 何でそんなことがね、気持ちいいんだろう って。」
梶本:「多分、一つのキーワードは 能動性かもしれなくてですね。太田さんがもし縛り付けられて、そのまま煙を入れられる状況だったら、きっと気持ちよくないと思うんですよ。
    自分で吸ってますよね。で、そこが触覚でも同じことが言えて、触覚の 他の感覚との大きな違いは何か 視覚は一応 ただ見ることが出来る。音もただ聞くことが出来る。触覚は相互作用なんですね。つまり、触って、相手に触られる。
    触る 触られるの関係があって 初めて感覚が生じる。そこに気持ちよさというのは結構生じやすいとは思います。」

“『触る』には いつも『主語』がある。”

太田:「……なぜ こうやって髪を こうやったりしながら話すのか」
梶本:「それはやはり進化論的にはある程度説明がついていて おサルさんの時代からですね。皮膚の上に虫が這っていたり、あるいは皮膚の下に寄生虫がいるというような状況をまず気持ち悪いと感じないと、まぁその個体はアウトなわけです。
    で、まず気持ち悪いと感じて、そして かきむしって、かきむしった気持ちよさというか、虫が這う気持ち悪さっていうのは説明がつきます。
    さらに、先ほど こう(腕をさするようなしぐさ)仰ったんですが。サル同士のグルーミングって言われているもので、その毛繕いをするんですね サルの段階で。で、あれは毛繕いがコミュニケーションになってきて、その触覚的なこうしたら気持ちいい。あるいは、まあ抱き合うと気持ちいい、そういった感覚っていうのが生き残ってきたんだと思いますね。」


太田:「おれ、抱き枕って すげー…発明だと思っていて。」
梶本:「抱き枕 非常に重要ですね。」
太田:「おれは 40越えてから あの気持ちよさを知ったんだけど」

梶本:「あの、有名な話でですね。抱き枕に近いものをアメリカの方で開発してるものがあって、人間の体を周りからギュッと押し付ける。
    まぁ、周りから布団のようなもので押し付けると非常に安心感が出て、ですからその 周りから一定圧を加えられると 安心感が出る、っていうのはかなり一般的な話。」

太田:「ふわふわした布団が気持ちよくても やっぱり動く。止まっていると駄目。」
梶本:「能動性っていうのはそういう意味で、人間の触覚というのは特に たたいたような感じは一瞬で終わっちゃうんですが、その押されたような感覚というのも15分くらいで一定圧であれば消えちゃいます。ですからゴロゴロしないと。」

梶本:「人間は必ず どんな感覚でも慣れというのがあって、そのおかげで差に対して敏感になっているわけですね。」


田中:「映画とか、音楽とかね。視覚や聴覚のエンターテインメントは ある程度まぁ確立されているというか、今後も続くでしょうしねぇ。
    すると今度そこに触覚のエンターテインメントというのを考えてらっしゃる。対抗できるんですかね。」
梶本:「できるかどうかはまだわかりません。ただやっぱり最終的な目標は、触覚だけでエンターテインメントがちゃんと成立するかっていうところです。
    何故 音楽があれだけ成功しているか いうふうに言いますと、やっぱり2000年以上前から、歴史があって、どうやったら和音ができるか、どうやったら悲しい旋律が、楽しい旋律になるのか ということが もう理論立っているから、ちょっと悲しげな曲を作ってくださいってなると作れるようになっちゃってるわけですね。
    ですから触覚で我々がやろうとしてるのはまさにそこです。つまり世の中にあるもので こう触ったら気持ちいい…というのはあるんですが、それをもうちょっと体系化させて、最終的にそれこそ 音楽を作るように触覚をコンポーズする作品を作る ということが出来るような状況にしたい。
    ただその先に何があるのか、っていうのは楽しみですね。」


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まず、生徒の作品が何より面白そうだし、作ってる生徒さん自身が楽しそうで。良いなぁ~って思いました。

“『触る』には『主語』がある。”とか、“能動性”っていうのは面白いですね。
自らの意思で ほかと繋がる、ほかに触れたい、ということ、多少の抵抗や不快感が、安心や楽しさに繋がる。

うん。触れるコトって、…心に触れるとかもだけど、物理的に触れるコトも、コミュニケーションで大切だなと改めて。

あと、生徒さんの作った、切られるのが体感できるやつ。あれ是非 商品化して下さい。面白そう。

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2009年7月27日 (月)

“『FILE 079:味のある話』を 見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009年7月14日 O.A.
『FILE 079:味のある話』を見ました。

都甲潔(とこうきよし)九州大学大学院教授。

以下、メモ。↓


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先ず、素材の違うもので作ってみた『それっぽい食べ物』(←?)を出される。

一皿目、『コーンスープ』……実際は温めた牛乳と、たくあんのみじん切り。
二皿目、『いくら寿司』……実際はいくらに相当する部分がみかん。

人口舌の機械で、甘味、うま味、コク、苦味、塩味 を測る。
『牛乳+たくあん』で、『コーンスープ』と比べるとその味の評価は近いものだった。

別の部屋へ。
モニターに粘菌の画。粘菌は単細胞生物だという。

都甲:「粘菌にも、味覚があることを言いたいんですね。」

画面上にて。甘いのと苦いのと交互に配置して、菌の動きを見ると、苦いのを避けて 甘いのを通って菌が動く。

都甲:「苦味は毒です。甘味は栄養源です。したがって単細胞生物は本能のまま 苦いものを避けて甘いものをとる。
    ちなみに人間の赤ちゃん、苦いものを口に入れると うわっ と吐きます。甘いものを口に入れると幸せそうに感じます。」


都甲:「これ、進化と関係してます。苦味は毒だから。それを避けることができた生物が 今に至っている。味覚というのは進化を支える原動力だった。」


ノドがかわきましたね、とコーヒーを。
爆笑問題の2人はコーヒーをブラックで。

田中:「大人になってくると、苦いものを美味しいと…、食べたり飲んだりするわけですよね。ここは本能と違うってこと…」

都甲:「たぶんですね、こういった楽しい雰囲気をつくってね、こういった場でコーヒーを飲んだことが多い。
    したがってそういった情報がインプットされて コーヒー、もしくはビール苦いもの ハッピーハッピー ってなって。そして
    脳内快感物質が出てきて、快感を追い求めて 苦いものまでも好きになってしまった。 これが僕らの今です。」

太田:「辛いは?」
都甲:「辛味は 実はあれは味ではありません。辛味は痛いという意味です。」
太田:「痛みも快感になる人も多いじゃないですか。どんどん どんどん…。」
都甲:「あぁ〜あれは あり得ますねぇ〜」

都甲:「痛みとか辛みとか、脳内からそれを抑えるために快感物質が出るんですね。」
田中:「だから癖になるんだ。」
太田:「じゃあ 辛いのがやたら好きなヤツってのは…」
都甲:「それはですね 戦後すぐ 栄養源をみんな求めたために甘いものを欲しがった。 それから次…、ある程度刺激のあるものとして、塩分…、それから辛み。」
田中:「そっか、よくわかるわ。チョコレートの後はポテトチップ食べたくなるもん。」


田中:「マヨラーとかでもね…」
都甲:「マヨラーは理由があります。マヨラーは油。 油は脳内快感物質が出ます。あれはいわゆる、 や み つ き になります。」
太田:「マヨネーズ…」
都甲:「油はどんどん欲しい、どんどん欲しい。摂って しかも太る。」

太田:「(田中を指して)油 大好き。」
都甲:「さすが進化した人ですね。」
田中:「ポテチにマヨネーズ、そしてチョコレートの無限ループ。」
都甲:「快感を追い求めてますね。いや でも自分の本能に忠実ですね。」


太田:「そうすると、本能のままいくと太っちゃう だから本能のままいった 甘いヤツらは生き残った ってのはちょっと…」
都甲:「厳密に言いましょう。今の場合の本能は 人間としての本能ということです。大脳を持った人間の本能 という意味です。粘菌の本能じゃありません。」

太田:「そこは人間だけが違うんだ 他の生物とは」

《VTR》
人の味覚には脳内での新しい脳と、古い脳 2つの勢力のせめぎ合いがあると考えられている。その原始的な特徴を古い脳は受け継いでいる。
 一方、人類が進化の中で発達させてきた新しい脳には、苦味に喜びを感じた経験が刻まれてゆく。
 徐々に新しい脳が古い脳に影響を与え、人は苦いものでも好きになってしまうのだ。


都甲:「人間の感性、嗜好性というのは 単純な古い脳で操られる世界に新しい脳の世界がミックスしている。」

都甲:「人間は味だけじゃなくて、目・鼻 全部総動員して」
田中:「あと 歯ごたえね」

太田:「味覚センサーで たくあんと同じだったけど 我々とちょっと違うな って思ったのは、 鼻に抜ける感じとか そこが違うんですね。」
都甲:「仰るとおり。 だから鼻をつまむと意外とやっぱ似てる 味覚センサーは味しか表示しないので。
    これがやっぱり こっち(鼻)も入るし こっち(目)も入るし。」
田中:「鼻つまんで、目隠して飲んでる ってこと」
都甲:「ちなみに視覚は、目は 新しい脳しか使いません。」


太田:「苦いものを避けて甘いものを摂取する粘菌みたいなものとくらべると、人の味覚は、もう格段の複雑さがあるわけじゃない。しかも見た目もあるし、経験も常に変わっていくわけで…。
    流行り廃りなんてのも…、世間でこの味がいま流行ってるとかっていうのも、ずうっと歴史で変わっていくわけで、そうするとさ、生存ということとはもう関係なくなってくるのは…。」

都甲:「はい、正解。
    人間は、もはや味覚を生存と関係ない、趣味の領域に引き込んでいます。単細胞生物の粘菌の味覚は、生き死に関わります。でも僕らは、進化しまくっちゃって、あとは舌が味わってうれしいか、というだけになっている。もう僕らはいまや、あまり舌を使ってないですね。」

太田:「うん うん。むしろ情報のほうが勝ってる。」

都甲:「例えばコシヒカリがありますね。どこどこ産コシヒカリって、えらく人気ありますよね。それをDNA鑑定してね、これは本物とかウソとか言いますよね。でも人間が味わって区別がつかなかったら、それでいいじゃないですか。どうしていちいち、どこどこ産コシヒカリにこだわる必要がある。情報が勝ってるんです。
    自分の舌を信用してほしい。もっと古い脳を生かしてほしい。今の人間は進化しすぎて新しい脳しか使ってない。情報ですよ。これは間違ってる。もっと自分の舌を信用する。」

太田:「じゃあ、先生の機械は…」
都甲:「機械だったら、どこどこ産コシヒカリ、どこどこ産コシヒカリ
で味に差が無ければ、ブランドがあろうが無かろうが 同じ味が出ます。これは面白い。つまりブランドなんか関係ない という世界ができる。」

太田:「それこそさっきのあれじゃないけど いわゆるブランドの情報が頭に入るということで、やっぱり微妙に味覚が変わってるっていうことでしょ。」
都甲:「そういうことです。人間が変わるんです。」

太田:「でもそれが 味覚ってものだったんじゃないのって話じゃない…。」
都甲:「僕らは。でもそれは問題あるんじゃないか。もうちょっと古い脳を使ってもいいなじゃないか、と。」


太田:「僕は 味 そんなこだわんないほうなんですよ。」
都甲:「はい。」
太田:「食べ物別に…なんでも食べるし。ただ最近思うのは、美味しいとか不味いとかよりも、食ってて 気持ちいい…。
    僕はね 豆腐が一番好きなんですよ。そうするとね 先生 、豆腐を食ってて一番感じるのはうまいとかじゃないんですよ はぁ〜気持ちいい。っていうことなんですよね。
    気持ちよさ なんですよ。僕にとって 食べ物の基準。
    たとえば部活のとき…学生のとき ノドからからで飲む水ってうまいじゃないですか。うまいっていうよりも、体が欲していると思う幹事。味以上にそっちの方が重要。」
都甲:「要するに味覚に特化しないんですよ。僕ら文明人の場合には。味覚とか、嗅覚とか特化していくんだけども…  特化してません ね。 真っ当だと思います。」

田中:「先生もともと…」
太田:「先生の研究の先には何があるんですか?」
都甲:「こういった味を測定する装置をつくることによって ま、全世界の地球上に 味の尺度。味のものさしを作りたい。」

都甲:「このコンピューター(手元のノートPC)3kgあるんですよ。重いと軽いというのは人の主観なんです。ところが3kgというのは客観。
    味の世界には主観しかないんです。そういった世界に初めて客観的な物差しを持ち込むと文化がどう変わるか。私はそれを見届けたい。
    僕は食譜といいます。食品の楽譜。」


先生の研究のキッカケはにんじん嫌いからだという。奥さんがみじん切りにしてハンバーグに入れたのがキッカケで食べれたため。その衝撃を受けたキッカケだと。もともとは電子工学を専攻していたという。

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日本酒にね、『日本酒度』っていう味の基準を表すものが表記されてる場合があるんですね。プラスの数字が高ければ辛口で、マイナスであれば甘口で。さらに酸度によってまた味が違うらしいのですが。

都甲先生はこういう味の客観的基準を作られたいというコトでしょうか。
どうしても人によって、体調によって日本酒の味の感じ方も違うということなのですが、これは大変なことですね…。

あと苦味のものをを食べれるようになったコトの理由は面白かったですね。

味の客観的基準があると、その食品を食べたことのない人に味の説明が出来る、というのは面白いかもしれません。でも、脳がはたらく以上、味そのもの以外の複合的な理由が重なるのは必然なのでしょうが。

この前のオーラの泉で美輪さんが箸を替えて食事を楽しむ、というのも一つの理由となると思いますので。
なんにせよ楽しく、美味しく食べれたら良いのではないでしょうか。

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2009年7月25日 (土)

“『FILE 078:やっぱり、みんな有罪ですか?』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.07.07.O.A.
『FILE 078:やっぱり、みんな有罪ですか?』を見ました。

後藤昭 先生。刑事訴訟法。一橋大学大学院教授。

以下、番組メモ。

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先ず、後藤先生から、先生の研究室の中から、一番古い本はどれでしょう?と。で、
先生が答えの本、明治13年(1880年)の、今で言う 刑事訴訟法の本を取り出す。明治憲法より前だという。
(画面下に註釈:“大日本帝国憲法(明治憲法)の発布は明治22年(1889年)です。”)

後藤先生より、裁判員制度…やりたいですか?と聞かれ、太田氏は やりたいです。田中氏は やりたくない。と。

田中:「先ず、めんどくせぇな。裁判員の通知が来たとして―…、仕事休まなきゃいけない。大変だろう。その事件知らねぇし。
実際 行って、イチから説明を受けて、こういう訴えがあって………。
   TV見ながら『コイツ死刑でいいわ』って感覚じゃダメだろうな…とか。」

田中:「一庶民として、人の生死を自分で決めたくない。もっと無責任な立場でいたい っていうのは多いでしょうね。きっとね。」

太田:「大半の日本人 裁判員制度に関しての態度ってのは 要するに 自分と関係ないことに、  まず 見たくないし、参加したくないし、考えたくない。なるべくなら関わり合いたくない。
   だからいつまで経ったって 憲法改正にしたって 国のものすごく重要な問題にしたって、口に出して言うことは面倒だから 誰も言わない っていうことが殆どなんです。」

後藤:「そこはすごく重要なポイントだと思うんです。自分に関係あることだと思えるかどうか。」


たとえば、刑法にしても、それを決める議員さんにしても。その議員を選んだのは『私たち』で―。


後藤:「この人に死刑を執行するということについて みんな責任を持っている っていう。」
田中:「ものすごい間接的には ね」


後藤:「裁判員裁判っていうのは そういう 他人の人生のすごく重大な場面に立ち会って、どう解決したらいいのかっていうことを一緒に考えるっていうことだと思うんですね。」


後藤:「裁判員は有罪か無罪か判断と…―。それから有罪だったら 刑をどうするか考える。
   有罪か無罪か というのは 主として事実の問題ですよね。この人は本当に犯人かどうかっていう。あるいは殺意があったかとか 無かったかとか。」


後藤:「検察官と弁護人のどっちのストーリーが本当らしいかじゃなくて 検察官が言っていることが 本当に疑いがないほどね 十分に証明されているかどうかを判断するんですよね。」


後藤:「どっちかといえば犯人らしくても、やっぱり疑問が残れば やっぱり無罪にしなきゃいけない。
   これが無罪推定っていう考え方ですね。」

太田氏はプロと素人との差で、疑わしくても刑は処するんじゃないかと。しかし 後藤先生は、実際は逆で 素人の方が無罪にしやすい と。

後藤:「裁判官っていうのは いろいろ事件を経験していますよね。だからね 事件ていうものを、パターン化して考えるんだと思う。」

太田:「我々が思ってるほど 証拠がそろってなくて有罪になってる ってことですか、逆に。」
後藤:「かもしれないですね。それは難しいですね。

    統計を取ると、99.9%が有罪になっているわけです。起訴された人の。だから1000人に一人くらいしか無罪になっていなかったわけです。」

太田:「法律と自分たちとの生活が乖離している感覚というのが すごく起こりがちだけど、裁判員制度というのが始まって 少なくとも一般の目がそこに入ってる ってことになれば それはもうちょっとかいしょうされる というか――…。」

後藤:「法律っていうものが自分たちのルールだってみんなが思っているかどうか っていうことですね。 私、日本ではね あまりなかったんじゃないかって。
    法律と自分たちの仲間内のルールが違うんだと…、仲間内で解決すべきときに法律というところに訴えるのは仲間内のルールに反するんだっていう。
    法律と自分たちの生活を分けて考えているっていう 二重構造があると思いますね。それが一番問題ですね。」

太田:「それは問題かな?」

後藤:「だと思うの 僕は。
    だって法律っていうのは自分たちのためのルールなんだから。」


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先ず、田中氏の意見が多分、ホントに大多数だと思います。

なにかよくわかんない。めんどくさい。

私自身、なんかめんどくさい、と思ってますが。

ただ、一生に一度ということ。後藤先生のように丁寧に話をされたら、とか…それで本当に人の人生のためになれば…とか。
あとは、裁判員裁判自体見直す可能性もあるみたいだし。


あとは法律自体の関心について、太田氏が色々突っ込んでましたけど、実際、なんだかよくわからないうちに法律が決まってしまってる、ってのは感じるんですよね。
自分たちで選んだ議員なんだから…って言われても…ねぇ。

裁判員どうこうについて、もですけど、『個人と法律との在り方』について考える回でもあったのかと。

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2009年7月20日 (月)

“『FILE077: 「U.S.I LOVE YOU」』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.06.30.O.A.
FILE077: 「U.S.I LOVE YOU」 を 見ました。

日米関係史・米国憲法史の、阿川尚之先生。

今回、気になったセリフを中心に、以下、メモ。

――――――――――――――――――――――――

阿川:「アメリカって言ったら、アメリカって何なの?」
太田:「(オバマになっても)根幹は変わってないと思う。」
阿川:「根幹って何?」


阿川:「有無を言わさない 一方的なアメリカというのは確かにありました。
ただ、私の言っているのは 明らかに後世見て、ちょっと乱暴だったとか、それは許せないんじゃないっていうのはどの国にもある。日本人自身がそういうところを持っているし。中国も…ヨーロッパも…アラブも ある。
そういった時に アメリカというのは比較的 それはおかしいんじゃないかという声が出やすくて。元へ戻す復元力はあるから たとえば そこを共感するということは大事じゃないかと。」

阿川:「引けば無責任と言われ、いると早く出ていけと言われる。」

阿川:「アメリカは本当にこんなのでいいんだろうか というアメリカ人がいっぱい いて、だけど彼ら…」
太田:「そこがアメリカの良さ。嫌な国だって言っているんじゃないんですよ。」


阿川:「外交って何なの?」
太田:「わかり合うためのもの…」
阿川:「違う。」
太田:「……違うのかな…」
阿川:「全然違うよ。
外交っていうのはさ、日本の国民の大多数にとって、より安全が確保されて、より戦争の危険が無い そういう状態にするために 武器を使わないで 可能性を追及することで。わかり合うことじゃないでしょ?
だってさ 外交って敵ともやるしさ、気に入らなくてもやるんだから。」


阿川:「アラブ系のアメリカ人と話すと 全然違う話をするし、その多様性の中で本当に話してよ。」
太田:「いやいや、先生が危惧しているほど、日本人はアメリカを否定的に思ってないです。」
阿川:「今の若い人を見ていると、むしろ当たり前になりすぎていて 理解しているって勘違いしてんじゃないかな って。」


――――――――――――――――――――――――


今回は……、特に前半は…田中氏も番組中で言ってたけど、話が進まない…。(笑)
禅問答のような…、話が噛み合わない。
太田氏が苦労して言葉を選んでるなー…っていうのが見て取れますね。

親米の先生とはいえ、『太田総理』で太田氏とケビン氏でやり合うのとは、また意味が違うというか、なんというか…。

外交に関しての見解は興味深かったです。
辞書だと『外交』は、
“外国との付き合い。交渉。社外に出ていって行う取り引き。”
とあったので、
阿川先生の言われる、安全のため…あとは利益とか?、共感やわかり合うでは無いんだな、と。

アメリカだから…というよりか、お互いがお互いのためにどうしていくコトが良いのか…お互いが良い関係になるために、お互いが得するためにどうしたら良いか。
ビジネスの交渉事に関連してるんでしょうかねぇ…。

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2009年6月30日 (火)

“『FILE076:「『時間』という名の怪物」』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.06.23.O.A.
FILE076:「『時間』という名の怪物」を 見ました。

実験心理学・一川誠(いちかわまこと)先生。

以下、番組メモ。


――――――――――――――――――――――――

心の時間を計る。
シールドルーム というのに、先ず2人に入ってもらう。
そこで2人に雑談してもらって、心の時間を計る という。

一川:「感じる時間と、時計で計られる時間とは ずいぶん特性が違います。同じ1分であっても、人によってとか 色んな条件によって、長さが変わってきますね。」

結果、何分話してたかを書いてもらうと、田中氏は2分、太田氏は5分。で、実際は3分6秒だった。

一川:「大人になってくると、毎日の生活がルーティンワークになってきます。そうすると 時間経過が決まりきったことになってくるので、心的に体現されるイベント数が減る。
実は「待ち遠しい」っていうのは、時間を長くする効果がありまして、あとまぁ、体の代謝によって、感じる時間が速くなる。
たとえば、心的時計っていうのは普通の時計に比べると だんだん進み方がゆっくりになってくるみたいなんですね。
子供のころっていうのは、わりと代謝が激しいので、体温なんかも高いですし 心拍も速いですし。」


ジャネーの法則。
例えば5歳の男の子はそれまでが5年しか生きてないから 1年は長く感じるけど、40歳の人は40年も生きているうちの1年だから、速く感じる。


一川:「でも、ジャネーの法則だけでは説明しきれないところがある。」

田中:「まぁ 人間80年とか生きるわけじゃない。で、ネコだと…。セミだと一週間とかなるじゃない…どんな…全然違うんですかね。」
一川:「たとえばネズミも寿命が短いですけど、ネズミっていうのは 1秒間にできる数が人間よりも多いんですね。
ひょっとすると ネズミにとっての1秒は人間にとっての より多くの心的体験をしているかもしれなくて。」


田中:「それこそ 子供のころの授業の時間は長かったよね。休みの時間は短いんだけど。…」
太田:「おれは3年間友達がいなかったものですから、一生続くかと…。
机に365本線を書いて、今ここ、あと こんだけ、距離にして。あと こんだけ だから がんばろう。…みたいなことをしてたんですよ。
それと友達がいないものだから、学校の10分の休みがむしろ授業中よりも長く感じる。
みんながワーワー騒いでるとき 1人で座ってるときのもたなさ。」

一川:「今みたいに その、365日線を引いてって、どうしても時間に注意向きますよね。
時間の経過な注意が向くと、時間というのはなかなか経たない、って感じなんですよ。
逆説的なことが起こっちゃうんですよ。」

一川:「時間経過以外のことに注意を向けると、時間っていうのは わりと短く感じる。」


一川:「感じる時間って 色んなことで変わるんだけど、みんな大体時計の時間通りにできる っていうふうに思ってるんですけど、やっぱり間合いであるとか その時の体の調子であるとか、全然変わるんですよね。
そういうことって あの、漫才されてるお2人はよくわかりますけど、一般の方ってよく知らないので、みんな同じような時計の時間に合わせるって 実は結構大変なことで。」


違う部屋へ。
パソコンのモニター上で、黒い線と白い線が動く動画を見て、それによる脳の錯覚について。
わかってても、錯覚は感じてしまうとか。

また、さっきの部屋へ。


一川:「それぞれの時間があって、色んなコミュニケーションをする中で、一つだけ真実の時間があるってことじゃないと思うんです。」

太田:「そう考えると、ホント時間って計りとして頼れるもののように感じてるけど、
実はなんか、一番いいかげんな気ぃすらするね。
基本のグリニッジ天文台の何とか時計みたいなものがあるじゃん。要するにあれを基準にするわけですよね。だけど、それではたしていいのかっていう気すらします。」

一川:「グリニッジの時間に合わせたのって、日本で言うと明治21年なんですよね。それまでは昼間は日が昇ってから落ちるまでっていうのを時一つっていうのを、まあ日の出から日の入りまでを六つに分けてっていうことをしていたんです。」


《VTR》
明治時代に西洋にならって24時間制を導入したこと。全て 時計を中心とした生活になった。
それはすなわち心の時間を無視することになった。分や秒に刻まれ、利便性を追求するように……。

一川:「本当はみな『死』に近付いていってるはずですけれども、均質に時間を感じてしまう、っていうのは 一期一会的な時間の感覚を奪っている。
今日も明日も同じ時間。
で、それはまぁ、一種 人間が自分の限界をなるべく見ないようにするっていう、そういう一種の自我防衛規制みたいなものが、背後にあるっていうことが見えると思います。」


一川:「等間隔の時間を使って生活するようになったのは、まあせいぜいこの150年ぐらいで、人類の長い歴史の中で見ると、すごく特殊な生活を私たちは実際はしていて。実はもうちょっと長い時間にわたって、太陽のペースに合わせて生活していたはずなんですけど、今は別に太陽のペースに合わせなくても、こうやって照明をつけて夜中でも仕事が出来たりしますけど、まあこういう環境自体がこう実は人間にとってすごく特殊な状況で。
本当はやっぱり 一日の中でも速く感じる時間帯とか ゆっくり感じる時間帯とか……。」

太田:「そうすると、それこそニワトリのブロイラーじゃないけど、電気をつけた、消したで勘違いして卵産んじゃうわけだよね。
あれはニワトリにとっちゃ、一日1個卵を産むはずが、2個産む、っていうようなことに もう、体がなっちゃうわけでしょ。その照明の環境の変化で。
そりゃあ完全に、体内の時間の使い方がいわゆる普通の…なんていうんですか…地鶏というかその、そのへんの、野良ニワトリ…」
田中:「野鳥でいいじゃねぇか。」
太田:「野鳥か。…とは、コイツの生きた人生と、コイツの生きた人生は絶対違いますよ。
ああいうことが実際に起きるっていうことは、人間も絶対にそういうことがね、起きているわけで。
そうすると、グリニッジの時間なんかさ、あてになるわけがなくて。それぞれが持っている時間でしかないわけで。
でも、同時に存在してることは確か。ってことは同じ時間を共有してる…。
それぞれの時間なのに同じ、っていうことは、
おれはそれこそ、時計をパカッて開けた時に、この歯車と大きい歯車と回転数はそれぞれ違っているのに、それぞれの時間は違っているのに、一つの時間を表示するわけじゃない。そういうことが…世の中が全部 そういう感じで 噛み合う。。。」

一川:「たぶん でも、色んな個人の主観があって、その時間を みんなが主張すると混乱するから みんなその共通の時間、っていうのを決めてるんですけど
そこに こう あんまりにもよっかかりすぎると、みんな こう ちょっとずつズレてるので、ストレスが高い、っていうんで。
若い人なんかは 時間、時計に合わせるよりも、携帯電話なんか使って、ちょっとズレていく、っていうことをどんどんしだしていっている。」


太田:「お金の話とも近いですよね。なんかそのそれぞれの価値って全然違うのに、とりあえず統一させるために値段をつけて、でも その 値段が変動するから混乱するわけだけど、そういう…やっぱり主観でしかない。
なんかそこに価値…あまりにも金にとらわれすぎると変なことになってくるじゃない。」

一川:「最近人間はこう自分で色んな技術を使って、高速で移動したり、短い時間の中で大量の情報を流通させたりしてますけど、こういう環境って人間が作り出した環境の中で、今まで進化の過程で無かったようなスピードを体験してきているわけです。
一瞬のうちで判断できることっていうのは、歩いたり走ったりという感じだと あまり問題無かったのが、例えば40km、50km、高速で移動することによって、
今まで見落としていても大した問題じゃなかったものが、いきなり危険になってしまうということで、まぁそれが原因で色んな交通事故とか、電車事故みたいなものが起こってるんじゃないかな、ということは すごく心配されますね。
だからこそ人間っていうのは限界があるんだっていうことは知っておく必要があるかな、というふうに思います。


(浦島太郎の話で)
太田:「遠い昔の思い出になった時に、美が完成するっていうわけだよ。」


田中:「今後、時間と人間の関わり合いっていうのは」
一川:「グローバリズムっていうと、みんなが世界時間みたいな感じで、夜中でもトレーディングできる。いつでも商売できる。夜中でもコンビニが開いてるとか。
たぶん、この流れっていうのはあまり変わらないと思うんですね。
ただ 24時間、均質な時間を生きているつもりでも、体の時間っていうのは太陽の周期に合わせてる時間なので。

24時間 自分の思い通りにいくらでもコントロールできるんだっていう思い込みは やっぱりちょっと危険だと思うんです。
だからその人間にとっての 体の時間とか あるいは心の時間……。
人間の持ってる危険性、逆を言うと可能性をもうちょっと理解していって、それが潜在的に危険とか 避ける方向で……。」

一川:「昔に比べると、できる可能性があることって増えてるんですよね。でも24時間っていうのは変わらないんですよ。
そうするともう優先順位をつけて、やりたい方から順にやっていくしかないですね。
たぶん、全部やる時間は人間誰も持ってないと思うんです。
ま、主観的に操作できる範囲って限らてるので、やっぱり優先順位をつけて…っていうのが…。」


――――――――――――――――――――――――

何かに書いてあったのか、前にこの番組での発言だったのか忘れましたけど、
人は時間を生きてるんじゃなくて、時計気にしてを生きてる。と。

それは集団生活を送るのに当然というか、時間を共有して生きるワケだし、働くワケだし。

じゃあ、どういう時間を過ごすのが一番良いのか、安直に言い易いのは、『自分の時間を生きること』ってなりますけど。

…どうなんでしょう……。時間の感じ方を自分のものにする、っていうことでしょうか。
時間を気にすると、時間に煩わしさを感じるかもしれませんし。

まだ、時間に関してはよくわかりませんね。
興味はあるんですけどねぇ。

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2009年6月24日 (水)

“『FILE075:「博士が愛した『イノチ』」』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.06.16.O.A.
FILE075:「博士が愛した『イノチ』」
を 見ました。
“複雑系科学”池上高志(いけがみたかし)先生。

以下、メモ。

――――――――――――――――――――――――

池上:「生命の一つの特徴として、自分で動き出す というのがある。」

池上:「これは カオスっていう研究で 水を乱したいのに どうやったら水が乱れるかっていうのは あまり分かっていないんですよ。

乱すためには 何が必要か っていう研究。」

〈ナレーション〉
水は 何故か乱れる。
生命はときに不規則な動きをする。そこに何か共通点はないのか。


(ロボットにipodを入れて音楽を流して 勝手に踊るようにしてみたり。)

田中:「先生はなんで このような研究を―…」
池上:「生命を理解する時に、DNAがあって たんぱく質があって って調べなくても 生命っていうものが何かあるような気がする。
生命そのものをとらえるために 物質的なものじゃなくて 何か ダイナミクス(動き)とか 別のことから理解できるんじゃないか。」


《ゲーム オブ ライフ》
[どんな動きが生まれるか 事前に予測できない]

(パソコンモニター上でそれの動きを見る。そして ビットで構成されたものの一つをちょっと取ってしまう。と、さっきとは違った動きに)

池上:「大事なのは あたかも安定に動いているやつの背後な こういう不安定な海が広がっている。
それが生命のダイナミクス(動き)と関係があるんじゃないかと はかなさとか 寿命があるとか。」


池上:「生命って どう思います?
生命って時間と同じようなものだから動いてなくちゃいけないし、変わりゆるものだし 寿命があったりするし そういうものをどうやって表すか…―」

太田:「それこそ 細胞一つであったり 太陽系を回る星だろ―…」

池上:「ぼくが大学生の頃に、水の分子を1個持ってくると 水だか氷だか水蒸気だか分かんないですよね。
いっぱい集まってくると、これは氷だったとか、水だったとか分かるじゃないですか。
生命も同じように、1個だけ分子を見ていたら、生命の分子なのか 物質の分子なのか分からない。
でも いっぱい集まってくると 生命の一部だったのかって。そうすると 生命っていうのはどこにあるんだ。
生命っていうのは むしろ どういうふうに見るか っていう問題で。」

太田:「見るスケールによって違いますよね。

鳥の群れとか 魚の群れとか見ると、あれ1個1個が細胞のようにも感じるし
それの群れの動きがさ こう(両手を使って大きくうねる動きを表す)なんなるしさ そうすると あれは一つの意思だって こっちから見たら。
一人一人はそりゃ違う意思があんのかもしんないけど 生活の仕方としては 群れで生活するわけだから 一つのキャラクターですよね それは。」


池上:「生命をそういうふうにして作るときに 我々のその あらかじめ思っているイメージがあるでしょ。
イヌとかネコとか―…それに似たものしかできない。
どうやって僕らが考えもつかなかったような生命らしさの本質的なものが出来るか、っていうことに興味があって
考えもつかないところから 持ってこなくちゃいけない。」

太田:「木とか植物はどうなんですか」
池上:「植物も動いている」
太田:「時間の感覚が我々と違うだけで。―…、動物に近いですよね それは。」


池上:「生命って考えると分からなくなっちゃうから 生命は無しにしよう っていう人もいるわけ あと 意識も。
意識なんか無しにしよう。意識も生命も無かったら ラクですよね。
(物理と化学だけやってればいい…。けれど 意識も生命もある。)
そういうことがあるから 研究しなくちゃいけなくなって みんなすごくわけが分からなくなる。」


池上:「多くの生物は ある程度以上のイメージを持てないんじゃないかと思う。」

太田:「細胞レベルのものが 人間を想像するみたいなことが、人間が宇宙を想像することと同じようなことだとすると たとえば神ってなんだろうとか、創造主みたいなことを想像するときに おれはよく… だってそれこそ先生がさっき言った、アリが人間を認識できないのと同じように おれの想像の範囲の中に 神なんていうものが認識できるわけないじゃないかと思う。
いくら めちゃくちゃなヤツだっていうことを想像しても どうしたって範疇を超えない。
逆に言うと、アインシュタインが相対性理論で言ってることって よく読んでも わけわかんない。」

《VTR》
アインシュタインの画。『宇宙全体を支配する法則を見つけた。』

太田:「おそらくアインシュタインみたいなヤツっていうのは、自分で一番 法則が ってこと言っていながら おれ一人だけその法則に従いたくない みたいなところがあるでしょ。」
池上:「それは面白いね。」
太田:「だってアイツが この世の中の物理原則は全部決まってるって言っておきながら。
…要するに なぜそれを証明したかっていうと、そこから抜けるにはどうするかを見つけようとしたかったからじゃないか って思うんですね。
それこそ時空だなんだって話んときにはもう わけわかんないところに飛んでいくじゃないですか。
言ってみりゃもう 地球上の時計で考えているものじゃないよ 時間っていうのは。」

池上:「自分で時間を作らなくちゃいけない。時間を作ってやることが、さっき言った自由意思に近付いたり、自分でその世界で決まっちゃってる時間の流れからズレたり。」


田中:「先生の中で、生命っていうものを定義付けを もしするとしたら?」
池上:「生命じゃないけれども 生命になれなかったものたちについて知ることが結構大事。
そうすると 今の生物学に対する すごい双方向的なアプローチ。

僕はその 生命じゃないんだけど 周りのものをダーッと作っていって理論を作っていくと
その特別な例として 今ある生物が分かるんじゃないか。 生命の定義とか 実はどうでもいいんじゃないか。」


池上:「たまごっちとか AIBOとか 人工生命じゃないかって話があるけど。
たまごっちとかは 僕らが思っているイヌやネコや小鳥のイメージから作っている。しかも自立的に動くわけでもないし、自分の時間…スケールを持っているわけでもない。
本当の生命よりマイナスのものしか出来ない気がする 真似して作ろうと思うと。」


太田:「人間に対しても 何らかの擬人化を僕はしちゃう。」
池上:「擬人化を超えたいみたいなところがある。
たとえば生命を語るときに、同じ…知ってる言葉で語ろうとするじゃない
でも たとえを作ったら その たとえのものしかこれないでしょ。
ロボットにしても、さっきのぐるぐる回るヤツにしても、それそのものはよくわかんないんだけど、来たるべき生命を理解するための いろいろな言葉をそろえている。」

池上:「自分が分からないことが大事。そこを残しつつ進まないと 本当に生命の理論は作れないんじゃないか。」


太田:「表現っていうことに関しては、全く別の世界に飛ぶんじゃなく、滑走路の先に ポン! って行く瞬間があるような気がしている。
別の世界っていうのは…自分を壊すってのもあるんだけど、ある意味 逃げにしか思えない。」

田中:「たとえば画家 目指してるヤツがいて、だけど絵は下手だと。だからってヘタウマに逃げて、これをシュールだとかって言うのをコイツはキライなんですよ。」

太田:「誰にでもわかる簡単なことで 尚且つそれが突き抜けることが やっぱり一番型破り。」


――――――――――――――――――――――――

鳥や魚の群れと、一つ一つの意思に関しては前にも似たような…政治の話かなんかの時に、同じグループに所属してる人がみんな同じ考えじゃないだろ、ってコトを太田さんは言ってたような。

生命の定義についてが議論されてたけど、どの生活集団に居る自分が、本当の自分なのか、と。

だけど集団はもともとあったり、自然発生してたり。

生命の定義や、たまごっちがイヌやネコやらと同じように、もともとある枠組みから外して、『動きのあるところ』から名称や枠組みをアプローチしていく池上先生は斬新ですが、大変 骨が折れることですよね…。

オリジナルは真似から生まれる。『学ぶ』は『真似ぶ』とは言いますけど…。


ところで、『地球上の時計で~…』とか『自分で時間を作らなきゃ~…』ってトコから、昨日O.A.ぶんに繋がっていくのかな。

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2009年6月15日 (月)

“『FILE073:人類よ声を聴け』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.06.02.O.A.
『FILE073:人類よ声を聴け』を、見ました。

文化人類学・川田順造(かわだじゅんぞう)先生。

番組内容、うろ覚えチラホラありますが、内容、気になった点 などなど。

――――――――――――――――――――――――

(太鼓の音で、王朝年代記を伝えるモシ族)
川田:「モシ語っていうのは、日本語と違って音調言語。
たとえば シダ(語尾下がる)って言うと「夫」っていう意味で、シダ(語尾上げる)って言うと「本当」って意味」
太田:「それじゃあ 太鼓の音も 高いと低いで違うわけだ」

川田:「言葉の原体 それが脳にあって、それが口から出ると こういう言葉になる。口から出ないで、指先の動きになって出ると これ(太鼓言葉)になる。

文字なんていうのは ね 、ごく新しく、一部で発明された。
しかも それを 人々が、大勢の人が使うようになったのはものすごく新しい。
文字教育が普及したのは日本は寺子屋教育のおかげで 江戸時代からかなり普及していたけれども、ヨーロッパになると19世紀になってからみんなそういうのを 文字を使うようになったわけですね。
だから結局、あの 文字を使うというのは 人類の中でも ごく限られたものだった。
ただそれが普及したために それで人間が得たもの というのは それは非常に大きいし、その知恵を蓄えたり、洗練したりする上に かけがえのない大きな力。」


川田:「言葉にならない 声の 伝達」
太田:「文字にしちゃったがために 失ったものってあると思うんです。」

(たとえば「がんばれ」っていう言葉。言うことによって別に追い詰めてるわけじゃないんだよ、っていう。言う側の想像力、受け取る側の想像力。)

太田:「言葉にならないことばかり言っていてもさ 駄目だし。
言葉だけに よってっちゃっても駄目だし。
その中間の…」
田中:「曖昧な部分」
太田:「それを表現したいんだけど、それっていうのがすごく難しくて…」

(川田:「こんにちは、さようなら、ありがとう が、無い。人間関係や、立場が複雑。
また、さようなら と言うにしても どこに行くか異なるため 状況によって細やか 込み入っている。」)

太田:「言葉に ヘレン・ケラーが言葉を持った時に失ったものをつなぎ留めて 我々のぐちゃぐちゃしたものの中に染み込ませていくのが本当の残す…っていう。
感情を消すな ってことでしょう。」


川田:「家内とアフリカで、日本語を使う人間としては二人だけで…しかも始め 新婚早々に行ったんですよ。
そうするとね だんだんね 毎日 朝から晩まで同じ体験をして それで二人だけで日本語を話していると、言葉が衰退するんです。
つまり いちいちこういう めんどくさい表現をしなくても よく ツーカーの仲とかって言うけども かんたんな合図で意味は伝わっちゃうわけ。 だから 言葉っていうのは やっぱりある程度 よそよそしくなければ成り立たない っていうことを感じたんです。」

太田:「必要ない ってことかな それは」
川田:「ツーカーで通じちゃうからね」
太田:「通じちゃうから」


太田:「なんでも 交流するのは なにかしら探していることだと思うんですよね。
自分から発信して どう返っていくかによって 自分ってなんだろう こいつはなんだろう 先生はなんだろう っていうことを探っているわけじゃないですか。
そのために 言葉を使って 表情を使って 音を使って 声を使うわけですよね。
で、それっていうのは最初に赤ちゃんが生まれて、オギャー オギャー オギャーって泣く。っていうことから 根本やっていることは 変わってないような気がするのね。
つまり ガーッ て叫んで 周りの反応確かめて 自分の感情をなんとか伝えようとする。
で、楽にしてとか 苦しいとか 楽しいとか っていうことを まぁ大人になってもそれと同じことを 言葉をたまたま覚えたから言葉によって伝えようとするだけで、基本、自分はここにいるんだ っていうことと、あなたはどこにいるんですか っていうことと。っていうのを確かめ合う。」

川田:「やっぱり あの 声っていうのは 自分と人とをつなぐものですからね。みんなが 声でコミュニケーションしないようになったらばね。
僕はメールのやり取りって嫌いなんだけども、電話の方がずっと好きです。」
太田:「メールはメールでちょっとは面白いですよ。先生やんないすか メール。」
川田:「感情も こもらない」
太田:「いや、こもるって」
川田:「あ、ホント」
(笑)
川田:「そりゃあ だって もちろん文章表現で感情をこめることはできるけどもね。ただ本当に一番大事な約束ってのは 口でやるのが大事ですよね。
あの 子どもの言葉遊びなんか聞いてると、とっても 声が 子どもが いきいきとしていて。今の日本の子どもだと おそらくパソコンとかテレビゲームとか そういうもので熱中してるから 一人で閉じこもっていたんでは これだけ いきいきとした声で 人とコミュニケーションできないんじゃないかと。

そのお二人は まさに声の専門家ですが 声の復権。声というものを もっと大事にして みんなでそれを大事に使うようにしたい というふうに僕は思うんです。」


『どの声もたった一つの響きを持つ。
どの文化もたったひとつの輝きを持つ。』

――――――――――――――――――――――――


『自分はここにいるんだっていうことを~~確かめ合う』

これで、次週放送ぶんのFILE074に繋がってきてたのかな。

結局それがコミュニケーションすることの本意というか。
言語化しにくい感情を出す、っていう。太田さんが一貫して言葉に対する疑問を持ってるコトですね。
そこに今回は触れた回だったのではないでしょうか。
太鼓の音で伝えるとか、先生の、
「言葉っていうのはある程度 よそよそしくなければ成り立たない」
って言葉とか。

メールのやり取りでは簡素なメールが感情が分からなくて困るコトもあるかもしれないけど、
発声する、話す、っていうコトが大切なのでしょうね。

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2009年6月10日 (水)

“『FILE074:私は ここに いる』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.06.09.O.A. を見ました。

冒頭、オープニング前に流れたテロップの、
“彼らも、私も、「言葉」を武器に 生きている”
が、なんか印象的でした。
障害学:福島智(ふくしまさとし)先生。

――――――――――――――――――――――――

「こんにちは」と挨拶すると、福島先生からも挨拶が返ってくる。
“指点字通訳”の方 2人がサポートされ、同時通訳(?)してるような。

太田:「自分の声は聞こえてるんですか?」
福島:「聞こえない。昔の記憶で話してるんです。」

《VTRで、》
福島:「バリアフリーを取り巻く、バリアを取り除く。」


始めに 福島先生が授業などで行なっている、盲ろうの疑似体験。アイマスクに耳栓をして、太田氏が田中氏の手を引いて(当人は誰が手を取っているのか知らない)、健常者に“発見”させる という。
その状態で福島先生が太田氏に『どんなきもち?』と尋ねると、太田氏は『ふあん』と答えた。
…そして、アイマスクと耳栓を外す。

太田:「不安だった」
田中:「不安です」

福島:「指点字で 名前を打って頂こうかな」

(太田氏が指点字で名前を打っていく。…『き』…、『む』…、…)
福島:「きむらたくやとは似ても似つかない。」
(笑)


福島:「さっき体験して頂いたからわかると思うんですが、これは地下の牢屋に入ってるような感じ、
誰かが訪ねて来て、短い時間話して じゃーね と言って また どっか行っちゃうイメージで、僕は独りなんだな
周りにコミュニケーションを取ろうとすれば居るのに。 集団の中で自分だけが取り残されている、っていうのがしんどくて。
この宇宙にはいない、この次元にはいない、別のところに行ってしまったような、すごい孤独と絶望を感じたんですよね。」

(触れることでのコミュニケーションだから、何か違うのではないか、『触る』ことに重きがあるのでは、と太田氏)
福島:「彼女は霊媒のような存在で、メディアと似ているんです。加工はされている、フィルターを通している。」
(どうしても触れることに対し、2人の通訳者になんかあるんじゃないかと さらにツッコむ太田氏)
太田:「この人に対して、どういう感情を持っているのか」
福島:「えらい こだわっとんな~!
通訳さんとの関係……信頼関係が無いと。
自分のことを 木村拓哉だというような そんな人間は信頼できない。」
(笑)

太田:「先生はどう思うかは知らないけど、普通の人と会話するよりも、より親密な会話をしているような気分になる。」
福島:「太田さん、なんか、人との触れ合いに飢えてるでしょ」(笑)
太田:「そうくると思ったけど」(笑)

田中:「確かにさっきの その 目隠しして 耳栓して ってやったときに どなたか分からないですけど 手を こう 引いてくれた。
ものすごい安心感あるし、信頼が発生するし 好きになっちゃうんじゃないか みたいなことにも思っちゃうんだけども
先生 何十年も こう生活続けてたら、一つの こう おれらが電話で話すような、同じようになっちゃってるんじゃないのかな。」
福島:「その側面はあります。
だけど 接触ってことに、表現されている、総統的なものなんです。
その背景には私の孤独があって、見えない聞こえないっていう、宇宙の中に放り出されているような感覚。…それが故に、人の存在、他者の存在を本当に渇望する。あこがれる、っていう。」


《VTR》
福島:「医療とか福祉とか教育という問題からいったん離れて、障害という現象をとおして 何を考えるか そもそも障害って何なのか。そういったことを考えること自体、すごく重要で、今まで 見過ごされてきたんではないか。」


福島:「障害とか 障害者ってどんなイメージですか?障害者って どんな人に思いますか、例えば?」
田中:「だから その ま 目が見えないとか、耳が聞こえないとか。
そういった意味では俺も障害者だけどね。玉一個なくても それは障害者って言われないわけじゃない。障害者手帳みたいなことになると 普通の この一般の…」
福島:「おぉ!障害者手帳なんて 鋭い発言出てきましたね!
玉一個障害っていうのはないですね。」
太田:「玉一個障害…」(笑)
福島:「背が高いとか低いとか、そういうのは障害者って言いますか?」
田中:「言わないですね」
福島:「なんで言わないんですかね」
田中:「うーん…」
太田:「どこで線引きしてんのかねぇ」

福島:「私が専攻してるのは、障害学っていうんですが、誰が決めて どこで決めているのか」
太田:「スティーヴィーワンダーや、ホーキング博士の話にしてみたら、たとえば 言葉があるのと無いのと どっちが感動するんだろう。とかね。
そんなことばっかり考えてるんですよ。そういう表現にも届いてみたい、っていうね。」
福島:「それは選択できるから言えるんですね わりと気楽に。
だから言葉を使おうと思っても使えないにしろ 選択の余地がないわけですよね。そこで やっぱり あの 公平ではないというか。同じ条件に置かれてないんですよね。
すごく あの 障害者を同じ人間だから 平等に扱おう って言いますし、みんな あの メディアであるとか 表面的はキレイなこと言ってるけど、
たとえば私、盲ろう者として 日本で初めて大学に入ったんですけど。そのとき新聞などは 日本のヘレンケラーだとか盛り上がってるわけですけども、
その一方で 下宿探しが大変で 断られちゃうわけね これが現実…。」
太田:「先生はその状況に対して、怒りを思ってるってこと、今?」
福島:「それは怒りを持ちますし、障害っていうのはそういう取り扱いをされることが障害なんです。
だからその つまり障害ってのは 大昔から決まってるんじゃなくて、その時代の その社会が決めているんですね。
さっき障害者手帳っておっしゃったけども、これも 日本なら日本という法律で これこれの人は障害何級でー…決めちゃうっていうルールで、非常に社会的なもの。」

太田:「じゃあ どうすればいい」
福島:「それを考えていく、ってことですよね。
どうすればいいのか、まず何が障害かどうか っていうことがはっきりしない、っていうのが第一点。
第二点として、仮に これから これが障害だ と決めたとしても、その人に対して社会がどうやって対応するのか、2つのフィールドに対して 色々考える必要が出てきて、天才的な人、芸術家や科学者がいるから どっちがプラスかマイナスかわかりませんよね っていう、そんな甘いもんじゃない。」

《VTR》
福島:「その規格からはみ出す人。一定の身体的な条件に満たない人を 障害というふうに位置づけてきた。障害者は社会が能力によって人を振り分けている仕組みが、すごく凝縮した形で現われている。そういう集団だといえます。」
“能力と存在”


福島:「色んな障害が重なっていて、ほとんど仕事ができないよいな人たちって、いくら訓練を受けたり教育を受けても 社会が求めてる仕事ができない。
重いハンデを持った人たちが実際のところいますけれども、
そういった人たちって、生きる意味はないのか、生きる価値はあるのか、って聞かれたら、太田さんはどう思いますか?」

太田:「うーん…生きる意味って…ピンと来ないんだよね。」
福島:「ピンと来ない?」
太田:「つまり おれが生きてる意味って何って言われると、別に無いんじゃないかって気もするし」
福島:「だけど 生きているよね太田さん? 何で生きてるの?」
太田:「「何で生きてるの?」…それを言われるとホントわかんなくなっちゃう。
ただ、だからおれはなんで生きてる っていったら…、おそらく、なんだろう、楽しい瞬間があるからだよね。」

福島:「それこそ重い障害があって、たとえば頭がすごくうまく動かないとか、体もあまり動かないとか。生産能力が無いっていう状況で、
経済的な価値とか、税金払っているのかとか、社会の穀潰しだみたいな感じに、本音で思っている人はたくさんいるのかもしれない。
じゃあ何のために私たちは生きているのか、この宇宙の中で、この太陽系の中で地球にいるって、そんなに大したことなのか って思うわけですよね。そんなに意味があるのか。何のために我々は生きているのか。」

太田:「ようは 幸福だって思える瞬間がどんだけあるかってことだと思うのね。生きていて。そうすると障害者だけに限らず、たとえば、アフリカのどっかの国で、子どもが飢え死にする国とか…(食料を手にすることでの至福を日本と比べて)
どっちが幸せなんだか、わかんないなって思っちゃう。」

福島:「どっちが幸福か不幸かという話…おそらく別のレベルの話も同時にすべきなんだろうけど、もし意味が無いなんて言っちゃえば、おそらく地球上の人間 全員 意味 、無いんです。たかだか何億円か収入があったとしても それだけのことですよね。

それが一体何なのか。何十年か生きて、宇宙の原子に帰っていくだくのこと。
だけど、そこにもし意味があるのだというふうに考えれば、その瞬間…すごく豊かに暮らせると思うけど…アフリカで貧しく暮らしてる人も あるいは障害のある人も無い人も、とりあえず、
みんな生きている意味があるよね っていう話に第一段階ではなるだろうと思う…、
んだけど、その上で 現実的に何か取り組みをするかということは別と考えないといけない。
でも、そういった社会的な取り組みとは別に、個別に個人レベルで、なにが幸福か不幸かっていうふうに感じるのはまだ3つめのフィールドとして考える必要があるんだろうな…とは。」

福島:「私は、何が幸福か不幸かっていうのは、もちろん人によっていろいろあるだろうけれども、すごいしんどい経験をした時にね、つらさ、苦悩というのも何か意味があるんじゃないかなと思うことにしようと。実は同じようなことを言っている人はたくさんいることが分かって。ナチスドイツの収容所に入れられた経験のある人で、ヴィクトール・フランクルという人がいるんですが。彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
その公式は、絶望=苦悩−意味って言うんですね。
左辺に絶望があって、絶望=苦悩−意味。これは何を意味するかというと、“−意味”を移行したら、絶望+意味=苦悩ということです。意味がない苦悩が絶望である。
で、苦悩と絶望は違うんだっていうことを、彼はアウシュビッツの経験から言っていて、私は同じことを18歳の時に考えて、全然違う時代と状況で似たようなことを考えている人がいるっていうことに出会って、すごく感動しましたし。何が幸福か不幸かっていうのを考える、そのさっきの三つのフィールドの議論の中で、すごく重要な意味を持つのかなと。苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではない。新しい豊かな人生が見つかるかも分からないっていうふうに思っています。だけどそのことと、具体的にどんな取り組みをするか、社会としてどんな取り組みをするかっていう話と、分けながら議論をして、その関係を考えていくっていうことが大事かなと。」

福島:「でも、しんどいから面白いんじゃないですかね。ずっと舞い上がってるような、トランス状態で、夢うつつで終わるような人生だったらつまらない。」

――――――――――――――――――――――――

メモが長くなってしまいました。

障害があろうが無かろうが、生きる意味とは何かと、その壁にぶつかる、全ての人に届く回だったのではないでしょうか。

メモが長く、感想が短くなってしまいました…。

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2009年6月 2日 (火)

“『FILE 071:ヒトと殺しと男と女』 を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.05.19.O.A.
『FILE 071:ヒトと殺しと男と女』を見ました。

進化生物学。長谷川眞理子(はせがわまりこ)先生。

爆問学問HPの記事内容も絡みつつ。以下、メモ。

――――――――――――――――――――――――

『A』『K』『4』『7』や、
『ビール』『コーラ』『24歳』『16歳』というカードの問題。

“『P』であれば『Q』だ。”
という論理構造。

長谷川:「これが 疑問の出発点」

長谷川:「生きていく上で、重要な問題は直感的に分かるんじゃないか。
脳みそが どういうふうに進化したのかっていうことを 人間がどうやってものを考えたり 感じたりするのかっていうことを…
進化の過程で重要だった問題、そうじゃなかった問題っていう観点から考えてみようと思っています。」

と。

長谷川:「殺人の研究をやっています」

(性・年齢別 100万人あたり殺人率で見るグラフ。20歳~24歳の男性が一番多い。)

太田:「先生のさっきの直感とこれが どうつながるんですか?」

長谷川:「誰もね ちゃんと 『P』ならば『Q』である と考えて これは殺すべきと考えて殺してないんですよ。
大抵 こう 情動とか 感情が こう わーっとなって。それであとで考えて、どうしてあんなことしたんだろう…って。

先ほど 人が ここ使って…一所懸命 前頭葉使って、『P』ならば『Q』である と考えて 難しかったってことと同じように、
あるところですごく許せないというふうに、怒りが出てくる っていうようなのは 進化の過程でそう 作られている。」


(「普通殺人」の動機(日本・男性)の棒グラフ。メンツ・プライドが一番多い。)

長谷川:「男・男の競争というのが…生物学的になんかのラインがあって、
女・女の競争というラインよりも ずっと強いということの現れではないか」


長谷川:「私の問題にしているのは、人間の心とか 脳のはたらきっていうのを作っている 基本構造ね。だからさっきの社会的な問題は解きやすいとか、 顔は すごく よく人は覚えるとか ね。名前覚えるより ずっと 顔覚えるとか そういうような…、 脳の働きにはバイアスが掛かってる。
そうすると、男の人の場合も オス・オスの競争があるから そこに対して、負けちゃいけない というバイアスが掛かって、 それが普段は穏やかでも 問題が起こった時に 非常にカッカ カッカするっていうふうにふれなきゃいけない。そのことがうまくいく男だった。」
田中:「大事だったんですね 進化するのに。」
太田:「ふれるっていうのは分かるんだけど 殺すっていうことの違いなんですけど そこはすごく大きい。」


長谷川:「生物学的に作られている 脳の働き方、心の基本構造っていうのは非常に大事だと思う。」

太田:「おれが思うのは 殺人っていうのは、世の中から 殺人ゼロなんていう世界はあり得ません っていうことですよね。」


(20歳以上の男女別 殺人率の変化のグラフ。(1955~2000)で、男性の(特に20代前半の)件数が5分の1になった。)


太田:「でも、殺人っていうのは確かに…。でも今、これだけ減っていると言っても、それでも感覚的には…。何で人を殺すのがいけないのかって考えることっていうのが、何で人間が生まれたんだろうって考えることのすごく入り口にあって。むしろそれを疑問に思う子どもは、おれは当たり前だと思うのね。
そこを疑問じゃないって思っていることの方が不自然で。だって、牛肉食って、豚殺して、鳥殺して、動物殺して、何で人間殺しちゃいけないの。戦争やってるじゃん!っていう話ですよね。戦争のためにはいいの? いいわけないんですよ。じゃあ殺人のやつは死刑にするじゃん。それはOKなの? そっちの殺人はOKなのっていう。そんなことじゃないんだよっていう。社会っていう、ルールっていうさ、人間っていうのはそういうものっていう、それこそ思考停止のものをがーんとやられちゃうと、分からないってなっちゃうんだけど。」
長谷川:「でもいけないことなんだという気がする、っていうそこは、そこは私、普通あると思うんですね。
あの、大学で教えている時に、生物学でこうやってゾウアザラシが一所懸命けんかしたりするのを見せていろいろしゃべると、時々ね、生き物は何でそんなに一生懸命生きているか分からないっていう質問をする子がいるんですよ。で、私はすごい驚いたの。何を説明しようかというと、一生懸命生きてなかったら、いないのよと、ここには。生き物ってみんなそうやって一生懸命何かやって、で、子どもが残って、上の世代は死んじゃって、その子どもがまた一生懸命何かやって、だから一生懸命やっていないっていうのは、見ることが出来ないのよ。で、それでもしあなたが一生懸命生きなくてもいられて、人から一生懸命やっていない人がここにいるっていうのが見られるとしたら、それは随分不思議なことで、生き物としては。
それは誰か別の人が、あなたがそうやって一生懸命やらなくても生きていけるように支えてくれているからなのよっていうのだけを言うんです。」


田中:「今後 先生の予想で言うと また殺人は増えるんじゃないかと…」
長谷川:「そう思います。

最近の人を見てると…

人と人との濃密なつながりっていうのを 避けようとしている傾向が…」
太田:「逆に 遮断しちゃえば 殺人も無いだろうってことだ」

長谷川:「私が非常に気になるのが、これが下がってきたのと同時に出てきたのが、引きこもりとか 不登校とか…」
太田:「そうすると かといって 殺しは減ったけど 充実してない感じもするね。」


長谷川:「だからね…技術がみんなパーソナルでしょ…
ケータイで何でも出来るし、
つながりがね、面と向かって色んなことを 相手の感情を読み取ったりやらなくていいわけでしょ。」


――――――――――――――――――――――――

テーマが、『ヒトと殺しと男と女』と、興味深かったのですが、申し訳ないが内容が理解しにくかったです。

番組中で太田さんも言ってましたけど、殺人だから記録が、統計があって、それをもとに長谷川先生は分析されてるけど、それに到るまでの…殺人に到るまでの、もしくは殺人をしないで済んだ状態に到ったこと、その違いが分かれば…もっと解るコトが出来るんでしょうけど、無理なんでしょうかね。

『殺人ゼロなんていう世界はあり得ない』
って言葉が出てましたけど、自分を押し殺すことで生きている人もいれば、ホントに自殺してしまう人もいる。
自殺と殺人はイコールだとすると、免れられない事実なのでしょうか。

また、男と女という観点では、それぞれ異なる問題があると そう考える部分はあると思います。

前のNHK特番で男と女のヤツで、授業の仕方を変えたヤツとか…。


なんというか…テーマとしてまとまって無い感じですが…、結局は『コミュニケーション』なのでしょうか。

自分がどう在りたいか、自分が他者とどう関わりたいか。
それを各自 考えていきたいですね。

…という言葉でまとめさせて頂きます。

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2009年5月27日 (水)

“『FILE 072:お米レボリューション』 を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.05.26.O.A.
『FILE 072:お米レボリューション』を見ました。

農学。
農研機構 作物研究所所長 岩永勝(いわながまさる)氏。

以下、番組を見ながらメモったものを。
言葉の足らないトコがあるかもしれませんが、そこは御了承をば。

――――――――――――――――――――――――

冒頭で小麦畑を紹介。ラーメンなどに使う小麦は殆どが輸入なので~…。

世界の飢餓を救うため…ということで、食料自給するために。

岩永:「日本の農学研究の一番の目的っていうのは 明治以来ですね 北海道でも米を作るという。
稲というのは南の原産なんですよね。暖かいところ それをできるだけ北の方で作る。」

味、収穫量、病気の強さなど 品種改良を重ねてきた。

爆笑問題の2人に食べてもらう ということで用意された3種類のお米(ゴハン)、その3番目の『あまり美味しくないもの』について

岩永:「去年の農林水産省の10大トピックに入ったくらいの品種なんです。これは家畜用のお米なんです。
これはですね、例えば普通の品種の2倍近くとれるんです。
なぜ飼料用かというと、日本の自給率を上げるため。日本の畜産業というのは ま はっきり言えば アメリカからトウモロコシを輸入してそれを食べさせる それで成り立ってるわけですよね。
日本はトウモロコシに関しては、世界で最大の輸入国なんです。去年も日本全体では 5000億円以上トウモロコシの輸入にお金を使っているんです。」

太田:「自給率を上げるということに繋がるんですか?」

岩永:「爆笑問題さんお2人が生まれた当時、1965年頃は 60%くらい食料自給率があったんですが、今は40%に下がってしまった。
その頃は(米を年間)1人あたり112kg。今は1人あたり60kgしか食べてないんですね。」


岩永:「議論されているのは 発想の転換」
太田:「米粉パン」
(岩永先生パンを出す。本来なら、こんなに膨らまないという。)
岩永:「最高の技術わ使って、品種改良をやって、すべてを合わせることによって 自給率を上げようと。
やっぱりですね、人間にとって一番大切なことは 食べるっていうことなんですよね。

「生活していけるかどうか」という時に、「食べていけるか」という表現を使いますよね。一昔前は「食べる」ことと「生活する」ことは 同等だったんですよね。」

VTR:食品廃棄物 1900万トン。世界全体が開発途上国に援助する量の3倍。

太田:「先生のこれからの望み…っていうのは、農家の自給率を上げていくこと…?」
岩永:「ところがですね…たとえば 自給率を現在の40%から50%に上げたとしますよ。じゃあ残りの50%をどうするんだ、っていう話があるんです。」
太田:「それは輸入ですよ。」
岩永:「輸入して、それ お金で買えばいいと思っちゃいます?…そう思いますか?太田総理?(笑)
…私はそれに賛成しません。」

太田:「日本人 一人一人の食生活を 変えていけ っていうことですか?」
岩永:「一番は無駄をしない。食べる時にやっぱり いただきます という観念を持つということです。
これをですね 農業に対する、或いは食べ物に対する敬意を払うということだと思います。」

田中:「先生はずっと外国中 行ってきて、で、日本は割と最近帰ってこられて、その頃だと思うんですけど、
賞味期限切れとか、食の安全とか、すごいいっぱいありましたよね?」
岩永:「やはりコンビニの消費切れというのは 正直、違和感ありますね。で、これ食べれるんじゃないかと。」
田中:「それこそね 先生が行ってた外国の国だったら、全然オッケーで食べてるもの ありますよね?」
岩永:「それに対して消費者っていうのは…表現は悪いかもしれませんが、極限まで安全性、安心…心の問題だと思うんですけど、
(消費者は安心を)最大限まで要求していくと。
一方では冷蔵庫で腐らせ、食べ残しを子どもに許すと。
それでいて自給率 先進国最低の40%。
それに対して政府が悪いと。
なんとなく違和感を感じます。大人じゃないっていう気がします。
ものを食べる時に腐ってるか腐ってないか、っていうのは、自分の五感を信じて判断することですよね。
人間としての本性というんですか そういうところを人間はやはり持つべきだと思うんですよね。
そこのあたりが、日本人が生き物として弱くなったなと感じますね。」


太田:「世代の あれだと思うんですけど、ぼくの場合、腹が減った苦しさよりも、食べ過ぎた苦しさの方が嫌なんです。食いすぎ死にもつらいですよ。」

岩永:「私はあの 30年間 海外で、こう所長室のこういうとこに座っているだけじゃなくて、実際の、若いときには農業の現場に行って、農家の貧しい場所を見て、農家の土間に たとえば 上がりこんで、一緒のものを食べるっていう中で そういう状況を見ると、やはり 食べるっていうことの大切さですね。」

太田:「飢餓をなくしたいと、食べ物に困らないようにと、それは日本は ある程度叶ったわけで、食べ物の大切さを忘れてしまって じゃあまた取り戻しましょう というのは~…」

太田:「ぼくらの世代の 学校給食なんていうのは、残さず食べましょうと。好き嫌いはいけません、全部食べなさい と。時間内に しかも おしゃべりしないで、っていうね。逆に言うと そっちから始まった我々の世代の中で 特におれなんていうのは 特に少食だから、そういうことがうんざりっていうのがあるんですよね。
それってやっぱり、食べる楽しみっていうのに繋がってないんですよね。教育の仕方 っていうのが。」

太田:「食べることって、もちろん生きるためってのもあります。だけど おいしいものをみんなで楽しく食べる っていう。
嫌いなものは、この時代 そんな無理して食べなくていいよ ってところからじゃないと。
本当の食のありがたみって、おれはなんか感じられないような気がするんだよね。」
岩永:「われわれの食のぜいたくさ、それが何で成り立っているのかを 分かる必要はあるかと思うんですよね。」


太田:「農業にたずさわる全体の人口をもっと増やしたいと。」
岩永:「農業が、若い人の言葉を使えば かっこいいプロフェッショナルになるべきだと思うんです。そのためには、もうからなきゃいけないし、そのためには研究というものが必要なんです。」


(野球への興味について、喩えを出し)
太田:「食にしたって、若い連中が ハンバーガーとか…パン食って、いくら白い米食えって言ったって、
推移しちゃったものは、もう推移しちゃったものとして始めなきゃ 始まらないと思うのね。そっからもう一回戦い直さないと。」

岩永:「例えば友人で、サツマイモの(研究者)なんですけど、食べ物の取り合いで内紛になって、虐殺されてしまった。
或いは 残された家族が飢え死にした、と。人口の何分の一が死んだっていうんですけど、それはやはり食べ物の取り合いなんですね。」

太田:「腹を空かせている国をなくしたい、と。」
岩永:「やはり、空腹と平和っていうのは共存しないんですね。」
岩永:「農業生産が ちゃんとなることによって、はじめて世界の平和が実現するんですよね。日本がお金があるから 高く買い付けていると、貧しい国にはまわらないんです。」

岩永:「生産がすべてうまくいくと、国際取引も下がる。そういうものが平和な世界の出発点なんです。」


――――――――――――――――――――――――

番組内容はこの辺まで、あと、爆問学問HPの対談後感想から一部抜粋します。


――――――――――――――――――――――――

岩永:「何か原体験みたいなものがあるんだなっていうことを感じましたね。人によっては無理矢理食べさせられたとか、食べたいものがなかったとか、大嫌いなものがあったとか、そういうものが体の中、原体験として残っていて、それがまた食に対する考え方を決めていっているんじゃないかなと。私などは、まだ日本が貧しい頃に少年時代を過ごしたので、「食べ物を捨てたらバチがあたる」という意識が強いですよね。
そういう面では、その世代間の格差っていうのがこんなにあるものかということに気が付いて。食べ物だけじゃないかと思うんですが、社会が大きく短い時間に動いてしまったんですね。今後の日本を背負っていくのは、もう次の世代ですよね。で、そういう人たちとのギャップを埋めなきゃと思いましたね。」

太田:「だからまあ、政策っていうところにどうしてもぶち当たっちゃうんですけどね、この話は。よく自給率を上げろっていう話になった時に、国際的な関係性の中でやっているわけで、はたして輸入を減らしてっていうことが、本当に正しいっていうかね。賢いことなのかなっていう気もするしね。自給率を上げちゃって、本当に輸入を減らしても、困るのは政府のような気もするし。それこそ、米なんかにしても、あの事故米なんかにしても、取り決めでね、米をアメリカから買っているところがあるから。いろんな矛盾を抱えているんでしょうね。」


――――――――――――――――――――――――


私の、個人的な感想ですが。
やはり世代格差からか、太田さんの考えに近いんですね。
その、食べ物が普及した時代で、子どもの頃には半ば強制的に食べさせられて…だから楽しいとか、生きる喜びとか…感じないワケでは無いんですが、直結して納得出来ないんですね。

またウチの場合、田んぼもやってるので、これも私は子どもの頃から、手伝いを『やらされてる』感じで。
大変さや、責任からのカッコよさは分からなくもないんですが、
純粋な憧憬では無いというか…。

そして太田さんか対談後感想に書いてる通り、各国間の輸入に関して。

ある程度、『輸入を“しなくてはいけない”』という何かがあると思うので……だから田んぼがあっても、減反の指示が農協からあったりとか。


なので単純に自給率を上げれば良いというワケではないと思うので、輸入出来るものは輸入して、日本で作れるものは品種改良とかして色々対応出来るように作って…、と。

勝手なことしか言えないんですけどね。

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2009年5月19日 (火)

“『FILE070:「シンプル最高/再考」』を見た。”

2009.04.28.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養。
FILE070:「シンプル最高/再考」
を見ました。

原研哉(はらけんや)先生。

以下、番組での言葉をメモりながら。

――――――――――――――――――――――――

コミュニケーションのデザイン。
見た瞬間、人の頭の中にインプットする。

スウォッチビルの時計の光。コンクリートに光ファイバーを埋めこんだり。香水の箱がまっすぐになってなくて隙間があったり。
さりげないところでビックリさせる。

キッカケは大学時代に。デザインという概念に惹かれた。

シンプルに。
シンプルがいつぐらいに生まれたか。
石器時代の石とかで、石がシンプルとは言わない。プリミティブ(原始的な)ではなく。
シンプルはコンセプチュアルなもの。

シンプルはすごく複雑なものを経て出てきた。

(写真を出して)青銅器のカタチなんて いきなり複雑。

世界は 複雑から始まるんですよ。

村とか国とかが力を誇示するために。威光の象徴のためのデザイン。


王様の統治が終わって、自由な社会がやってきた。
市民社会。人間と物との関係を もっとダイレクトに もっと合理的に。
最短距離でものづくりをしましょうというのが生まれてくる。それがシンプル。


日本は世界中から影響を受けてた。
ユーラシア大陸を90度回転させてみた図。地図をパチンコ台に見立ててみると、日本はパチンコの受け皿の位置にくる。

室町中期くらいまでの日本は、かなり豪華絢爛。
中国、ローマ、インドの影響があった。
が、

応仁の乱
((1466~1477)室町時代後半、11年続いた大乱。これにより京都の大半は焼きつくされた)
…が、一つのキッカケ。

当時の将軍、足利義政。政治力は無かったけど美意識の高い人。

大乱で焼けて、がっかりしちゃったんですね。
そして自身は京都の東山に。銀閣寺 慈照寺というとこに入ってですね。茶とか書とか。

その周りに ふわっと 新しい文化が生まれてくるんです。 その中に
『簡素の美』というのがあるんですね。

義政の書斎、同仁斎…和室というものの原型がある。
日本の美意識は まったく新しく生まれ直していく。
ヨーロッパ発のシンプル。世界中に伝播し近代社会と一緒に生まれた。
しかし
世界の動きとは全く別に 簡素の美に到達した。これが面白い。


(2種類の刃物を出して。)
ドイツ製のナイフと、日本の板前さんが使う柳刃包丁。
前者は 持つところが指定される。シンプル。
逆に後者の包丁は指定されない。エンプティ(空っぽ)。

何もないけど、そこに全てがある。
という美意識。

イメージと交換する。イメージを共有する。

太田:基本が 空(から)なんですね。


デザインも共感されたいと思ってやっているワケですよ。その辺はアートと少し違ってて…。
アートは自分しか分かんないんですよ。私はこう思う…と個人の問題。
デザインは共感されないと意味がない。

自分の頭だけで考えるな、と。


太田:主義が無いんですよ。世間っていうのは。
一番大事なのは間なんだ。
人間は人の間。
時間は時の間。
世間は世の中の間。
つまり、空っぽ。

世間って 捉えどころのない。

可能性に いつも覚醒させる。
ある考え方に 凝り固まってしまっている状況を いつも更新していくことがないと つまらない。
デザインっていうのは 覚醒していくこと。


――――――――――――――――――――――――

美意識のルーツ…というのが面白かったです。
世界の国からの影響ではない、静かな、空間ごと捉える“美”、『簡素の美』というのは、確かに独特ですね。

シンプルと一言に言うと、どうしても単純なものと捉えてしまいがちですが、
“何もないけど そこに全てがある”
というのには惹かれましたね。
共感のためのデザインが難しいかも…とも思ってしまいましたが。

あとは太田さんの発言の“世間”に関するくだりが興味深かったです。

デザインの“再考”というタイトルに相応しい回だったのではないでしょうか。

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2009年4月28日 (火)

“『FILE069:永久エネルギー誕生!』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。
2009.04.21.O.A.
『FILE069:永久エネルギー誕生!』を見ました。
触媒化学の、原亨和(はらみちかず)先生。

以下、覚え書きと、爆問学問HPと合わせて。↓

――――――――――――――――――――――――

原:ある程度勉強しないと、ホントの面白いところに行けないっていうのが隔たりになってる。
けど、そういうのは最初のちょっとなんてすね。それをクリアすると面白いところに。
もう一つは自分に向いているかどうか。

原:石油がなくなったら怖いですよね。
太田:何とかなりますよ。
原:あのね、ところが身の回りにあるもの、すべて石油のもので私たち生きていて。この文明レベルを下げずに生きていけるかどうかっていうのは、私不安でしょうがないんですね。なくなっちゃったらどうしようみたいな、そういったものが常に頭にあった。
太田:じゃあ先生は、なくならない燃料というか、素材。要するに無限に使い続けることが出来る。それを作ろうとした?
原:植物からものを作るんだったらば、人間がもし賢く植物を扱うことが出来るんだったら、ちょびっとながらも私たちは、こういったものが獲得し続けられるんじゃないだろうかと。まあ燃料にしてもプラスチックにしても。常に石油化学製品みたいなものを常に持っておきたい。それが私の願いですね。
太田:何が石油より効率が良くなるの?
原:効率がいいとは思いません。一つは、草木から取っていて、草木の成長速度よりも、ちゃんと草木の成長速度を考えて、ちゃんと草木から取ってやれば、また草木が生えてくる。
太田:石油が出来上がるまでの時間よりも、回転がいいと。
原:回転がいい。石油はですね、数万年掛けて作るんですけれども、私たちの触媒はそれを数時間で作る。数時間で燃料とかそういったものにするということで、早い。効率は良くなるけれども、草木の使い方を間違えて使ってしまえば、やはり同じことです。要するに森林資源を破壊して駄目にしてしまう。
石油が未だにどうやって出来てるのか分からない。

太田:石油市場のバランスが変わっていくことへの恐れ。…宗教、思想。
戦争になるんじゃないか、っていう…

原:バイオマスに関しては、そういうことが起きると最初から予測が立っています。
その国のものを使うという枠組みが出来ています。どうしても資源の少ない我が国としては。
石油に完全に、とって変わることは出来ない。ちょっとやってみて、どれだけ救われるのか。

太田:なんでこういうことを聞くのかというと、先生の言う、資源の無くなる恐怖心と、自分のつくったものがさらに混乱を招くという恐怖心がある。
自分の中でどう折り合いをつけるのか。

原:仰る通りで、常にある話なんですよ。
“牛乳パックと牛乳瓶、どちらが環境にいいですか”という。
牛乳パックは紙をムダに使うからイカンと言いますが、
後で考えてみると、牛乳瓶を輸送するのに重いから燃料が余計にかかる。洗っても、再利用するから完全消毒しないといけない。より薬やエネルギーがかかる。トータルで見たら牛乳パックの方が良かったんじゃないかと。
そういう議論って後にならないといつも分からない。ホントにジレンマだと思います。

太田:一番重要かと思われるものっていうのは、一番人間にとって危ないことでもあり、一番理想的なものであることが多い。

社会で起きたことが原動力になっているから、もっともっと考える人なんだろうなと。

原:その時になってみないと分からないけれど、とにかく全員が助かるように考えるしかない。
もがいて、あとで判断してもらうしかない。

――――――――――――――――――――――――

ゴミをバンバン入れて車が走るみたいな……、
実際そんなようなコトなんですよね。

気になったのは“社会への影響”。これは時代の変化とともに堂々巡りして考えさせられるんでしょうね。
もう一つ気になったのは、“この文明レベルを下げずに生きていけるか”。と。
これは前あった『少子化』についての回と通じると思うんですね。
今の生活水準の為に生まれる負の要素(?)というか。

サイエンスだけの話じゃない、…っていう点で。社会、行政問題にも波及していくんですね。

ただ、ま、全く個人的な思いとしては、興味深いので、是非多く活用出来るようにして頂きたいです。
としか言えませんが。

“ものづくり”としてのバタフライエフェクト的な考えは、置いておきたいと思いました。

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2009年4月22日 (水)

“『FILE068:「イスラム・世界・ニッポン」』を見た。”

2009.04.14.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養、FILE068:「イスラム・世界・ニッポン」を見ました。

録画して見たのですが、これを見る前、丁度『ざっくりマンデー』を見てたら、番組内で『4分で分かる パレスチナ問題』をチラッとやってて。それを見たあとにニッポンの教養のほうを見たので見易かったですね。

今回の対談相手は、歴史学・山内昌之先生。

(以下、番組を見ながらのメモなど。やや、うろ覚え。)

9.11の背景
1.石油と貧困。
2.アメリカへの反発。
3.進まぬパレスチナ和平。

貧困。人口問題。
日本と違って、
多子弱齢化。若者が多い。仕事も無い、失業者が多い。

山内:「不満・貧困…フラストレーション等々を発散する受け皿として テロに走る。」

太田:「大戦後、アメリカが手を差し伸べたことによって、こうして日本は成長した。(中略)……これは悪くないと思ってるけど、裕福になったらテロは収まるんだろうか。」

太田:「文明は共存して、文化だけ残す。」
「地方の方言が無くなっていくこともある。それが無くなっていいという人もいれば、それは困るという人もいる。」

なんとなく、ニュースでパレスチナ問題について、ガザ地区が何とかと報道されていてもよく分からない。
何か知らないけど、ずっと争いごとをしてる。
そんな印象。

今回『ざっくりマンデー』も合わせて見たコトで、イスラエルの辺りの複雑な状況がなんとなく分かった。(…つもりです。あくまで なんとなく。)

今回のは何が自分に活かせるかとかより、知らないコトを知るキッカケを得た回でしたね。

ところでHPのプロデューサー後記で、
『公平なニュースなんてどこにもない世界。』
というのが気に留まりました。
一方向からのニュースでは事情が分からないというコトを、改めて感じました。

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2009年4月14日 (火)

“『FILE 067:人口は口ほどにものを言う』を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養。2009.04.07.O.A.
FILE 067:『人口は口ほどにものを言う』を見ました。

歴史人口学の、鬼頭宏先生。人口の歴史を調べよう…という学問で。

その時代の人が『困ってるか』。

生活様式が変わってくるにつれて、人口の増加に比例してくるけれど、人口が減少したり停滞している時期が、生活様式が変わる時期だそうで。

太田:「ちょっと前まで人口爆発って 言ってたじゃないですか」

と、鬼頭先生1974年頃の新聞記事をスクラップしたものを取り出して、そこには“子どもは2人まで”という見出しの記事が。

人間の都合によるもの。 お年寄りが賄えないから少子化は困る…というのが今の少子化の問題。
けど、温暖化は地球の問題で むしろ人口が減れば 地球は良くなるハズ。

鬼頭:「ところが今のライフスタイルを変えたくないし 今までの快適な生き方を譲り渡したくないので 非常に大きな葛藤が起きてしまうんです。」

鬼頭:「大切なのは寿命が延びたということ。 寿命が延びた 家族の形が変わった。これをどう過ごすかという問題じゃないですか」

寿命は昔は短かった。縄文時代なんて15歳~16歳で。江戸時代ですら40歳くらいで。
で、各時代の平均寿命を表した表にゴムバンドを合わせて、のばして、
鬼頭:「昔の20歳は、今の40歳。」
「問題は長くなった寿命をどう過ごすか ということ。特に老後ですよ。」

鬼頭:「長寿とか、人口減少など 色々なことと上手くフィットするような家族類型を見つけていく。 そういう意味では この20年30年、ものすごく大きな実験の時代なんじゃないですか。」

――――――――――――――――――――――――

今回面白かったです。
なにより人口の増減自体が、人の都合だと。
ライフスタイルを変えたくない~…というのも都合。

番組では鬼頭先生が、『20年30年が実験の時代』と、さらっとおっしゃってましたけど、新しい法規制から、生活すること自体まで、長いスパンで見て 変えていくしかないんですねー。

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2009年4月 7日 (火)

“『FILE 066:この世は‘破れ’ている』を見た…けど、”

2009.03.31.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養『FILE 066:この世は‘破れ’ている』を見ました、けど…。

全然分からない。(@ヮ@;

本来対称性を持った素粒子があって、それはビッグバン…宇宙の誕生とともに生まれたけど、2つの素粒子は合わさって光になって消えてしまう。
けど今、自分たちのある世界は『在る』。
のでーー……、
…というコトみたいですが。よくわかりません。(´д`;

まさに理解は出来たとしても(実際、理解もしてませんが)、実感が伴わないから分からない。といった状態です。

ただ、益川先生の研究への態度は分かりましたね。
結論に向かうために一つずつ実証して潰していって答えを出す、と。
前回のスペシャルで話してたと思うけど、日本的な考え方に相当するのでしょうか。

今回はホント難しかったなー…。

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2009年4月 1日 (水)

“『爆問学問SP ニッポンチャチャチャ』を見た。”

2009.03.24.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養スペシャル『ニッポンチャチャチャ』録画しておいたものをやっと見た。

一応気になった点だけメモ。
近藤先生:「ワクチンの注射は本来 人のため それをしないことは日本人はワガママともとれるけど。それとは別に、
自分が疲れていると言えることが許される幸せってありますよね。失敗することが許される。『そんなに頑張ったんだから仕方ないか』っていう。とすると 日本ってあたたかい国に見える。
ワクチンに見た日本人は手前勝手でワガママというのと、疲労の方で見る 日本人は何となく みんな仲間意識が強くてあたたかい っていうのとすごく矛盾する。」

田中先生:「入れ物の必要のない時代になった。これは危険ですよ」

(日本とアメリカについて)
姜先生:「絶えず日米比較をやりたがる」
田中先生:「心理的な占領状態が続いている。文化的な占領状態が――。」
姜先生:「シンパシーを感じるのは 欲望を肯定していい。それを極大化していい。ヌミノーゼ状態――ひれ伏すと同時に肯定。」

太田:「日本文化自体が割と水で いろんな絵の具を入れて それをまた薄めていくみたいなところが確かにあって。だから日本は吸収しやすいのかもしれないって思うのね。」

山口先生:「権力にパーッと反発しないで 何となく受け入れて 何とな~く丸くなりながら 流線形でやっていっちゃうんですね。 それが日本の歴史だったような気がする。」

近藤先生:「今 一番信じられている宗教は“科学”。何かあっても『それは科学的根拠は?』とか。日本がアメリカに追従したのも 科学があったから。アメリカが弱くなったというか 科学信仰が薄れた。」

山口先生:「万能細胞を発見した山中先生に話を聞いて。 ――この研究が日本人的ですか欧米的ですか?と質問しちゃったんですね。そしたら――…理論的・合理的に考えて、出来っこないと思ったら実験をしない。これが欧米的だと。 でも自分は思い付く限りのことを一つずつ地道にやっていったら発見した…と。」
近藤先生:「アメリカの効率万能主義みたいなもの って科学の一番の欠点ですよね。」

姜先生:「現在を生きている我々が どういう問いを出すかによって それは語るべきものが全部違うわけでしょ。」

……大体メモはこんな感じ。一部 言葉がおかしいかもしれないけど。まぁそれはそれで。
ほかにも、
起点を変えることによって、何が良いかは違ってくる…とか。
小さいものは可愛らしいとか、水に喩えたり…とか。

日本の未来について語るトコで、斉藤先生が矛盾してることが両立してることについての疑問を持たれ、番組内で太田さんも認めつつ意見を出そうとしてて。…HPの番組感想でも『もっと斉藤先生の話を聞いてみたかった』とありましたけど。

今回のスペシャル、右上に『ニッポンって何だ!?』と ありましたけど。

自分を知るには他者との関係の中に見出だされる…っていう。
今回番組ではアメリカとの関係ばかりに終始してしまってるので(多分誰もが分かってると思うんですけどね)、もっと他国を持ち出した議論があって良かったのになー、と。

何かの本か番組か忘れたけど、日本は西洋と東洋の文化をうまいコト取り入れてる…ってあったような。

朧(おぼろ)というか曖昧なものに美を感じたり…。絵の具に喩える『吸収し易さ』とか。
そういう柔軟な感性が、日本なのでしょうか。
で、それが矛盾が両立してたりして。嫌に思われたり、好まれたりとか。

結局そうなると姜さんが日本を喩えるものとして持ってきた『たまねぎ』に行き着くんですかねー…。

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2009年3月12日 (木)

“『FILE065:学校は何も教えてくれない?』 を見た。”

爆笑問題のニッポンの教養・FILE065:学校は何も教えてくれない?(2009.03.10.O.A.)

録画していたものをやっと見ました。
教育社会学・広田照幸先生。

過去の学校、教育の実態とかを、昔(明治・大正)の浪人生の日記や、新聞記事から考えたりする、というのは面白いですね。

『今と比べて、学校というのが個人にとって可能性が開ける場所』と捉えられてたと。
これは小・中学校からそういう風に捉えられてたんでしょうかね。

で、本題に。

広田:教育はね、万能じゃないんですよ。教育学者がちゃんと言わないといけないと思うのは、教育は必ずしも出来ないことがいっぱいある。

広田:例えばあのすべての子どもに何やらを考えさせようとかね。それは無理ですよ。だから道徳教育の議論が間違えているのはそこでね。すべての子どもにこれを教えたら犯罪・非行がなくなるってね、それは無理なんだからね。

あと、画面に、
『学校で学んだことを
すべて忘れてしまった時
なお残るもの―――それが教育だ。』
とアインシュタインの言葉が紹介されたり。

安倍元総理の時の教育再編についてチラッと出てて。『徳育』と。
『徳』を積むコトは大切なのでしょうけど、それを“育む”コトは…それを規則可するのはどうなんでしょうかね。

授業自体に関して、
太田:全部の科目を分けるんじゃなくて、全部一つの授業として……
と、一つの話題から疑問を抱き、異なる学科に繋がっていく、また時代を遡って考えたり~とするやり方を太田氏は提案する。
これは以前、慶応大学SPでも太田さんは言ってたと思う。
けど広田先生から『系統的でない』から難しい。『易しいものから学んだほうが良い』など実際に教育現場に盛り込むには厳しいと。

でHPの対談感想では、
太田:「系統立てる」ことに意義があるっていうことの本質は何なのかなって思いました。おれはどっちかというと、そうやって系統立てたり、ジャンル分けしたりすることがすごく嫌な方なので。それはどういうことなのかなっていうのはね、思いましたけどね。 どうなのかな?入り口は最初から学ばないと、積み重ねじゃないと、っていうことは、まあその通りなんだろうけど。

とか。

ラストには“教育”ということ自体に関して、
広田:大人にするための教育をやってない。高校までみんな子ども扱いですよ。

ほぼ日の『就職論』“はたらきたい。”でも、高校とかまで勉強ばかりなのが、そのあと急に働く側に“社会人”とされるコトへの疑問もあったような~…。

“教育社会学”、勉強するコトと、社会に出て働くコト。
社会に出ていくための教育をすることは、番組中にあった言葉のように、『知的な発展を通して、人格形成をしていく』ことしか出来なくて、勉強以外の『周りのこと』を自分で学んでいくコトが、社会に出ていって役に立つ…ってことでしょうかねぇ。

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2009年2月18日 (水)

“『FILE062「芸術は“カラダ”だ」』を見た。”

2009.02.17.O.A.
爆笑問題のニッポンの教養。FILE062「芸術は“カラダ”だ」を見た。

表現が、創造物が、どのような根底を経てどう伝わるか。
というコトに関しては、以前も東京芸大で学長と太田氏が討論したような。それと似た感じになってましたね。

太田氏は学長の時から、今回の布施先生を相手としている時と一貫して、
『伝えたいことが意図通りに伝わらないとイヤだ』とか、
『今、伝わらなきゃ』
とか。
そういう意思が感じられる。

けど布施先生は、
『必ずしも今伝わらなくても良い』
『100年200年後の人が気付いてくれれば良い』
…そこに賭けるのが芸術…――アートだ、と。

モナリザの絵を見ていた時に、
太田氏:「大したことない。感動しない」
と言ってたけど、そのモナリザの顔が色んな角度の顔を切り取って、一つの顔にした。『どこから見ても視線を感じる絵に見える』という説明を受けてからは、
太田氏:「面白いですよ」
と。

そこで布施先生が、
『“エンターテイメントと芸術は違う。”エンターテイメントは、すぐに楽しい、心地よい。けど その時だけ。―――芸術はすぐに感動しないけど、永遠の価値を持っている。』

結局このあたりの議論が布施先生と太田氏の意見が平行線。

個人的には、見ている側として共存していれば良いと思う。テレビによる即時性なエンターテイメントも。
芸術という、永遠にその価値を問い、考え 興味を持たれ続けていくもの、という。

ただ、絵画や彫刻ばかりが芸術というと狭いというかー…。
HPの対談後感想で爆笑問題 田中氏が、『ビートルズやサザンはどうなんだろう』という感想がありましたが、それは受け手が感想なり考えなりを巡らせる、余白を意図的に作っているからではないかな、と思います。

それが、布施先生がラストに言われた、
「作品をとおして、人間の中にある何かを解凍する」
に繋がるのではないでしょうか。

ところで外から中の研究室に移動する中で宮田学長が前回出演時同様、自転車に乗って登場。

布施先生:「(爆笑問題に対し)どう接したらいいか…」
宮田学長:「バンバン行きゃあいいんだよ」

学長…相変わらずですね…。(笑)

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2008年12月16日 (火)

“FILE049@アンコール放送:愛の政治学入門”

爆笑問題のニッポンの教養。FILE049の再放送。

政治としての『責任』と『応答』すること。
また、田中氏の言った、
「表現できる場所が増えたということは、傷つく場所も増えたということ」

太田氏の殺害予告の言葉の伝わり方。

表現が、言葉が、顔が見えないからか、一方通行になってしまってて、どう伝わっているかわからない。
そもそも発信者側が意図したことが、伝えたい思いが届いてるかわからない。
それで投げっ放しの表現になってしまい、飛び交う言葉が殺伐とする。

最近、『フルーツバスケット(高屋奈月 著)』を読み返してて、こどもにもキツい言葉は伝わっている、ってコトとか。(岩岡ヒサエ 著『ゆめの底 』にも「おとなたちの残酷なおしゃべり」とか、似た意図だと思わしき表現があったと思う。)

必ず反応があるだろう、応えてくれるだろうという前提を以て表現をしていると、レスポンスがないと不安になる。

不安は攻撃性を生む側面がある。
だから攻撃しっぱなしの表現になる。

じゃあ結論はというと「想像力を持って接しましょう」、「他人を許容する、寛容する力(“力”って変か…?)を持ちましょう」とか、そうなってしまうのかな。

それでも良いけど、もうちょっと受け皿というか、答えが複数あっても良いと思うけど。

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