書籍・雑誌

2011年10月10日 (月)

“【諸富 祥彦】 : 『人生に意味はあるか』読了。”

諸富 祥彦 著、『人生に意味はあるか (講談社現代新書)』を読みました。


私が好きな漫画家さん、夜麻みゆき先生がこの本を読んでらしたので、私も購入しました。
…ちなみに、“100分de名著”を最近見始めたのもこの影響。

ニーチェの特集は第4回しか 間に合わなくて見れなかったんですが。

本書の感想といえるのかどうなのか分からないのを書いていきますが……。


先ず、この本において、色々な立場からの『人生の意味とは』、『生きる意味とは』みたいなものの答えをたくさん示されてあること自体に 参考になりましたね。

学生の考え、
色々な、文学作家、
宗教的な立場から、
哲学的な立場から、
スピリチュアルな立場から、

そして著者である諸富氏の考えまでを。

ありがちなのが、『“意味”を探すことに“意義”がある』から生きなければならない とかね。
…まぁ、私にしてみたら てんで役に立たないんですけど……。




そもそもね、こういう、『なんで生きるのか』みたいなものを考えてしまうとき っていうのは、苦難や苦労が耐えない状態・状況が続くからこそなんですよ。
あとは、今 良い状況下であっても、過去の悪い状況を体験してるがゆえに、『どうせこんな暮らしがいつまで続くか分からない』なんて思ってしまったりね。

『生きる意味を探すために生きている』のが、苦痛なくらいだから、生きていたくない んですよ。

もうね、探すのも面倒くさいんですよ。
生きる意味を求めて生きる中で、また苦難にぶち当たるワケですよ。
うんざりですよねぇ。



スピリチュアルについてですが、
まぁ、その前に、どんな宗教、宗派であろうと、なんで多くの人は『輪廻転生』というか、人は生まれ変わるみたいなことを漠然と“分かってる”んでしょうかね。
ちょっと前の江原さんブームとか関係ないと思うんですけどね。これに関しては。

しかしまぁ、スピリチュアルに関しては神秘体験がベースになっているもので、こういうのは体験・体感した上でないと分からないんですよね。
仮に、本書で紹介されているスピリチュアルな方々が、実際の体験に基づいた上での説得力を以って生きる意味を伝えてるとしても、それが 伝えられた聴き手にしてみたら体験してないワケですから腑に落ちない部分はありますよね。

もし、スピリチュアルなものが体験できたりしたら、それは 納得のいくことだとは思いますけどね。

ちなみにまぁ、私も過去に結構 江原さんの本とか読んできましたし。バシャールとかも好きなんですけど、今は距離を置いて考え中。
なにより生きる意味を問われて、江原さんが『生き抜くことに意味がある』と言うのはともかく、江原さんの考えに影響を受けてる方が 生きる意味を問われて、同じように答えてるだけなのが微妙ですよね。



哲学の立場ですが、私にしてみたらこれは最近なんですけどね。
ニーチェの考えに触れたのが。

ニヒリズム。一切に意味は無い。虚無感。というのは非常~に共感してしまいましたよ。
で、ニーチェの言う、至福の瞬間,至福の体験というのがあれば人生を肯定できる …ということですが、それがあれば生きていける とありましたけど、

それがあるからこそ 虚無感を感じるんですよね。

祭りのあとの日常が とても寂しく感じるように。
なにより祭り…というか、特別に楽しい出来事よりも、つまんない日常の方が長く続くワケです。
(というか同じ項の宮台さんのくだりで、(P.102) 強い刺激のあとには空虚感に包まれる ってありましたけど、その刺激の強さなんていうのも感じ方次第ですからね。)
その、楽しいことの為に頑張るんだけど、その時点で、楽しいことよりもその先の、“さらに楽しいことのために 頑 張 ら な く て は な ら な い 日 常 ”が目に入ってしまって、まさに永遠回帰。幸福も苦難もループするのが見えてしまうのね。

その絶え間ない苦労の日々に、幸福という刺激の…快楽のドーピングを恒常的に・無意識に与え続け、延々と走り続ける。
にんじんをぶら下げた馬のように。

…―――だから 生きる意味は 無い。と思ってしまうんですよ。




ビクトール・フランクルの考えについては初めて知りました。
でもこれは、“意味”の問いの立て方が、分からないと 解釈を間違ってしまってちょっと困りますが。

その、瞬間瞬間に意味はあって、普遍的な意味は無い というのはまだ分かりますけどね。
でも、それを俯瞰で考えてしまうと、世の中は無常で、うつりかわり、“私”が過去に確立した誰かのためへの意味が、その誰かにとっては意味が移り変わって“私”にとっての意味を為さないものになってしまうのでは とも考えたり。

久しく会う、家族や友人と、どこかぎこちなく合うハズのものだったものが変わってしまってたり。嗜好や思考が変化してしまってたりとかね。

P.170の老夫婦の話に関しては ちょっと納得するところもありましたが…。



しかし、
『“私”のことなんて誰も必要としていない。』とは思ってしまいますよ。
世界は“私”とは無関係に回り、“私”が無くても必ずどこかで埋め合わせが生じて、そして忘れ去られて回り続ける。


というか、P.25でフランクルの言葉を紹介して、それが許せないとした患者さんの言葉がありましたけど、フランクルの考えも納得いかないですもの。

このP.25の「」で括られた言葉の部分、ホンッットに共感しますよ。(まぁ、私はそこまで辛い体験はしてませんが。想像に難くないですよ。)

待ってる誰か とか、どんなときも意味がある とするならば、虐げられ利用されてくれることを向こうは期待していて、価値を蹂躙されることに意味がある ってワケですか。なんという皮肉。





で、著者の諸富氏の生きる意味に関しては、7年かけた上での、神秘体験みたいなものでこれまた納得いかず。そして『いのちが 私している』という点ですが、
これ、生きる意味とか 人生の意味とか っていうよりか、命の在り方になってるんですよね。
ただ、これは過去にアルボムッレ・スマナサーラ氏の本を読んでても思ったことですが。
(というか、親鸞とかには触れてたけど、その源流の仏教に関しての生きる意味の視点は書かれてなかったですね…。)
(同じく、『自我の破れ』という言葉を本書では使ってましたけど、ブッダ視点では『“自我”があらゆる問題の根源なのだ』とあるので、これもこの書籍としては不透明な部分ですよね。(当ブログの、『100分de名著・ブッダ真理のことば』や、『アルボムッレ・スマナサーラ氏の著書を読んだ』関連で参照できるかと。))
(というか、自我を破りなさい ってコトか? (P.228から。))


命の在り方 に関しては、ある意味で 突き詰めきらないと腑に落ちない…というか、腑に落ちるときがくるんでしょうかねぇ。




総じてですが、
『自分で見つけ出さなくてはなりません』
ですよね。

一個一個、疑問をぶつけ続けてきましたが、全く納得いっておりません。

一切全てに意味は無い と思っています。

むしろ意味づけすること自体がナンセンスなのかもしれませんが、
そうでなければ不都合な出来事や不幸が訪れたときに、嘆き悲しんだり、怒ったりすることも無いハズですから。

好都合な出来事や“幸福”、“受容”などは、理由もなく受け入れて、そうでない出来事には納得いかないから、腹が立つから、受け容れたくない・意味が分からないから反発したくなる(怒りたくなる)もので。

(ま、私の場合、好都合な・幸福な出来事や、受け容れられてることにも疑問を持ってしまったので、非常に引き返せない思考になっておりますが。。。)

人生や未来というものが、全く光が見えないからこそ、考え尽くしたいと思います。
(としか今は言えないです。)

人生に意味はあるか (講談社現代新書) Book 人生に意味はあるか (講談社現代新書)

著者:諸富 祥彦
販売元:講談社
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2011年9月10日 (土)

“【アルボムッレ・スマナサーラ】 : 『「やさしい」って、どういうこと?』読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ 著、『「やさしい」って、どういうこと?』を読みました。

端的に、本書で疑問に上げられている、“やさしい”の意味は、これまでスマナサーラ師の本を読んできたコトや、私がこれまで思い抱えていたコトに繋がり、

『“やさしい”は、自分にとって都合の良いものかどうか。』

そう、
単純に“利害”のような。欲しい都合を適えてくれる人が“やさしい”と。
また さらに 加えて、『群れる』という行為による、“やさしさ”の共有と、その集団以外への排他的な行為。
そして“やさしさ”に見返りを求めたりとか。

もう一つ、スマナサーラ師が『生かされている』という言葉に反対している、というコトも気になったところ。
私自身、『生かされている』という言葉自体が どうか っていうよりか、その言葉が脅迫しているような言葉に思えていたんです。
(別のところには書きましたけど。)
『生かしといてやる』みたいなさ。(スマナサーラ師の言うことと同じコトか。)

少しズレますが、本書にあった、“必要”と“欲しい”の違いで、
これも刺激が促進された結果なんじゃないでしょうか。
欲望の対象となるもの…娯楽やジャンクフードなど(e.t.c...)、刺激促進と経済活性のためで、別に本来人間にはあっても無くても、どっちでもいいものなんですよねぇ。
(…とは言いつつ私自身そんな欲望に囚われておりますが…。)

で、
“やさしさ”は、結局自我の問題で。
『生命が成立する』コトを基準に自然な考えで在れば良い というコトなんですけどね……。

その、自然の流れによる、自分の役割であるとか、自分の本分というもの、それが分からないと思うんですよ。
『どうして私が?』っていう観点にも触れられていましたが、“役割”が過度な負担になってると思うんですよ。…どこの企業にもおける問題だと思いますが、仕事が出来る人が偏ってる …っていうんですかねぇ。『仕事をしなくてはいけない』と強迫観念的に与えられている人が多い…っていうか。
(本書でもそのリムジンのドアを開けるのにわざわざ…ってコトとかね。)

肯定的な・うなずける点では、やはり、夫婦の役割とかに書かれていたことですけどね。ゴハンの支度と、子どもの面倒をちゃんと理解して行うっていうね。これは賛成ですけど。

…こういうコトがね、たぶん “やさしさ”についての基本なトコなんだと思いますよ。
とてもシンプルなところでね。



どうしても過度になってるんですよ。
“やさしさ”を求めすぎるように、欲望や必要の在り方がね。

…ちなみに先日のニーチェの番組では、『自分の欲望に正直に』というのが結論的なものとしてあったんだけど、これも求めるもののバランスの問題なのでしょうかねぇ…。。。

「やさしい」って、どういうこと? Book 「やさしい」って、どういうこと?

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年9月 2日 (金)

“【川田久里夫】 : 『人生をシンプルに変えよう!』読了。”

川田久里夫 著、『人生をシンプルに変えよう! (王様文庫)』を読みました。


もともとはツイッターで…、タイムライン上で安倍吉俊さんのtwitterで、川田氏のブログ、earth in us.にリンクが繋がってまして。そこで書いてあったことが なんか良いな~ って思い。
で、著書が刊行されたというコトで購入しました。


“ミニマリスト(最小限主義者)”を目指すというものがこの本のコンセプト。
生活している中で縛られている、色んなことから自由になって、自分らしい生き方を送ろう! …というような。


非常に実践的なことも多く記されてあります。
食事の面であったりとか、整理方法。また、情報のコントロールなど。



ですが、私が本書の中で一番繰り返し読んでいたのは、1章と8章。
自分の心の中での“しがらみ”みたいなものに囚われて何も出来なくなってる。 そんなものを打開するようなことが書かれていたのが良かった。


『「心のバグ」が見つかる3つの習慣』とかがね。
“うまくいかないことを実は望んでいるからじゃないか”というのは心にくるもので。
(「幸福になりたい」と思っているクセに「不幸になること」をどこかで望んでいるんじゃないか。っていうのはアルボムッレ・スマナサーラ氏の本にも似たような表現があったと思いますが。)
で、仮にここまで気付けていたとしても、どうやって克服(というか“思い込み”からの脱却というか。)をするのか、っていうのがね。
“思い込み”を生んだ(膿んだ)過去に向き合うしかないんですよねぇ。。。

これが難しいというか大変というか。
何故なら それは築いてきたアイデンティティーを一度解体するような感じじゃないでしょうか。
今まで信じ(こまされ)てきたことを否定…というか捉えなおすワケですからね。

で、また これが過去と今が隔絶してるワケじゃなしに、今・現在に地続きだからこそ、過去の自分を見詰めなおすコトは難儀…。
たとえば被害者体質になってしまってることとかね。ビクビクしてしまって萎縮する。また逆にビクビクしてる部分を隠すために虚勢を張る …という今も習慣じみているような言動を、そのような言動を自分が取ってしまってる(しようとしているなと直前で気付く)ことに察知して、改め続けていかないといけないのかな。

本書では『「開きなおる」ところまでいきましょう』とありましたけど。




あと8章のP.187のヤツがね。
本当の自分ってのがねー…。





なかなか面白い本でした。

で、個人的には、購入特典の第9章のエゴについての内容が良かったです。
ここも解放させたいコトですよね。




今も川田氏のブログは更新中ですので。
読んで 活かしていけたらと。

人生をシンプルに変えよう! (王様文庫) Book 人生をシンプルに変えよう! (王様文庫)

著者:川田 久里央
販売元:三笠書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年8月21日 (日)

“『ダ・ヴィンチ 2011年9月号 羽海野チカ インタビュー』を読んだ。”

いつも通ってる本屋さんで、ふと、そういえばダ・ヴィンチ読んでないなー、なんて思って 置いてありそうな棚の周辺を探してたら久しぶりに見つけたので手に取りました。

第2特集の記事で羽海野チカ先生のインタビュー、“羽海野チカ 精一杯の真実”が載ってました。


羽海野チカ先生のツイッターでもたまに拝見したことがありましたが、小さい頃 友だちとかがあまりいなかったとかなんとか。。。

『ハチクロ』に通じる 『3月のライオン』の話。そして 羽海野先生自身の話が全てリンクしておりました。

才能の人とフツーの人、はぐちゃんと竹本くんや、『ライオン』では零くんや島田さんなど、両方の視点が羽海野先生だからこそ(?)描かれているのか。

零くんは将棋を覚えていかなくてはいけないという、生きる手段がそれしかなかったこと、など。後天的なもの。
はぐちゃんは努力も当然だけど、先天的なものの方が強いのでしょう。


『好きなものを仕事に』
などという安直なもので言うのは失礼にもほどがあるというか、
『それしか出来ない』
…というか。羽海野先生にもそういう覚悟がお在りになるというか。
自分が社会と繋がっていくためには、お金を稼いで生活していくためには、これしか手段が無い。という。
…羽海野先生の父親の姿を見て、自分に与えてくれたものを買うために、どれだけ売らないとこれが買えなかったことか。とか。

そしてお金を稼いで生活していくことで、人の繋がりに恵まれていく、零くんのような。













…うーーーーん、『好きなものを仕事に』なんて言葉の意味でだけじゃ無しに、
その、『私はこれを仕事にして生きていく!』というものと、どう出合えるのだろうかと。
手に職を持つ、技術職を得る(職人さんになる) …というような、ね。

しかし『ライオン』はとても顕著にそうでは無い、
零も、二階堂も 少年期にはそれしか出来なかったほどの生活だったから。
“楽しい子ども時代なんて 平気でかなぐり捨てた”(ライオン6巻・二階堂の過去)
“「こっちは全部賭けてんだよ!」”(ライオン2巻ラスト、零の叫んでるシーン)

出合うべくして出合った。(運命的な言い方は好きじゃないけどさ。)
そうせざるを得ない。強くなるしかなかった。

二階堂の初動の動機は分からないけれど、零の場合は少なくとも自発的ではないから。幸田の家による環境の比重のほうが多いから。





さて、私はどうだ。
そこそこ友人のいる昔ではあったけど、別に楽しかったかといえば疑問。
いかに埋没しないで普通でいられるかが重要であった。
好きでしていること? が、本当に好きなのかも分からないし。今、自分がしている仕事も別に好きではないし(多くのサラリーマン・OLがそうであろうが)、そこから上に上がるにしても、上の管理ポストと、下の現場では乖離が見えていることは大きい。

だからずっと、『何故生きるのか?』というコトに一貫して考えてしまう。

何故 興味を抱くのか、何故 好きなのか、楽しいから? それしかないから?
別に“私”が出来ることなんて、ほかの人でもきっと出来るハズだ。
なにか“私”だからなどと執着して 自分らしさのループに嵌(はま)るなんてことをして、無理に“役割”を演じ果たしていくことになんの意味があるのだろうかとか。

『生まれたことに意味はある』とか『あなたは望んで生まれてきた』とか そんな言葉は聞きたくないので。

じゃあ、震災で死ぬことにも意味があったと。喪失感を感じることにも意味があると。…と、何も失ってない人が言えるワケも無いし。家族も家も仕事もなくしてしまうことへの言葉を。

誰かに殺されることも、トラウマ残すほどの傷をつけられることも意味があると。
殺したほうは・傷付けたほうは、性格を省みることなく ただ在り続けているというコトもあるのに。






…あれ?なんか論点ズレてきたな。
あぁ、ま、ただ 仕事によって、色んな人を知ったコト。これ自体はいい経験ですよ。紛れも無く。技術の向上による収入の向上とは全く繋がらない部分で、ですが。

揺るがないものに憧れますが、揺るがないものは揺らぎ続けるというパラドクス。
しかし自分の全てを賭けて その瞬間に最善を尽くす というのは行為としてとても尊いですね。
(なんか“『ダ・ヴィンチ 2011年9月号 羽海野チカ インタビュー』を読んだ。”というエントリに相応しくない内容になってしまったけど、まぁ、いいや。(投げた。))

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2011年8月18日 (木)

“【アルボムッレ・スマナサーラ】 : 『的中する生き方』読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ 著、『的中する生き方―役立つ初期仏教法話〈10〉 (サンガ新書)』を読みました。


“的中する生き方とは 道徳を実践した生き方のことです。”


ということで、“成功”についてを道徳に則して語られてあるのですが、ありがちな成功についての、お金がなんだ とかじゃなくて、
“幸せで成功にみちあふれた人生” と。人生に於いての成功。


とてもシンプルであると思います。 ですが、
『美味しい食べ物には毒がある。』というように、欲を肥大化させてきて健康を害するなどのように。
自我が真理や道徳を阻んでいるんですね。


学校で言う、道徳の授業が好きじゃないことも、“上”から言われる『これを守れ』というコトが、受け付けないことも、
『自分が言ったその 正しいことをやりもしないで人にばかり言うなんてどういうことだ!?』
っていうことから 道徳なんて守るに値しないもの、なんて思ったり、好きじゃなくなっていくのよねぇ。
確かにその通りなんだわ。



“子どもの自立心を妨げる育て方は要注意”の項で、(P.120)
自分の責任として 理性をはたらかせて学んでいく、というのは興味深い。

この部分は後半 第4章のソーナダンダとの対話にもリンクしているのかも。
お釈迦様が平和的な対話で、自ら気付かせていっているように。
“対話形式で相手に気付かせるのが大事”(P.172) ともありますからね。

なんせ、“押し付けられる”というイメージ。“守らなければならない”から嫌悪の対象でもある“道徳”というもの。



前のほうに、“倒産しない会社の社員は意識がちがう”という項がありましたけど(P.30)、

“「ブッダの言葉だから信じます」ではなく、「自分が理解して納得のいったことだから信じることにしたのだ」との考えにいたるようにすることなのです。(P.173)”

…とを併せて、自発的で且つ、良い対話が出来てるものが、道徳の良い連鎖を生むのかしら。


で、
“こころをきれいにすることが「道徳」”とありまして、『十悪(じゅうあく)』をしないことが、道徳的に生きる道に繋がっていくのだそうで。

“殺生”よりも、“邪見(じゃけん・間違った意見(見解)を持つこと)”が重いのだそうで、この“邪見”が『十悪』のおおもとだそうな。

物事を正しく見ることが出来ない、背景や証拠をちゃんと把握し、理性的に捉えることのできない、そんな状態である以上…“邪見”の問題さえ解決できれば、道徳的に生きる道は開かれるようなものだと。

…これねぇ、相手が“邪見”の渦中にいて、『対話』できないような状態だったらどう接するんだろうと考えてしまいましたが。
(P.178に“対話にならない場合もあります”と記してありましたけど。)
P.118に無差別事件を取り上げて書いてありましたけど、まぁ……、そこまでいかなくても、“邪見”の中にいて、暴力的な言動になってる相手にどうしても直面したらどうするんだろう。
危害をあたえてくるような相手だったらどうしても避ける方向になるのかな。
そうでなければ、相手の“瞋恚(しんに・根拠もなく、心で勝手に妄想する怒り)”をこちらが“正見”で察して、それこそ仏のような心で接するよりほかならないのでしょうか。


なんていうか、あまりにも道徳的ではない生き方をしている人が当たり前のように幅を利かせていたり、“十悪”を侵していても利益を得続けていたり。(P.33の4項目とか)
『マジメに生きる人が損をする。』って言葉、聞いたりしますからね。

けどこの本は『人生で成功する方法』。
上記に書いた“損”はおそらく金銭的なものや精神的な不利益なことにあたるけど、
仮にその不利益を被ったとしても、危機の際に『どうするべきか』を決めて対処できる、“智慧”のある人になれたら、問題は解決できる。“道徳”的に則していれば問題ないと。

物事は全て中立で、見たもの・体験したことからの…一切の経験からの感情に支配されることなく、ありのままをただ理性的に捉えて行動すれば“成功”の糸口は見えるのでしょうか。

ありのままを ただ、捉える・受け容れる って過去を過去のものとして別に考えないと難しいのかしら。
けどそこで『難しい』と思ってしまってることが“正見”を阻んでることになるのかなぁ。

的中する生き方―役立つ初期仏教法話〈10〉 (サンガ新書) Book 的中する生き方―役立つ初期仏教法話〈10〉 (サンガ新書)

著者:アルボムッレ・スマナサーラ
販売元:サンガ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年7月25日 (月)

“【DIR EN GREY】 : 『AMON』(ビジュアルムック)読了。”

DIR EN GREYのビジュアルムック『AMON』を読みました。

CDとブックレットとポスターが同梱されたムック。


CDの方はアルバムからの先行収録の楽曲 先ず、“AMON”。
1曲の中での展開が激しく、京さんの声も多種多彩に用いられております。

2曲目は“残 -Wizardry Ver.-”。ゲーム仕様としてイントロが加えられたくらいで、大半は『激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇』収録のものと同じかと。


ブックレットの部分はフォトと各メンバーインタビュー。

京さんのインタビューに関しては、特に今作の歌詩などに触れるでもなく、過去のインタビューにも語られたような、DIR EN GREYとしての楽曲制作スタイルについて。

他のメンバーに関しては、今回収録曲についての各楽曲への想いや、震災についての影響などが少し語られています。


アルバムについて、やはり尺の長い曲というのがあるようで。
また 楽曲制作時期と、曲順、取り直した曲などについて語られていて、アルバムへの期待が高まるものですね。

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2011年7月20日 (水)

“『新・絶望に効く薬』読了。”

新・絶望に効く薬』を読みました。

写真週刊誌FLASHで掲載されたものの単行本化。

…というコトなのですが、冒頭の“はじめに”にあるように、写真週刊誌の為、今までと勝手が違うのか1人のゲストに対してのページ数が少ないし、漫画の画面構成もなんだか見づらい。そしてゲストの方の写真はどっちでもいいかも と思いました。


『マンガ編』と、『テキスト編』と2パターンの収録で。
“はじめに”にあった通り、マンガのページ数が少ないため、対談のいいトコをあまり掲載できなかった為、テープ起こしの『テキスト編』というのが今回収録されてます。

正直、『テキスト編』だけでも十分面白かったです。
ま、前提として 先に情報量の少ない『マンガ編』を読んで、予備知識を備えた上でさらに話題を多く含んだ『テキスト編』を読んだのだから読み易く感じたのかも。


対談相手が芸能人系ばかりなのはちょっとつまんないとも思いましたけどね。


取材順は違うみたいですが、一つ目のしょこたん編はたしかに微妙……。(苦笑)
(それでも“テキスト編”はまだ読み易かったです。)



ただ、『高樹 澪さん編』、『倉田真由美さん編』は“マンガ編”でも十分面白かった……っていうか、“山田玲司フィルター”が入ってたから面白いのかな?とも思ったんですね。
聞き手である“山田玲司”の印象に残ったことが大きく表現されるから。
(『森達也さん編』で言うところの“編集”)

けど“テキスト編”で見てもやっぱり面白かったです。お2方のは。
地球人難しいよねー。

くらたまさんの、色々だめんずに引っかかってきた女性の話とか、そして自分も…みたいな話とかね。

で、このお2方を総括というか凌駕してるのが、『藤岡 弘、さん編』。
“マンガ編”では特になんとも思わなかったんですけど(というかページの都合もあるんですけどね。4ページじゃ無理ですよね。(笑))、“テキスト編”で藤岡さんの話を読むと活字だけで十分圧倒される。
周りの支えてくれるもの全てへの畏敬の感謝の念を持つこととか、

くらたまさんと、高樹さんの回では、人に騙されたりしたエピソードがあったんだけど、
藤岡さんの、
『人を信じると とことんまで信じる、そして裏切られることも多かった。けど助けてくれる者もいた。無常を知った。』
『一瞬一瞬に生きる』『苦を楽しむ』
などの言葉を見ると、一瞬で色々吹き飛びますね。
(この回は2回に分けて、『山本寛斎さん編』みたいに太いペンで熱くマンガに出来てたらなぁー、なんて。)

『小島よしおさん編』、『ルー大柴さん編』も、テキストで読んだほうが印象良かったです。


芸能人とかの比率が多くなってしまうのかもしれませんが、今回収録の『藤岡 弘、さん編』みたいに…なんつーか、心にこう ぐあっ!とくるような? そういう方もみえると今後も楽しみですよね。

ところで単行本に巻数表記が無いですが、ちゃんと続刊して下さいね、光文社さん。

新・絶望に効く薬 Book 新・絶望に効く薬

著者:山田玲司
販売元:光文社
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2011年6月27日 (月)

“【アルボムッレ・スマナサーラ 】 : 『心は病気』 読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ 著、『心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)』を読みました。


前提として、医学の分野で治せることと、仏教の分野・お釈迦様の智慧で治せることがある というか、先に香山リカさんとの共著、『生きる勉強』を読んでいたので、そこは まぁ、ともかくとして。“からだ”を治すことは医学の役目っていう。


そして“心は偉大でありながら、すごく弱くて徹底的に守らなくてはいけないもの”で、“心は智慧のない大バカ者”であると。(P.23-24)


“心は絶対的な支配者”というのはまさに。
心が正しいということは絶対で、“私の”心は正しい。自我に囚われている。

“「人間が生きる」ということは、「好きなものを得るために行動する」「得られないものや邪魔するものは全部壊す」のいずれかです。この2つのエネルギーに支配されているのです。~(P.33 より)”
これのどちらもが問題であると。


結局のところ、『私は正しい』、『私は正義だ』、『私は善意に基づいて行動している』とか、その全てが正しくて、 問題で。国家間の戦争や個人の諍い全てに共通するんじゃないでしょうか。
後半のお悩み相談の章のところであったような、“誰もが他人に迷惑をかけている”っていうのとかね。
“結局、誰もが自分のことしか考えられないのだ。”(P.144)
というね。




で、『希望通りに適わないことを知る』と、『柔軟性を持つことが大切』というコトなのでしょうけど、そうはいってもなかなか厳しいコトを本書では挙げられていて、

“自殺する社長のバカバカしさ”(P.68)とかね。
なんていうか社会的な成功が人格者的に捉えられて、その成功の裏に幾ばくかの『たまたま』があったとしても、失敗を許さない・許せない・許したくない -という背景がある限り、『“私が”失敗なんてするハズがない』と、責めて責めて苦しんでしまうんですよね。
ここはちょっと辛いことなんだよね。無常だと分かっててもさ。
で、『仕事が出来る人』と称される人は“たまたま”その分野で自身の立ち位置がたまたま適っただけのことなのに、偉ぶってしまったりね。

…あぁ、これが先に書いた「人間が生きる」2つのエネルギーの方向性なのね。



もう一つ重かったのが、“仏教のエピソードから心のケアを学ぶ”ってところの2つ目の話で。
箱入り娘で、実家の家族や夫に依存していた女性の話。全てを失って狂ってしまった上でたどり着いたお釈迦様からの言葉とやらが、
“「この世の中で何も頼るものはない。誰も頼りにならないんだよ~(以下略)」”(P.114)

このエピソードの端々に書かれてありましたが、“日本では地震も多いですし、火事で一切を失くすこともあるでしょう”と。神戸の震災のコトまでも挙げられて書かれていましたが、

…ちょっとこれは難易度高いです。まさに今の日本の、東日本大震災が起きたあとの日本の状態には。

何も思い通りにならない。自然現象によってさまざまなものを、家族や友人を、家を失くしてしまったとしても、自分は自分として律して生きていかなくてはいけない。
『世の中は思い通りにならないことがある』ということを、此処まで教えて、心を育てて、教育しないと…というのはすごい究極のところですよ……。



日本の社会的な視点でも、『思い通りにならなかったから殺す(暴力的な行為を人や物に行う。外向きの。)』『思い通りにならないので自殺する(内向きの。)』というような、破壊的衝動に駆られてしまう人や状況がある限り、家族や地域、政治の役割として“人”を教育する必要があるんでしょうね。

先ずは今の状態をありのままただ受け止めることから。

心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書) Book 心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)

著者:アルボムッレ スマナサーラ
販売元:サンガ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年6月 8日 (水)

“【アルボムッレ・スマナサーラ×香山リカ】 : 『生きる勉強』読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ×香山リカ 共著、『生きる勉強 (サンガ新書)』を読みました。

以前、スマナサーラ師のムックを読んで、著書を読みたいという気になり、手に取りました。師の著書はムックのを除いて初めて読みます。

香山さんがかなり突っ込んで聞いておられるのが良かった。実際に患者さんに向き合ってる立場だからこそ色々なケースも見てきてるだろうし、色々な対策も取ってこられたろうけど、それでも良かったのだろうかと思ったりね。

スマナサーラ師の方はそんな香山さんからの質問に全く動じないというか。(あとがきにて、あまりに自分の意見ばかり述べてきたんじゃないかと。というコトには触れてましたが。(笑))

基本は“自我(エゴ)”についてで。
“替えのきかない自分”とか、“私じゃなきゃ…”っていうコトに縛られてね。
後半にあった“エゴイストのグローバリズム”とか。“私の国の価値観が正しくて、ほかもそうなればいいのに”的な。それが全ての是であると頒布してね。別に悪気はないんだろうけど。
その価値観の正しさみたいなものが、色んなトコで溢れて刺激されてね。

生きることの意味 …みたいなものが、その自我を満たすものでもあるのが厄介なんですよね。
エゴを満たすことで華やかなものに包まれる、幸せに包まれるとかね。

生きることは元来苦しいことで、だからこそ真摯に生きるコト、今、この瞬間が大切だ っていうコトが説かれてると思います。

まぁ、私自身も“生きる意味なんて無い”とは思ってますけど、だ か ら こ そ 何故生きているのか、生かされているのか、それが疑問でヒントを求めてたのもあるけど…。むぅ。

この前のクローズアップ現代で幸福の指針についてやってたけど、そんな指針とかわざわざ考えなくてはいけないほど、たぶん生き方は分からないと思うの。殆どの人が刺激により“私”を満たすコトが生きるうえでの糧と思ってしまうように。

そんな厄介な生きることだからこその『生きる勉強』。まだまだ勉強しないとねぇ。

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2011年4月18日 (月)

“【アルボムッレ・スマナサーラ】 : 『ブッダの贈り物』読了。”

アルボムッレ・スマナサーラ 著、『ブッダの贈り物』を読みました。

スマナサーラ長老の名前は、著書『怒らないこと』などで知ってはいましたが、長老の本を読むのはこれが初めて。

結果的に丁度良い、入門書となったかもしれません。

養老先生との対談による“体”の話。
宮崎哲弥氏との対談による“無常”の話、が 面白かったです。

同対談のなかで、『仏教は何も信仰しません』というのは衝撃。また、『生きる意味はない』コトについても。
…まぁ私自身、過去色々読んできてる中で、『生きる意味はない』と思ってましたが、それについてのスマナサーラ長老の考えが少し知れて良かった。

法話セレクション『智慧の扉、 希望への道』の項も面白かった。大体が“無常”をベースにしたものが語られているのではないかと。“『安定』は妄想である”とか。マイアンサーナンバーワンですね。(KICK思い出した。(笑))

ほかにも瞑想方法が少し紹介されてたり、スマナサーラ長老の著書紹介など。
これから私もほかの著書に触れてみようかと。

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