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2011年10月

2011年10月31日 (月)

“『こがわみさき:空声-そらごえ-』読了。”

こがわみさき 著、『空声 (電撃コミックス) -そらごえ-』を読みました。

声・音にまつわるオムニバスストーリー。

かなり久しぶりに著者の短編集を読んだのですが、良い意味で昔と変わってないですね。
月刊ステンシル(エニックス 刊)時代の読み切りとか読んでましたけど。

ふんわりした日常の中のファンタジーがあったり、ギャグがナチュラルな仕草からだったりと相変わらずでありながら、あったかい人間模様など。

2話目がそういう意味では一番、どこかくだらなくもあって良かったですね。
声とか、よだれとかが。(笑)

4、5話のファンタジーな流れも、作者さんならではの世界観の表現だったんじゃないでしょうか。

昔から作者さんの作品をお好きな方なら、きっと 作者さんの変わらない部分に安心したり、作品の世界観に安心できる本書ではないかと。

空声 (電撃コミックス) Book 空声 (電撃コミックス)

著者:こがわ みさき
販売元:アスキー・メディアワークス
発売日:2011/09/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年10月30日 (日)

“『サッポロ 麦とホップ<黒>』を飲んだ。”

サッポロ 『麦とホップ<黒>』を飲みました。

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

「麦とホップ<黒>」は昨年キャンペーンの景品として特別に醸造したもので、当選されたお客様に高い評価を頂きました。今年は商品として発売を期待する声に応え、数量限定で発売します。
 中味特長は本格的な黒ビールが持つ、コクと苦味を新ジャンルで実現し、缶体のデザインも黒色を基調としました。また、販促活動では、CMを放映するなど積極的に展開していきます。

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

だそうで。(以上、HPより)


別においしかったですよ。

黒いビールって微妙なのもあるんですけど…。
エビスのブラックか合わないっていう人もいますし。実際この「麦とホップ<黒>」も、合わないっていう人も近くにいたんですけどね。

まぁ、でも、エビスに関しては、私はエビス自体が合わないので苦手 っていうのもあるんですが、麦とホップ自体は好きなのでね。

だから別に全然イケるんですけどねぇ。

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2011年10月29日 (土)

“【金曜ロードショー】 : 『[映画] 君に届け』を見た。”

2011.10.28.O.A.

金曜ロードショーで、劇場版・『君に届け』を見ました。

多部ちゃん目当てで、初めて見たんですが。
まぁ、多部ちゃんカワイイですよね☆

ツイッターのTLで実況も見てたんですけど、だいぶカットされてあるみたいですが、それは映画からテレビに焼きなおすときにカットした、っていうことと、原作からカットした、っていう両方なんでしょうかねぇ。
(wiki見たら 上映時間が120分超えてるので。)



なんていうか恋愛っていうよりかは、女同士の友情みたいなものの強さがあって、そこだけでも結構熱いんじゃないですか?
なんでそう友情関係になっていったか、っていう動機の部分が、見てて個人的には疑問なのもあったんですが。。。
(喜んでくれるからしてあげたい、っていう爽子の思いだったけど、利用されてるんじゃないか、とか、面白がられてるだけじゃないか、とか考えたりしてね…、(見てる私がひねくれてるだけかもしれないけど。) 爽子が疑うような子では無いと思うけどさ。)


ツッコミどころとしては、校舎の屋上が断崖絶壁だったとゆー…。www
……向こう側に映ってた校舎はフツーに柵があったのにねー…。w

くるみについて『アーモンドっぽい』…て……。どんな比喩よ…。w

ラストで爽子が告白するときに「いいよ、ゆっくりで」とか言ってたと思うけど、どんだけ余裕あんの風早くんッ…!!


思ったほどキュンキュンしませんでしたけど、多部ちゃん可愛かったから別に大丈夫です。←

原作とアニメは全く見てなくて……、…見るとハマる気がするから見てないのもあるけど、いつかは見ておきたいなー…。

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2011年10月28日 (金)

“【きづきあきら+サトウナンキ】 : 『エビスさんとホテイさん』読了。”

エビスさんとホテイさん (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)』を読みました。

1年前に刊行された作品ですが、ようやく。

これまでの きづき+サトウ コンビの作品にしてみれば、非常にまったりな感じです。
鋭い心理描写はありますが、これまでの作品に比べたら…。(笑)

エロい描写も無く、本書あとがきにもありました通り、“寸止め”な感じです。
(エビマヨが寝てるところに 服の中へ手を入れようとしてるところとかね。)

まぁー、なによりね、ホテイさんが、エビマヨの知らない一面をどんどん見ていくことによって、キライが興味になって、どんどん惹かれていく、っていう。
そんで、ホテイさんが精神的にパワフルになっていく、っていうのが面白かったですよ。(エビマヨのお姉ちゃんとのやりとりとかね。)

なんていうか、作品自体が寸止めなのも残念というか…。
本編最終話の5話目の最後で、想いの本意を匂わすようなもどかしい状態で作品が終わる。
…ってどういうこったー! w。

もっとイチャイチャが…進んだ展開があっても良かったのにー、って思いましたね。

エビスさんとホテイさん (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ) Book エビスさんとホテイさん (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)

著者:きづき あきら,サトウ ナンキ
販売元:芳文社
発売日:2010/08/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年10月27日 (木)

“【映画】 : 『モテキ』を観た。”




映画、『モテキ』を観てきました。


昨日・水曜日に朝10時過ぎからのヤツで見に行ったんですね。

リア充カップルとかいるとウザいので(笑)、なるべく時期外して行きたかったんですよ。
公開して間もない時期だと普通に人が多いし、レイトショーになると 尚 リア充のカップルとか居そうなので、公開から1ヶ月経って、まして朝に行ってきたんですね。
館内はカップルが1組程度。水曜日でレディースデーということもあって女性1人での方をちらほら見かけました。

ちなみに私も1人だが何か。(←

(っていうか、どっちみち1人でいつも動いてますが…。)


私信ですが、私 前日の仕事が終わって 寝てないまま、非常に睡魔が心配な状態の中、車を運転して劇場の入ってるショッピングモールに向かったワケです。
(そんなに人が多いのイヤかと。w)



以下、ネタバレを含みます。
(かなり内容にツッコミ入れてますので、観てない方で楽しみにされてる方は読まない方がいいかも…。)







内容ー。
過去、このブログでも書いた通り、原作も読んでますし、テレビドラマシリーズも見た上でなので、内容の知識的な部分で困ることは無くー。

雑感ですが、長澤まさみ演じる・みゆきは確かにカワイイと思うんだけど、おっぱいとかカレシ持ちってのがねー、
確かどこかで、
「恋人のいない女を争奪するには何千・何万のライバルがいるけど、恋人のいる女を自分のものにするには、たった1人の男に勝てばいいだけなんだ」
…っていう主旨のセリフがあったと思うんだけど、よくもまぁフジくんは逆に冷めないなー、って。
なんつーか、美人?かわいい?感じの子で、カレシ居る ってんなら、それは付き合いたいとかってより、ただヤりたいだけって思うので、奪って自分の色に染めるっていう欲がね。 そんなめんどくせぇ道わざわざ選ぶなら風俗でも行けよコミュ障が☆ とかね。

つかツイッターでたまたま絡んで意気投合して、いきなり部屋で一緒になってあんなキス(あのキスすごいねー、水のね。 よく思いつくね大根監督…(笑))とかしてくるような女、それ、逆に引くわ!と。w
逆レイプか!?☆ それ自分に(みゆき自身に)相当自信が無いとできないだろうと思うにな。
みゆきはカワイイとは思うよ。うーん。

本編中で、仲 里依紗さん演じる・愛が、『結局好きになってくれてから、そこからの暴走で 暴走に自覚してシャッター下ろすみたいなことを繰り返してしくじってきたから、今回(のみゆきちゃんへの想い)も失敗するよ』みたいなコト言ってたと思うんだけど、
そういった意味では今までのモテキシリーズと違って、相手・みゆきの フジくんへの想いがガチかどうか分からない(しかもカレシ付きだと途中からは知ってるワケだし)中での、フジくん本人のなんだかよく分からないけど好きだから諦めきれない …みたいな一途さはこれまでと全然違う印象。

だから今作は“モテキ”であって、“モテキ”では無い気がしたの。
過去シリーズみたいに、色んな女に本気(瞬間湯沸かし器みたいな、ですが。w)になってるワケでもないし。


そんな中、フジくんが揺さぶられたのは、麻生久美子さん演じる・るみ子で。

キャラクター的にも、この麻生さん演じる・るみ子は良かったですよ。長澤・みゆきちゃん以上に。
清楚な感じで、大人の女性(っぽい)るみ子が、フジくんへの好意で歪んでいく(←? (笑))というのはカワイイと思いましたよ。
特にあのフジくんが別れを切り出してからの夜の道で、「うわぁ~うわぁ~」ってなってるところね。あの飛びついてフジくん倒したトコ。w
…まぁ、その可愛さも、ハタから見たら…ってところで、実際に近くにいたら重く感じるのかなぁ。でも、現実でもっと重い女性のエピソードとか聞いてるとこの映画にあっただけの内容だとあまり“重い女”には見えなかったんですけどね。(笑)

B'zは素晴らしかったです。これは麻生さんにイメージが遠いから尚更。w

墨さんと朝チュンしたあと、そのまま出ていって牛丼をどんどん頬張るところはエロい。エロかったです。(←


仲 里依紗さん演じる・愛は、あまり出番無かったね…。しかも他の女性陣との接点も…。
見どころとしてはおっぱいくらいしか…。
朝おっぱいに手ぇ付けてるとこもだけど、フツーに寝てる姿を見るだけでも、仲 里依紗さんのファンの方はご覧になればいいと思うよ。つか、ケバい格好してたときから、あんなに胸を強調して…、…なんて思ってたけど、『ゼブラーマン』のときの方がすごかったっけな。


真木よう子さん演じる・唐木は、映画予告編では“ツンデレS女”とあったけど、デレは無かったよね…。原作 及びドラマ版でのリンダポジションだろうけど、別にフジくんがモテるためにどうこうってのじゃなかったから。
それよりも、フジくんが就職した、ナタリー編集部として、あの集団としてはすごく良かったと思う。
墨さんがうまく転がしてるからかもしれないけど(笑)、なんかあるとすぐ挫けてシャッター下ろして逃げるようなタイプだったフジくんだったと思うけど、たぶんあの映画の中のストーリーが続くなら、彼はナタリーを辞めないでいられると思うなー。
なんかサブカル知識があるから、っていうこともさることながら、うまいこと編集部の面々に可愛がられ続けるような。そんな雰囲気に見えたなー。

っていうか墨さんは……、すっかりヤリチンキャラに…。w


各キャラを中心に雑感どころかかなりがっつり書いてしまいましたが、ホント面白かったですよ。
歌のかかるところの演出とかね。“失格”の曲がかかって歩いてるところは噴いた。w

オープニングはフジファブリックがワクワクさせるし。ポールダンサーとかマジ豪華やね。
女王蜂は、映画で初めて見ましたよ。今こうして家でこれ書いて、ネットで女王蜂どんなんか見たりしましたけど、きっと映画本編中にもあったように、実際にライブに行ったらハマるかも。
Perfumeはあんな大胆に出演してるんですね…。
つか、Perfumeもだし、森山くんとか、ほかのダンサーさんとか、あれはすごい!華やかで見てて楽しいですわ。
あと、エンドロール!あれは見るとこ多すぎて目で追いきれないよ…。
DVDで一時停止しながらちゃんと見たいなー。

つかCカメが大根監督でいたけど、監督ってカメラ持つもんなのかしら?


かなり長い感想になってしまいましたけど、それだけ見どころ、面白いところがあったんです! なんつーの、友達とかに、あれが良かった、あのシーンでこんな人が…! とか言いたくなるような、ね。
やー、総合エンターテインメントの作品になってましたよ。
DVDになったらまたじっくり見たいな。カットされた映像もあるだろうし。


外部リンク↓
ナタリー モテキ 映画公開記念スペシャル


予告映像↓




↓パンフレット

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2011年10月26日 (水)

“【別天荒人×たなかかなこ】 : 『怪盗ロワイヤル ~ロザルタの秘宝を追え!!~』読了。”

怪盗ロワイヤル 〜ロザルタの秘宝を追え!!〜 (ヤングジャンプコミックス)』を読みました。

原作をたなかかなこ先生が担当されているというコトは、ネームとか大筋はたなか先生がきっておられるのでしょうかねぇ。

また、私自身は別にケータイのゲームの“怪盗ロワイヤル”とかはやったことも無いし興味も無いんですけどね。

別天荒人作品で、前述した短編集と同時発売だから購入したんですが、短編集のほうのレビューにも書いたかもたけど、別天先生の個性が発揮しにくいタイプなんですよね。こういう作品。

世界観が固められているのもありますし。…ゲームがもともとあるのも理由なんですが、あまり“らしさ”が見れなかったとゆーか。。。
まぁ、無理もないんですけどね。こういう作品ですから。
ただ作画職人としてじゃなくて、漫画家・別天荒人が好きだと ちょっと物足りない感じです。

ストーリー自体も、ウブカがもっと大きく絡んでくれたら良かったのになー、っていうのはあります。テコ入れじゃあ無いんですけどね、なんかね。
この巻の最後で、ようやく3人が揃って、これから始まる… ってところで終わってるから尚更。
原作ものだからどう っていうんじゃないと思うんですけどねー…。うーん。

怪盗ロワイヤル 〜ロザルタの秘宝を追え!!〜 (ヤングジャンプコミックス) Book 怪盗ロワイヤル 〜ロザルタの秘宝を追え!!〜 (ヤングジャンプコミックス)

著者:別天 荒人
販売元:集英社
発売日:2011/10/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年10月25日 (火)

“『アナザースカイ 別天荒人短編集』読了。”

アナザースカイ 別天荒人短編集 (別天荒人短編集)』を読みました。

いつの間にか、別天荒人先生はヤングジャンプを母体にされることが多くなり。
…というか、おそらく『ガールフレンド』のヒットで(?) おそらくそうなってるのかな、と。

本書の最初に収録されていた読み切り、“僕のキライな君のコト”とか、原作なしでもこのような作品を描かれてたワケですねー。
(でも、この作品は『ガールフレンド』以降なんですよね。)

好きな作品は 先ず、“Sweets or Die”。
セリフなしの漫画だから というよりか、別天荒人先生らしいポップなキャラ・演出がめくるめく表現されてるので。これは長くしてセリフがあっても全然アリです。


そして“お姫様ストライカー”。
このバカっぽい感じが 実に“らしい”ですよね。(笑)
評価のアルファベットが胸のカップサイズなんてことはオチる前に容易に想像つきましたが、主人公の沙和ちゃん(これ掲載時期が最近だったら別の視点が印象ついたんじゃないかと。w 漢字違うけど…ってゆーか 苗字と名前で違うんだけどさ。w) と、友人の樹里ちゃん。 そしてカントクの性格がぶっとんでるのが良いやね☆ …連載としては不向きなタイプだと思うけど…。


別天荒人先生は、最近の作品の感じから、現代劇が多いので、まして原作付きを多く描かれてるので、単独作品をもっと見たい っていうのはあるんですけどねぇ。
『プリンス・スタンダード』みたいなのが、一番ポップとギャグとストーリーが見事に絡まった良作だと思うんですけどねぇ。(細かいネタのツッコミとかもね。)


この短編集で最後に収録されてた“竜日-ryujitsu-”がこれまでの別天先生の中では一番ストレートで、作者さん的には変化に富んだ作品ではないでしょうか。
内容はかなりシリアスでギャグは一切無いですからね。

この短編集で、まぁ、原作付きのものもありますが、別天荒人先生が色んな作風のものが描かれることが改めて分かった印象ですので、もっと色んなのが見たいですね。
どうしてもポップなものを作者さんには期待するのもあるんですが。最近現代ものが多いので、“現代にファンタジー”というよりか、世界観ごとファンタジーの世界の作品とか これからも見てみたいですね。

アナザースカイ 別天荒人短編集 (別天荒人短編集) Book アナザースカイ 別天荒人短編集 (別天荒人短編集)

著者:別天 荒人
販売元:集英社
発売日:2011/10/19
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“1111+1”

あ、前回のエントリが1111記事目だった。

や、そんだけです。(笑)

11月11日に偶然達成してたら面白かったのに。(笑)

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2011年10月24日 (月)

“『國崎出雲の事情 7巻』読了。”

國崎出雲の事情 7 (少年サンデーコミックス) (7巻)』を読みました。

前巻での引きにあった流れで、フランスから帰ってきた歌舞伎役者が学校を牛耳ってることとかでまたトラブルが起きたり…。という巻。

篠竹のヤンキーぶりが、非常にわかりやすく、もともと自分に自身が無いがゆえに突っ張ってるという、“弱い”人が自己顕示するために肩肘張ってるだけという。
…歌舞伎としての技術は一流なのに勿体ないよね。 

本編を通して、活動休止に追い込んだ芸能科の女子のフォローが描写されてなかったのが気になりましたけど…。

で、いつものように出雲に舞台を通して諭されるワケだけど、今回はこれで諭されてるワケじゃないのよね。
舞台が終わったあと、一緒に遊んでたヤンキーにボコられてから省みたくらいだろうし、68話の終わりの感じではどう反省したか、どうリベンジしたいか分からないからねー。



ところで、本編で回が進むごとに、栂敷せんぱいの内面イケメンぶりがどんどん際立ってきて、栂敷せんぱいがちょっとイイ扱いをされてるとちょっとニヤニヤ☆

そしてヤンキーにはヤンキーってコトで、菅原兄弟もそれぞれが立ち居地を全うしてるとゆーか。
篠竹の母校に行って、「OBだこのヤロー!!!」は噴いた。w 
菅原兄はもはや松樹にしてみたら『○○とハサミは使いよう』みたいな…ゲフンゲフン…。


今巻の出雲…。何故窓を拭くのにそんな艶やかな表情を。そして粂寺先生なぜツヤツヤしてるのかしら…。www

P.120で 更科姫(鬼女)として登場した出雲の目が非常に良かった。
鬼女として舞台後半で登場した姿よりも、最初のあの目で”鬼”を含んでるような表情してたのが良かったなー。

今巻ラスト2話はギャグ回で、

出雲の ブ・ル・マ だと…。
尻が … ハミ出てるぞ…をいをい……。www
もう一話の方は、出雲のエプロン姿もあれだけど、加賀斗のおねえさまな格好とか、割烹着姿が…!イイネ☆ 加賀斗の普段の性格も踏まえて、この雰囲気は良いわね。優しく色々教えてくれるんじゃね☆

…あとがきまんがを含めて、篠竹の兄弟子の新さんとやらはガチなのか…。



さて、初回版でドラマCD付きを買ったワケなんですが、声優さんに関しては色々ありましょうが、誰より栂敷せんぱいが一番声がハマってたような気がします。

内容は原作の持ってるドタバタな感じがよく内包されてたんじゃないでしょうか。
合宿でみんなとお風呂に入るとかよくやったな…。というか展開が…栂敷せんぱいの行動が予想つくから見事すぎて素晴らしい…w

後半のメイド喫茶はじゃんけんが延々と続くのはどうかと思ったけど(っていうか、松樹のイントネーションが気になったんだけど、サンデーまんが家BACKSTAGEでひらかわあや先生のコメント見たら、やっぱり発音が思ってたのと違ったそうな。…こういうのって原作者さん立ち会わないんでしょうかねぇ…。)、
杏李ちゃんのツンデレキュンキュンぶりが表現されてて満足ですね。
本編でも杏李ちゃんと出雲の2人の関係をもっと深めてほしいなー。

國崎出雲の事情 7 (少年サンデーコミックス) Book 國崎出雲の事情 7 (少年サンデーコミックス)

著者:ひらかわ あや
販売元:小学館
発売日:2011/10/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

國崎出雲の事情 7 ドラマCD付き限定版 (少年サンデーコミックス) Book 國崎出雲の事情 7 ドラマCD付き限定版 (少年サンデーコミックス)

著者:ひらかわ あや
販売元:小学館
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2011年10月23日 (日)

“『瀬戸内寂聴の東北青空説法』を見た。”

2011.10.22.O.A.

『瀬戸内寂聴の東北青空説法』を見ました。

番組で気になったところを中心にメモ。↓


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

岩手・陸前高田にて。
『失ったものは返ってこない。 似たものを作ることは出来る。』
『しかし 失った心は返ってこない。本当に大切なものは 目に見えないもの。
  神・仏・亡くなった人の魂・みなさんの持ってる心。…そういうものが大切。』
『何を失っても。心を失わなければ 生きていけます。』

『亡くなった方は私たちの代わりに死んでくれたの。苦しみを代わって死んでくれた。“代受苦(だいじゅく)” それで今 私たちは生きている。』


岩手・天台寺にて。
『どんな辛いことも、それをバネにして生きていくことが出来る。 “定命(じょうみょう)” それだけの命だけしか生きられないと決まってる。 いつか死ぬから 今日一日をしっかりと生きましょう。』

『いい人がね、一生懸命まじめに働いてね、家族を愛してね、そういう御方が、もう みんな亡くなってるのね。 いいことをしたら いい報いがあると 昔から言いますけど、そんなこと無いよ。悪いことしたって図々しく生きてる人はいますからね。
  だけど、そういう矛盾や相克が山ほどあるのがこの世なんですよね。だからお釈迦さまは「この世は苦だ」と仰ったのね。そういうのが無ければ苦しみは無いですよね。
  だけど そういう苦しみが無ければね、哲学も起こらなければ、宗教も起こらなければ、文学も起こらないんですよね。ですからそういう人間の糧になることは、やっぱり人間の不幸を踏まえて生まれてくるのね。
  でも、時がそういう苦しみを薄めてくれるのね。時が薄めてくれるのが悔しいときがありますよね。もう忘れてならないのに、フッと気がついたら、亡くなった人のことを 朝も昼も夜も考えて。3年も経つと 今朝は思わなかった、昼間は忘れてた そういう時が必ずくるんですね。でもそれは それが救いだからね。そのときに忘れた自分を責めたりしないで下さい。忘れさせてくれるのが 時の所為ですよね。』


福島市へ。
『苦しみが分からないと言って済ませられない。』
『“無常” 常では無い。 今 ここに居続けることは 続かない。 どん底の下はない。どん底についたら上がるしかない。ボールをついたら弾むように、だんだん良くなっていく。』

10月。石巻市へ。
2人の高校生のラジオに寂聴さんがゲスト参加。
『“若き日にばらを摘め” 若いときは手に怪我をしても、ちょっとすればすぐ治る力がある。心の傷も 若いうちはすぐ治る。若いうちはキズつくことをおそれないで と。』
『笑顔にしてると幸せがくるのよ。大変なことがあって、また悲しい顔してると、また不幸がやってくるから、笑顔を人に与える。“和顔施(わがんせ)”人を幸せにするのよ。
  にこにこしてる顔で人に接すると 相手も幸せになるのよ。』

石巻 雄勝町へ。
『視点を変える。エネルギーをみんなから貰ってる。自分だけが幸せになるんじゃなくてね。  自分が生きることで みんなが幸せになること。』


再び 陸前高田。吉田邸の復興ボランティア。
『“忘己利他(もうこりた)”。 いいことは人に与えて、悪いことは引き受ける。人の幸せのために尽くしましょう という仏教の根本精神。 見返りは無いという美しい行為。』


再び 岩手 天台寺。
『自分の信念に沿って生きていきましょう人間は一人で生きて 一人で死ぬ。』
『“犀(サイ)の角のように ただ一人歩め”。 自分をしっかりする。一人が寂しいから 友達が、夫・妻がほしい。けど、一緒に死ぬことは無い。 自分の人生を生ききりましょう。』


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


被災地を訪れて、「宗教で救えるのか」とこばされたところがあったりなど、達観されてるような印象をあまりお見受けしなかったんですね。だからこそ地に足の着いた感じで聞き入りやすいというか。
愛した人をたくさん亡くして、忘れたり思い出したりとかね。

“若いときについた傷が、若いからこそ癒える”というのは、 じゃあ虐待とかどうなんだろう?と思ったりもしましたが(まぁ、震災とは関係ありませんけどね。でも、ほんとうに幼い時に、こういう震災があったことで、揺れたり夜とかが特別怖くなってしまうこともあるのでしょうから)、それもその直接的な痛みを受けることから解放されてからの、時が解決してくれることを願うばかりなのでしょうか。


あと、青空説法ではないところで、1回目の天台寺での説法のあとに中であったお話の、『矛盾や相克』についてとかがね、心に残りましたね。



いいことをしたところで、いい報いがあるとは限らない。
けど生きてれば いずれ苦しみは必ず訪れる。
忘れることも、忘れ去られることもあるだろうけど、“自分”をしっかり持って生きる という、そこに帰結するのでしょうかね。

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2011年10月22日 (土)

“1.96”

夫婦の子供1・96人に減少、初めて2人下回る
産経新聞 10月21日(金)10時38分配信

 国立社会保障・人口問題研究所の平成22年の出生動向基本調査で、夫婦が生涯にもうける平均の子供の数(完結出生児数)が1・96人となり、原則5年おきに行われる同調査で初めて2人を下回ったことが21日、明らかになった。同研究所は「男女の晩婚化が進んでいることや夫婦の出生意欲の低下が影響した」と分析している。

 未婚者も含まれる合計特殊出生率(1人の女性が生涯に出産する子供の推計値)は昭和50年から2を下回り続けており、平成22年は1・39。一方、夫婦の完結出生児数は、昭和37年から前回調査の平成17年まで40年以上にわたって2人台を維持していた。

 今回の調査結果は「結婚した夫婦は平均2人以上の子供をもうける」という、これまでの傾向を覆したことになり、日本の今後の少子化対策にも影響を与えそうだ。

 調査は昨年6月、妻が50歳未満の夫婦9050組を対象に実施。有効回答があった7847組のうち、初婚同士の夫婦6705組について集計した。

 その結果、結婚生活を15~19年続けている夫婦の完結出生児数は平均1・96人で過去最低を記録。子供の数が1人か、子供のいない夫婦は22・3%にのぼり、初めて2割を超えた。

 夫婦が理想とする子供の平均は2・42人。実際に予定している数は2・07人で、ともに過去最低だった。予定する子供の数が理想を下回る理由は「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」が最多で60・4%。「高年齢で生むのはいやだから」という回答も35・1%あり、30代以上では年齢・身体的理由を選ぶケースが多かった。

 過去5年間に結婚したカップルの平均初婚年齢は、前回調査から夫婦ともに上昇。夫は0・7歳上回る29・8歳、妻は1・1歳上回って28・5歳だった。


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(以上 ニュース記事より。)


まぁー、別に世界では人口爆発してるんだから いいんじゃないのー。(投げてる)

というか、子どもが欲しい人にはなかなか出来なくて、生まれてくるところでは虐待とか置き去りとかあったりするワケで。

なにより、子どもを授かっても、お金が無いという話だし。
世帯年収が500万あるとこなんてどれだけあるの? って話だし。

女性の雇用機会が増えたのは結構かもしれないけど、それで晩婚化も進むし、適齢期も過ぎていくし。卵子の数にも関わるし。

不妊の検査や治療をした夫婦が2010年で16%あったとか言うし。

まぁ、当然男性側にも一因はあるのかもしれないけど、ストレスとかもあって健康的な身体を保ってもいられないでしょうし。
で、その不妊治療費とかも何百万だかお金はかかるワケだし。


で、原発の問題もよく分からないままで、子どもに甲状腺が云々もどういうことやら。


同じ日にニュースでは日本の借金は1000兆円とかって言うし。

雇用も安定しない、収入も上がらない。

老後に独り身は寂しいとか言うけど、寂しさを紛らわせるために結婚するの?
子どもに老後の面倒をみてもらうために子ども生んでおくの?

子どもに国の借金や よく分からない年金の支払いを続けさせて。

希望は無いわな。

理屈抜きで好きなら結婚すれば?的な考えもありますが、理性的に考えてお金無かったら無理でしょ? っていう。
盲目的に好きになっていられる時なんてそう続かないでしょう。

離婚してる主婦の方と多く話したりもしましたけど。
先のことなんて考えれば分かることなのにね。



自殺者毎年3万人のこの暗澹とした日本に明るい兆しなど無いし。
そんな国・社会に自分の大切な子どもを育てたいとも思えないでしょうし。

仮に お金があっても子どもを育てたいなんて社会でも無いしな。

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2011年10月21日 (金)

“【cali≠gari】 : 『トゥワー 2011 GIVES at 名古屋ボトムライン』2011.10.15.”

cali≠gari トゥワー2011 “GIVES” に参戦すべく 10月15日、名古屋ボトムラインに行ってきました。

cali≠gariのライブは6月の日比谷野音以来4ヶ月ぶり、4度目。

FC会員で参加者はCD貰えるというので、赤坂ブリッツも応募したんだけど落選したお…。

(レポートのMCや、曲など違ってる部分あったらスマソ。ニュアンスだけでもね。)


10/15 セットリスト

散影
娑婆乱打
マッキーナ
ハラショー!めくるめく倒錯

MC

ちぎられたロマンス
-踏-
トイトイトイ
オーバーナイトハイキング
電気睡蓮

MC

すべてが狂ってる~あんまり狂ってない編~
マグロ
マネキン

-研次郎アオリ-

嘔吐
混沌の猿
失禁
サイレン

en.1
デジタブルニウニウニュウver.
君が咲く山

en.2
東京、43時00分59秒



開演前に流れてたSEはなんかのライブ音源(BOØWY?)だったと思う。

まっこ、青さん、研次郎さん、そして石井さんの順にステージへ。
まっこはよく見えなかったけど、フツーの黒い服かな。青さんは迷彩柄っぽい服だったかなー(うろ覚え)、研次郎さんはメタルな…w 右肩だけ肩パットみたいのがあった。 石井さんはボーダーで、首周りと背中が大きくあいてた。w


ライブ始まって、楽曲がアッパーなものばかりが続いて、拳突き上げっぱなしだし、叫びっぱなしだし。
冒頭の“散影”→“娑婆乱打”への流れとかカッコ良かったし☆

“ちぎられたロマンス”前のMCで、
石井:「赤坂より盛り上がってる。カリガリは東京には飽きられたみたい。」
石井:「大丈夫?ギュウギュウじゃない。今までデカいとこ(会場)しかやってなかったから。」
客:「ヒューゥ」
石井:「大丈夫じゃなかったら、『大丈夫じゃない!』って言ってくれれば。…ま、曲中だと気付かないんだろうけどね。」
(笑)
石井:「8年ぶりの名古屋なので、久しぶりの曲を」

(といって、“ちぎられたロマンス”が始まったけど、赤坂でも演ったようで…w)


いつだったかのMCか忘れたけど、
「(名古屋盛り上がってるけど)ネイティブ(地元の人)どれくらいいるの?」
(パラパラとしか手が挙がらない…)
石井:「セトリは東京と同じような。まぁ、名古屋だしいいかー…と。大阪から変えるかも」
石井:「カリガリって曲多いから。まぁ、クソみたいな曲もあるけど。」
(笑)

“オーバーナイトハイキング”前では、前の曲が終わったあと、静かになって、キレイなメロディが流れ始めて、なんか違う曲が始まるかと思った。
いざ 曲が始まれば、これまでのライブのように 会場内は暗くなって、物販で販売されてたライトや、持ってる人は自前のものを使って光が灯ってたり。

“電気睡蓮”は個人的に久々に聞いた気がする。2009年の『END OF そろそろ』以来のような。

“すべてが狂ってる”は超楽しかった☆
青さんがひたすら煽り続けてたし。

たしかこの曲だったと思うけど、曲のアウトロで、青さんがセリフをなにか言ってたような気がするけど、
「山本屋に行きます(とか うんたらかんたら…)」と言ってたような…。(笑)

どこかのMCで青さんは名古屋といえば『山本屋に行くことしか興味が無い』とか。w

しかしこの青さん曲のぶっ続けは楽しかった。
“マグロ”→“マネキン”とか。

そしてここで研次郎さんコーナー。
研次郎:「男~!!」
客(男):「おお~~っ!!」
研次郎:「今日は4割男だなー!」
客(男):「おーーッ!!」

研次郎:「女ー!」
客(女):「おーーっ!」
研次郎:「男に負けんじゃねぇぞー!」
客(女):「おぉーーッ!!」

研次郎:「真ん中ぁー!!」
    :「石井のことばっか見てんじゃねぇぞー!!」

研次郎:「下手ぇー!!」
    :「お前らオレのこと好きじゃないだろー!!」
(客、『おぉーっ!』とはなりにくく どやっ と する。w)

研次郎:「平均年齢ちょっと高めだぞー!」

www

研次郎:「上手ぇー!! 青のこと好きかー!?」
客:「おぉーーッ!!」
研次郎:「そんなに好きならもっと太れ!お前ら全員10kg増やせ! 男も女もヒゲ生やせ! 頭ぁ坊主にしてこいー!!」

wwwwww

研次郎:「お前らー!武井誠は好きかー!?」
客:「おぉーーッ!!」

研次郎:「お前らー!カリガリが誇るスーパードラマー武井誠がイントロを奏でるぜ!」

で、“嘔吐”へ。

“混沌の猿”では青さんは曲の前半 殆どギターを弾かずに ずっとバナナを配ってた(客席に投げてた)。 たまに自分で食べながら。w
なんか客席前のほうの人に青さん食べかけなのか、食べたあとなのか バナナ差し出してなかったかな?(笑)
ステージ脇の赤ランプが回り出して、“失禁”→“サイレン”へ。
で、本編終了。

アンコール。
青さんと石井さんは着替えてた。
石井さんは自身デザインのと思われるTシャツ。青さんは同型のと思わしき緑のシャツ。

先日の赤坂でもアンコール後の格好がパジャマみたいだという話があったようだけど、今回もパジャマ…。
そして石井さんによると、青さんの髪型はギバちゃんカットだとか。w
『髪が前の方に流れて先のほうだけ…こう“シュッと”上がるような』w
でその緑のシャツの姿が『ナニワの金融屋』みたいだと石井さんに評されたり。

石井さんはホントは皮のズボンを履いてくるつもりだったみたいだけど
『暑くて無理』だったそうな。 で、赤のチェックのパンツだそうだけど。
ダサいとか、『8万する』(←  )だとか。

その赤いチェックのパンツが“FANATIC◇CRISIS”みたいだという話になり、
石井:「当時は名古屋でよく対バンしましたよ」
青:「その時16歳だっけ」
石井:「そう16歳」
青:「石月くん(FtC vo.)と同い年だっけ」

青:「(当時 石井さんは)“さくらん”の」
石井:「さくらの?」
青:「“さくらん”!」
石井:「さくら?」
(何度か聞き返すやりとり…w)

客:「歌ってー!」
青:「(小声で)歌ってー」
客:「ヒュゥーゥ」
青:「たとえば ばつばつばつ…」
(盛り上がるけど 石井さんはスルー)

青さんなにかをキッカケにふと笑ってて、客から『かわいー』と言われ、
青:「なんでアンタ達、人が笑ってんの見て笑ってんのよ!面白い?何?名古屋はそういうわけ?アンタ達がそうならアタシだってそういう態度取るわよ。いじめてやるっ!」
客:「せめてー」(と言ったと思う)
青さん飲んでた水噴くw
青:「今アンタのこと心の中で3秒だけレ●プしたわ」

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青:「ほんとにあんたたち中年好きね!中年に優しいバンドね!いやほんとありがたいです。愛してます!     表面上は。」

青:「いつまでMC続けるんですか?」
石井:「曲が始まれば歌いますよ。」

と、不意に曲がかかる。

(笑)

石井:「(うしろに振り返り、笑いながら)こういう始まり方…(笑)」

ということで突然“デジタブルニウニウ”のイントロがかかり、始まる。

ところで2人のMC中、なんか研次郎さんはにこやかというか、微笑んでたように見えたような。(笑)

続いて“君が咲く山”。
曲終わっていくところで、研次郎さんから捌けていって、石井さん青さんと捌けていこうとしてたんだけど、石井さんが青さんの様子見ながら、ステージから捌けるタイミング伺ってたように見えた。(笑)

アンコール2回目は、“東京、43時00分59秒”。静かに始まって、静かに終わった印象。特にMCも無く。
やけにさらりと終わってしまった感じがして、終演後、客席明るくなってからも『アンコール』は続いてたけど、終演のアナウンスが流れ終了した。






やー、楽しかったです。
バラードあまり無かったけど、全然構わないですよ。
私は上手の青さん側に居たんだけど、青さんの踊りとか仕草が割と近くで見れて良かったわー。
MCも変わらずぐだぐだで。w

“嘔吐”で頭振りすぎて、翌日は首がめっさ痛かったです…。(笑)

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2011年10月20日 (木)

“『マギ 10巻』読了。”

マギ 10 (少年サンデーコミックス) (10巻)』を読みました。


シンドリアの駐屯地、トランの民と出会い、ザガンのダンジョンへ。


前巻での初登場からはその人となりが不透明だった白龍のことが少し明らかに。

…泣き出したところは さすがにどうなるか心配にすらなるようなものでしたけどw
自尊心と、王族としての尊厳と、そして白龍自身の実力に乖離があることが分かった印象。

優しくて、能力も持ってるんだろうけど、“外”に初めて触れたことで色々衝撃があったんだろうかー…。
しかし このままの白龍のメンタリティだと、仮にザガンを得ても能力が使いこなせるかは怪しいところだわね。呑まれる危険さえありそうな。
95話の回想シーンは なんの出来事だったんだろうか…。


ザガンのダンジョン自体は面白い。
ザガン自身はたしかにアモンの言うとおり『くせ者』だと思うけど、ザガンの命令が無い状態だと、ダンジョン内の生き物は自由にのびのびと生きているんだとしたら何がザガンの根本の考えかは分からないやね。
…まぁ、ダンジョンに巻き込まれてしまった人間が“苗木”になって、そのダンジョン内の生き物を生み出してる っていう点のエグさはあるんですけどね…。


モルジアナは眷属器の能力が開花。
模様を『火の鳥』にしてみました(前巻での金属加工職人のセリフ) とあったように、2人の羽になれるように …というのが言葉通りに。
モルジアナは2人をじゅうぶん助けてるのにどこかで魔力が無いからなのか負い目を感じてるところがあったからねぇ。


この巻でアラジンとアリババのコンビネーションが(アラジンの魔法によるサポートが)、少し見られたので、
ザガン攻略の前に再び立ちはだかった“アル・サーメン”を2人がどう戦っていくか ですね。

10巻発売記念のポストカード漫画があったんですが、白龍の妙にマジメで実力不足(?)なところがもはやギャグでしかない…w

マギ 10 (少年サンデーコミックス) Book マギ 10 (少年サンデーコミックス)

著者:大高 忍
販売元:小学館
発売日:2011/10/18
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2011年10月19日 (水)

“『ドリフターズ 2巻』読了。”

ドリフターズ 2巻 (ヤングキングコミックス)』を読みました。

おっぱいから諸々の説明を受け、エルフを率いて敵兵をばったばったと潰していく展開ー。

下克上というものが見ていて好きなので、豊久がエルフの民を奮い立たせて攻撃の準備→敵兵が来たら迎え撃つ。 …というのは楽しい。
バトル描写もヘルシングの時と変わらずの暴れっぷりでもあるし、戦術という面で森の中に入っていった騎馬隊がまんまとひっかかって地獄絵図になるのとか素晴らしい。

信長の外道でありながらも黒幕を自ら背負ってエルフや豊久と共にある姿はカッコいい。


さらわれたエルフの女性が敵軍の男どもにやられてるシーンはヒラコー先生のコヨーテにも似たようなシーンあったようなー…。


与一はもと居た世界への執着みたいなのが3人の中でも垣間見られるなー。
弓のスキルは勿論衰えてないけど、狂気と葛藤のギャップがあるねぇ。

後半の 豊久がおっぱいに頭下げるところは仁義を尊いているんでしょうかね。


しっかし、本編の信長は超カッコいいのに、カバー裏…。w
目がヤバイ…。w けど、風貌がハマりすぎ…。w

ドリフターズ 2巻 (ヤングキングコミックス) Book ドリフターズ 2巻 (ヤングキングコミックス)

著者:平野 耕太
販売元:少年画報社
発売日:2011/10/13
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2011年10月18日 (火)

“『FILE163:「翼よ!あれがミライの灯だ」』を見た。”

2011.10.13.O.A. (再放送 2011.10.17.夜中)

爆問学問 FILE163:「翼よ!あれがミライの灯だ」 を見ました。

ゲスト 白水正男(しろうずまさお)
     宇宙航空研究開発機構(JAXA)研究開発本部 航空技術研究統括。

以下、HPより番組内容をコピペ↓


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

田中:「航空機はこれからますます、それこそマッハ2とか、もっと速いものが開発されて、どんどん世界は近くなっていくと思うんですけど。」

白水:「実はJAXAもですね、いろんなことをやっていまして、たとえばこういう航空機、これはマッハ5ぐらいで飛びたいと。マッハ5だとですね、例えばアメリカの西海岸まで2時間とかそれぐらいで行けちゃうんです。」

田中:「日本から2時間で?」
太田:「熱海までは・・・。」
田中:「逆に時間掛かるわ。」

太田:「はたしてそこまで急いでどうするっていうのも、一方にあるよね。」
田中:「そうすると俺らも仕事でね、ロケとかで、「ロサンゼルス、日帰りだよ」って言われちゃうわけですよ、多分。それはそれでね。だけどまあこれで本当に、「ハワイまで2時間」みたいな世界に、もしなっちゃったら。」
太田:「弾丸ツアーだね。」
田中:「普通に行っちゃいますからね、日帰りで。」


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●


今回はなにより、アトラクション的な楽しさが伝わる回で。
リアルなエースコンバットみたいなね。

ヘリコプターとか、結構地味に運転が難しいんだろうなぁー ってコトとか。

あとはそのシミュレーターで、外の景色がリアルに作ってあったりとか、着地の衝撃とかがすごいなーと。

鳥の羽付けて 強風を受けるヤツは、あれ、もうちょっとなんとかしたら ガチで飛べるんじゃなかろうか。(笑)

ホントにそういう体験型のテーマパークでも作ればいいのに。 …とは思ったけど、リアルに作りすぎるとまた変な勘違いをして実行する人が出てくるだろうからダメでしょうけど…。


コンコルドは音や、燃費の面で暗礁に乗り上げたようですけど、番組にもあった素材で…最近のニュースにもありましたけど、どんどん航空機は進化してるので、速度も上がっていくでしょうね。
まぁ、航空機に限らず、地上のほう…新幹線→リニアとかもね。どんどん軽量化→スピードアップが成し遂げられていくんでしょうね。


で、まぁ、番組中で太田さんがチラッと発言されてましたが(上記にもコピペしましたが)、

“ 「はたしてそこまで急いでどうするっていうのも、一方にあるよね。」 ”

っていうのはね。
時間の認識が拡張するとかだったら面白いんだけど、自発的なスピードなら別にいいけど、というか ともかく。

スピードを求められ続けること ってどんな意味があるっていうんでしょうかねぇ。
それを人間の細胞や心はどう捉えるか。
…自発的であろうが 肉体がどう速度に耐えられるかは分かりませんがね。
負荷がかかるであろう“G”についても、現状の“G”のまま速度を上げるということだそうですが、それの逃がし方とかね。



……なんでもいいですけど、やっぱ体験してみたいね。あーゆーの。(笑)

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2011年10月17日 (月)

“『業界別覆面座談会 第59回 若手漫画家の「夢が見えない!」』を読んだ。”

業界別覆面座談会 第59回 若手漫画家の「夢が見えない!」

内容は ↑ リンク先を。

まぁ、若者に夢が無いのはどの業界でも同じ ってコトで。

求められる作品の色々はあると思いますけど、結局描けるものしか描けないであろうので。


兼業に関しはこの時代、そうした方が安心なんじゃないですかね。
作画時間が足りないから専業の方がいいかもしれないけど、どうしても実際に収入のこと考えたら手堅くお金が入るほうは確実にしておいたほうがいいと思うし。


背水の陣で、退路を断ってしまって挑む なんてのは良くない …っていうのをどこかで見たような。
某・作家さんも後ろ盾を用意してから漫画業をやり始めたとか。なんとか。(…詳細忘れたけど。)

というか、描き手の人があまり最近の漫画読んでない …っていうのはちょっと淋しいものですね。

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2011年10月16日 (日)

“[コネタマ] 立ち会いたい歴史的瞬間は?”

宇宙の膨張。もしくは収縮したとき。

…どう立ち会うねん………。


なんていうか、新幹線…っていうか、リニアとかが発達していって、体感する時間の壁を突破していく感覚っていうの?
…詳しいコトは忘れたけどさ。

そういうさ、現実の技術が発達したり、自然に起こる現象とかで、時間や空間を超える感じ?

に、立ち会いたいね。

これ、当事者が体感するだけでは説得力に欠けてしまうので、第三者による認識も踏まえた上でね。

瞬間を刻む間隔が詰まっていくというかね。

…どうなんでしょうか。(笑)

デイリーポータルZ

ブログネタ: 【賞品付き】立ち会いたい歴史的瞬間は?参加数

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2011年10月15日 (土)

“【鈴菌カリオ】 : 『花と星 1巻』読了。”

鈴菌カリオ 著、『花と星 (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ) (1巻)』を読みました。

IKKIにて、『乙女ウイルス』や、『Sillyなコダマ!!』を連載していた、同作家による百合もの。
鈴菌カリオ先生のご自身の発言にもありましたように、これまでに比べると、“普通”です。

まぁ、、、
今までが脳汁垂れ流し、頭がビッグバン☆状態で拡張宇宙の中で繰り広げられたポップと発狂の世界で展開されてきたばかりの作品でしたので、
どうしても求めるものが、これまでの『鈴菌カリオ作品』を知ってると違和感は感じるかもしれません。

また、過去に読み切り掲載された『つきよ』ともまたベクトルは異なってます。



子どもの頃から卓球を続けてきた花井さんはそれまで一途に努力し続け、そこそこ良い結果を残してきた。中学1年の頃、他校との新人戦で、見知らぬ相手、星野さんに負け、そこで卓球をやめるキッカケとなり、一方的に恨んでたり。
そんな星野さんと高校で同じクラス、隣の席になり…。…というおはなし。


まだ、二人の内面も、関係も、“途中”な感じ。

花井さんは嫉妬やらコンプレックスやら恨みやら、けど、勝手に恨んでたハズの星野さんの意外な面を見て惹かれてしまったり、など、どうしてか関心を持ってしまう。
花井さんの心が整理されてない状態にあるんですよねぇ。空っぽで何も無いからこそ、なんでもこなせる(料理とか)星野さんに憧れもあるんだろうし。

このへんの思春期の葛藤が 複雑でストレートで良いですね。

星野さんは三白眼で 基本 仏頂面だから何を考えてるのか分からない、
きっと花井さんに好意があるんだろうけど、どうして好意を持ってるかが分からない。
っていうか いつから? っていう。

中学の卓球新人戦以来だと思うし、高校で初めて会っても名前をなかなか覚えなかったりなど、<中学の新人戦で会った人にまた出会えた☆デステニー☆>…ってワケじゃあるまいし。。。

3年の船見さんと星野さんの関係も含めて(というか終わり方がー!)、まだ どうなっていくか、分からないですねー。


もともと心情を掘り下げて描写することが出来る作家さんですので、そのへんが今回は割とシリアスめに解決に向かうんじゃないでしょうか。ギャグやノリで押し切ることなく。(笑)

ま、いつもの鈴菌作品のノリは今作にも健在ですけどね。

こちらから試し読みが出来るようですので、是非~☆

花と星 (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ) Book 花と星 (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)

著者:鈴菌 カリオ
販売元:芳文社
発売日:2011/10/12
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2011年10月14日 (金)

“【よしむらなつき】 : 『あにメカ 1巻』読了。”

助六!?  助六じゃないか!?

懐かしい…。

…えっ、違うのか…!



………。

『御意見無用っ!!』 『里見☆八犬伝』 の、よしむらなつき 著、『あにメカ ① (バンブーコミックス) (1巻)』を読みました。

いつ発売したか全く知らなかったんですが、本屋にて見つけたので購入。


シスコンでメカ(ただしメカに関して周囲は殆ど黙認)の、兄。から 強烈な愛情(兄妹愛だと思うw)を受ける妹のドダバタギャグ4コマ。

兄である一悟は変態よりも愛情にウェイトを多く占めているので(たぶん)、決して悪気があるワケでは無いのが難点。w で、妹であるゆゆ子(しかし変わった名前だな。由々しき問題だな。(← )も、その気持ちは分からなくも無い と振り回されたり。
…っていうか ゆゆ子は完璧ツッコミ役。両親ですら兄メカなのをスルーしてるから。w

で、まぁ、その兄のメカっぷりの外見が『御意見無用っ!!』のメカ岡っ引き“助六”に似てるんですよね。良いけど。w


当然、作者ファンであることで購入したんですが、
『柘榴叔父さんの榊原神社で』 っていうセリフ(P.72)で、キャラの絵が出る前に まさかと思ったら、やっぱり『御意見無用っ!!』の柘榴さんだった!
糸目だし、語尾に『~のだ』って付けるところとか。
巫女の仕事をしようとしてる一悟のコスプレも紫苑さんだし。

また、テレビに映ってるキャラに(P.93) 『里見☆八犬伝』信乃が居たりなど、作者ファンとしては嬉しい内容。


本編の内容自体は、兄 一悟に好意(というかメカに対する興味)がある鏡見ネネと、弟でドMの晶が、登場してから数話重ねるごとにその個性を如何なく発揮☆してくれてるので、これからさらに加速するんじゃないかと。

あとがきにて扉でブチ抜きカットで露出多めの絵があることを『楽しようとしてるわけじゃないですから』とありましたけど、

全 然 構 い ま せ ん ☆

むしろそういうサービスシーンの描ける作家さんなので、そこはもう遠慮せずやって頂きたいです。
ゆゆ子が流しそうめんの水の中に入って、そうめんが絡まるところとかもっと大ゴマで…(ゲフンゲフン…

あにメカ ① (バンブーコミックス) Book あにメカ ① (バンブーコミックス)

著者:よしむら なつき
販売元:竹書房
発売日:2011/09/27
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2011年10月13日 (木)

“2011.10.13.”

大体ね、その人がどんな悩みを抱えて生きているかなんてコトは知らないし、フツー知らないし、知ろうともしないし で ね。

ましてや、臨床というか、カウンセリング的な見地ですと、普段はニコニコしてて、相談にもヘラヘラ笑いながら、自分のことを客観的に、その自分の辛さを淡々と喋ったりするmので。


だから急に、劇的に、人がおかしくなって壊れてなくなってしまう。 …なんてコトは無いのだ。と思う。
おかしい だとか、おかしくない だなんて言うのも、一体なにを基準におかしいだとか言う是非を論じようか。そんなものは分からない。


これまでのこのブログのエントリで、重めの記事を書いてる中で、生きる意味は無い みたいなコトを書いてますが、それは変わらず。
何かを残すこと、何かを受け継いでいくことに、何の意味があるのだろうか。と。
それ自体が、何か 縛られている行為ではないかと。


…とは思いますけど、順序があるよ っていうか、準備に気付けないと不安というか。
そして受け手も準備できてないと辛いというか。


色々勘ぐったりも出来ますけど、そんなのは勝手な想像。
やりたいことはあっても、それを投げ出してしまったほうが どれだけラクか なんて思うことは分からなくもないから。
その投げ出すのも、壮大にね。

だから投げ出されたほうの気持ちなんて考えるワケが無いのですよ。
取り返しのつくレベル、つかないレベルを問わず。


とりあえず、生きるのを壮大に投げ出してしまったほうがどれだけラクか。と。
…そう思ってしまう根っこのほうだけ、 考えつつ。

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2011年10月12日 (水)

“【Angelo】 : 『BABEL』を聞いた。”

Angelo 4枚目の、新編成では初のアルバム。『BABEL』を聞きました。


何よりKaryuが加わったのが大きい! というのが第一印象。
D'espairsRayのメインコンポーザーをメンバーに加えてるワケで。

冒頭 1曲目、“LOVE STORY”からKaryu作曲の曲で非常にワクワクしましたよ。

Karyu楽曲は、これはHIZUMIが歌ったらなー、なんて思ったり、Karyu曲をキリトが歌うとこんな感じなのかー、なんて思いながら。

なんて言うのか、ホント言葉通りの科学反応が起こってるんだと思う。
新鮮さだから ってコトに限らないと思うんだけど、曲単体のクオリティが高い。

キリト楽曲にもそれは言えることで、
バラードでもただもの悲しいだけの雰囲気では無かったり、強さみたいなものも含まれててね。曲自体に。
敢えてキリト曲で好きなものなら、“霧雨頬を濡らして”と、“Gospel”。



詞も、崩壊とか 見知らぬものに攻撃されてるような状況を映し出してるんだけど、どこか美しさも描かれていたり。
“混乱”がこのアルバムの土台にあるものみたいですが、
混乱というか、予測しない未来が待ち受けてたとしても立ち向かう 的な?

歌詞も前作に比べてかなり好きですよ。
ある意味 かつてのキリトらしいような。


今作を聞いて、久々にライブに行きたい気持ちにもなりましたね。
なによりAngeloにおけるKaryuが見たいんですが☆

“FEATHER”のPVとか、この前のゲリラライブ(をニコ動で見た)のでは、あまりKaryuさん映ってなかった感じなので、D'espairsRayでのライブのような全身を使ったパフォーマンスが見たいですわ。(動いてたり映ってたりしたのかもしれないけど、ディスパのライブ映像見たあとだったからね。)
ギルも含めてね、ステージでの暴れる姿を見たいですわ。

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Karyuインタビュー掲載↓

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2011年10月11日 (火)

“『FILE162:「その数字、クセモノにつき・・・」』を見た。”

2011.10.06.O.A. (再放送 2011.10.10.夜中)

爆問学問 FILE162:「その数字、クセモノにつき・・・」 を見ました。


門倉貴史(かどくらたかし) 経済エコノミスト


以下、HPから番組内容コピペ。↓


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

門倉:「人は自分の信念に合致するような意見は受け入れるけれども、そうでない数字ははじめからシャットアウトしちゃうという傾向があるので、そういう先入観なくですね、数字をできるだけ客観的に見ていくという(のが大事)。」

太田:「意外と経済の専門家の人の方が、そっち(客観的に数字を見られない状態)にはまりやすくないですか?」
門倉:「はい、かえってだまされやすいっていうのはありますね。」

太田:「だってさ、リーマンショックだろうがバブル崩壊だろうがさ、誰一人それを防げなかった。 あれだけ専門家がやっててですよ。」
門倉:「そうですね。」
太田:「ある意味専門家の盲点ですべて問題が起きているような気もするしね。」


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●


●視聴率は1772万5000世帯ぶんの 600世帯。
 サンプルが少ないと誤差が大きい。

●質問に誘導的な言葉が含んでいる場合がある。

●セックスの年間回数。
 日本は世界で少ない。日本は控えめに言う。
 調査対象の国で一番多かったのがギリシャ。回数が多いと自慢になる。

 回答者が本当のことを言うとは限らない。

●平均初婚年齢。
 25年間で2歳しか変わってない。

・結婚した人だけで統計を取ってる。
 男性の1980年から2005年までで 生涯未婚率はおよそ6倍。


 90年代に行われた『豊かさ指標』
・個人の何が豊かとするか。主観になってる。

・どういう形で平均がつくられているのか。“平均”していいものなのか。


・いじめの発生件数が2006年から急激に増加。
 調査の定義と、 対象の学校が拡大した。


●経済効果。
 前提をどう置くのか。 どこまで含まれるのか。

 経済効果を発表する意図。 地域おこし。

 統計の中に出てこない経済活動。 地価経済。
・統計の外でも数字は動いている。


門倉:「あくまで数字というのは過去の話。
    それをもとに『将来こうなる』っていうのは架空の話。
    いくつかあるシナリオの一つ。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――



まぁ、視聴率もそうだし、世論調査、内閣支持率とか、そんなのって特に信用してないよね。報道されてたとしても。
どうせ作為的だろうとか、新聞社によって違う…番組であったような、聞き方の文言が違う、というのに限らず。

今回、統計学についてがメインだったワケで。
結局、数字の集計方法が見えないんですよ。だからデータがこうだ! ってあっても、それはどういうのを基にして取られたものなのか? ってコトがね。分かりませんからね。

結局 鵜呑みにせず、自分で判断する。 っていうことなんでしょうけどね。


ところでHPの対談後感想で田中さんが言ってた数字の『共感覚』については面白そうな。

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2011年10月10日 (月)

“【諸富 祥彦】 : 『人生に意味はあるか』読了。”

諸富 祥彦 著、『人生に意味はあるか (講談社現代新書)』を読みました。


私が好きな漫画家さん、夜麻みゆき先生がこの本を読んでらしたので、私も購入しました。
…ちなみに、“100分de名著”を最近見始めたのもこの影響。

ニーチェの特集は第4回しか 間に合わなくて見れなかったんですが。

本書の感想といえるのかどうなのか分からないのを書いていきますが……。


先ず、この本において、色々な立場からの『人生の意味とは』、『生きる意味とは』みたいなものの答えをたくさん示されてあること自体に 参考になりましたね。

学生の考え、
色々な、文学作家、
宗教的な立場から、
哲学的な立場から、
スピリチュアルな立場から、

そして著者である諸富氏の考えまでを。

ありがちなのが、『“意味”を探すことに“意義”がある』から生きなければならない とかね。
…まぁ、私にしてみたら てんで役に立たないんですけど……。




そもそもね、こういう、『なんで生きるのか』みたいなものを考えてしまうとき っていうのは、苦難や苦労が耐えない状態・状況が続くからこそなんですよ。
あとは、今 良い状況下であっても、過去の悪い状況を体験してるがゆえに、『どうせこんな暮らしがいつまで続くか分からない』なんて思ってしまったりね。

『生きる意味を探すために生きている』のが、苦痛なくらいだから、生きていたくない んですよ。

もうね、探すのも面倒くさいんですよ。
生きる意味を求めて生きる中で、また苦難にぶち当たるワケですよ。
うんざりですよねぇ。



スピリチュアルについてですが、
まぁ、その前に、どんな宗教、宗派であろうと、なんで多くの人は『輪廻転生』というか、人は生まれ変わるみたいなことを漠然と“分かってる”んでしょうかね。
ちょっと前の江原さんブームとか関係ないと思うんですけどね。これに関しては。

しかしまぁ、スピリチュアルに関しては神秘体験がベースになっているもので、こういうのは体験・体感した上でないと分からないんですよね。
仮に、本書で紹介されているスピリチュアルな方々が、実際の体験に基づいた上での説得力を以って生きる意味を伝えてるとしても、それが 伝えられた聴き手にしてみたら体験してないワケですから腑に落ちない部分はありますよね。

もし、スピリチュアルなものが体験できたりしたら、それは 納得のいくことだとは思いますけどね。

ちなみにまぁ、私も過去に結構 江原さんの本とか読んできましたし。バシャールとかも好きなんですけど、今は距離を置いて考え中。
なにより生きる意味を問われて、江原さんが『生き抜くことに意味がある』と言うのはともかく、江原さんの考えに影響を受けてる方が 生きる意味を問われて、同じように答えてるだけなのが微妙ですよね。



哲学の立場ですが、私にしてみたらこれは最近なんですけどね。
ニーチェの考えに触れたのが。

ニヒリズム。一切に意味は無い。虚無感。というのは非常~に共感してしまいましたよ。
で、ニーチェの言う、至福の瞬間,至福の体験というのがあれば人生を肯定できる …ということですが、それがあれば生きていける とありましたけど、

それがあるからこそ 虚無感を感じるんですよね。

祭りのあとの日常が とても寂しく感じるように。
なにより祭り…というか、特別に楽しい出来事よりも、つまんない日常の方が長く続くワケです。
(というか同じ項の宮台さんのくだりで、(P.102) 強い刺激のあとには空虚感に包まれる ってありましたけど、その刺激の強さなんていうのも感じ方次第ですからね。)
その、楽しいことの為に頑張るんだけど、その時点で、楽しいことよりもその先の、“さらに楽しいことのために 頑 張 ら な く て は な ら な い 日 常 ”が目に入ってしまって、まさに永遠回帰。幸福も苦難もループするのが見えてしまうのね。

その絶え間ない苦労の日々に、幸福という刺激の…快楽のドーピングを恒常的に・無意識に与え続け、延々と走り続ける。
にんじんをぶら下げた馬のように。

…―――だから 生きる意味は 無い。と思ってしまうんですよ。




ビクトール・フランクルの考えについては初めて知りました。
でもこれは、“意味”の問いの立て方が、分からないと 解釈を間違ってしまってちょっと困りますが。

その、瞬間瞬間に意味はあって、普遍的な意味は無い というのはまだ分かりますけどね。
でも、それを俯瞰で考えてしまうと、世の中は無常で、うつりかわり、“私”が過去に確立した誰かのためへの意味が、その誰かにとっては意味が移り変わって“私”にとっての意味を為さないものになってしまうのでは とも考えたり。

久しく会う、家族や友人と、どこかぎこちなく合うハズのものだったものが変わってしまってたり。嗜好や思考が変化してしまってたりとかね。

P.170の老夫婦の話に関しては ちょっと納得するところもありましたが…。



しかし、
『“私”のことなんて誰も必要としていない。』とは思ってしまいますよ。
世界は“私”とは無関係に回り、“私”が無くても必ずどこかで埋め合わせが生じて、そして忘れ去られて回り続ける。


というか、P.25でフランクルの言葉を紹介して、それが許せないとした患者さんの言葉がありましたけど、フランクルの考えも納得いかないですもの。

このP.25の「」で括られた言葉の部分、ホンッットに共感しますよ。(まぁ、私はそこまで辛い体験はしてませんが。想像に難くないですよ。)

待ってる誰か とか、どんなときも意味がある とするならば、虐げられ利用されてくれることを向こうは期待していて、価値を蹂躙されることに意味がある ってワケですか。なんという皮肉。





で、著者の諸富氏の生きる意味に関しては、7年かけた上での、神秘体験みたいなものでこれまた納得いかず。そして『いのちが 私している』という点ですが、
これ、生きる意味とか 人生の意味とか っていうよりか、命の在り方になってるんですよね。
ただ、これは過去にアルボムッレ・スマナサーラ氏の本を読んでても思ったことですが。
(というか、親鸞とかには触れてたけど、その源流の仏教に関しての生きる意味の視点は書かれてなかったですね…。)
(同じく、『自我の破れ』という言葉を本書では使ってましたけど、ブッダ視点では『“自我”があらゆる問題の根源なのだ』とあるので、これもこの書籍としては不透明な部分ですよね。(当ブログの、『100分de名著・ブッダ真理のことば』や、『アルボムッレ・スマナサーラ氏の著書を読んだ』関連で参照できるかと。))
(というか、自我を破りなさい ってコトか? (P.228から。))


命の在り方 に関しては、ある意味で 突き詰めきらないと腑に落ちない…というか、腑に落ちるときがくるんでしょうかねぇ。




総じてですが、
『自分で見つけ出さなくてはなりません』
ですよね。

一個一個、疑問をぶつけ続けてきましたが、全く納得いっておりません。

一切全てに意味は無い と思っています。

むしろ意味づけすること自体がナンセンスなのかもしれませんが、
そうでなければ不都合な出来事や不幸が訪れたときに、嘆き悲しんだり、怒ったりすることも無いハズですから。

好都合な出来事や“幸福”、“受容”などは、理由もなく受け入れて、そうでない出来事には納得いかないから、腹が立つから、受け容れたくない・意味が分からないから反発したくなる(怒りたくなる)もので。

(ま、私の場合、好都合な・幸福な出来事や、受け容れられてることにも疑問を持ってしまったので、非常に引き返せない思考になっておりますが。。。)

人生や未来というものが、全く光が見えないからこそ、考え尽くしたいと思います。
(としか今は言えないです。)

人生に意味はあるか (講談社現代新書) Book 人生に意味はあるか (講談社現代新書)

著者:諸富 祥彦
販売元:講談社
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2011年10月 9日 (日)

“『「はちみつレモン」、「はちみつレモンサイダー」』を飲んだ。”

(以下 サントリーHPより 引用)

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1986年に「はちみつレモン」の発売を開始しました。ピーク時の1990年には「はちみつレモン」「はちみつレモンサイダー」計で2,200万ケースを超える販売数量を記録し、多くのお客様に親しまれ人気を博しました。

今回、“もう一度飲みたい”という要望にお答えして、ペットボトル商品として新たに発売するものです。中味は、ご好評いただいていた当時の懐かしい味わいを再現、パッケージもミツバチのイラストが印象的な当時のデザインを踏襲しました。

●中味について
「はちみつレモン」は、レモンのさわやかな酸味に、はちみつのほどよい甘みが加わったやさしい味わいが特長です。「はちみつレモンサイダー」は、はちみつとレモンのやさしい甘酸っぱさに、ほどよい炭酸の刺激が加わった爽やかな味わいが特長です。

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(以上、サントリーHPより)


昔、普通の「はちみつレモン」の方は飲んだことあるけど、サイダーの方は飲んだ記憶が無いんですが…。初登場かと思ったら 過去に販売したことがあるんやね。

パッケージイラストは昔と確かに変わらず。知り合いの主婦の方とも喋ったけど、「懐かしいねー」って。

味に関してはこれは別にまぁ、フツーですよね。
レモンというよりはちみつというか(別にはちみつだけメインの甘ったるさじゃないんだけどね)、酸味よりも甘みの方が強いです。
炭酸の方は刺激があるぶん、レモンの印象が強いような気がしますが。(気がするだけだと思うけど。(笑))

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2011年10月 8日 (土)

“『FILE161:「笑うイグノーベル賞SP 世界を変えた発明編」』を見た。”

2011.09.29.O.A.
爆問学問 FILE161:「笑うイグノーベル賞SP 世界を変えた発明編」を見ました。
今回も月曜夜中のO.A.は無く。録画しておいたものを見ました。

ゲストは前回に引き続き、
伊集院光(いじゅういんひかる) (『“爆問学問”学』の権威。)
(FILE100 : 「100回スペシャル!『爆問学問』学」以来の出演。)
渡辺茂(わたなべしげる) 慶應義塾大学文学部人間関係学系教授。
(FILE085 : 「ハトはピカソがお好き?」以来の出演。)
井上喜久子(いのうえきくこ) 声優、ナレーター。 (今回は教師役。永遠の17歳)


以下、HPより番組内容をコピペ。↓


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太田:「「イグノーベル賞」と「ノーベル賞」と、これ全然違うものだってしちゃうけどさ。やっていることは同じだろう、と。
コメディと普通のシリアスなドラマと、「一体あんたは何が作りたいの?」なんて言われたり、「おまえのやったものは、お笑いでも何でもない」とか言われたりするけど、そこの垣根に何の意味があるの?同じじゃないかって。そのジャンル分けに一体何の意味があるのか、って思うんだよね。」

渡辺茂:「やっぱり賞っていうのは人が与えるものなんでね。まあ狙う方もいらっしゃるとは思いますけどね。賞は周りの人が与えるので、当人の意図はまた別ですね。そういう意味では、ジャンルなんてこだわる必要はないと思いますね。」



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HPでのディレクター編集後記での、

最初は非常識に見えたものがそれまでの常識を覆し新たな常識となるのは世の常。

というのは真理なのかしら。
だから言ってしまえば、常識だとか、人によっては反感を変われるようなことや、呆れられるようなコトすらも、突き詰めてみたり、その一つのことに疑問を持ち続けて継続して探求し続ける っていうのは、そういう結果になっていくんでしょうね。

勿論、なにか賞を受賞したいから。…とかって理由じゃなしに、
『これがあると都合がいい』とか、
『なんでこれはこうなんだ?』っていう個人的欲求みたいなものがベースになってるので、そういう探究心とか疑問みたいなものは大事よね。

最後に渡辺さんが、
「疑問を持続する。 誰でも知っていることに疑問を持つこと ってすごい」
と仰られていたり、

太田さんが、
(黒板をひっかく音の研究が一番良かった と取り上げて、)「“何でイヤなのか”と“何で気になるのか”は紙一重」

…って言葉がそれぞれありましたけど、それに尽きますね。
(同じとこで伊集院さんが言ってた、「なんで誰もがゴキブリがイヤなのか」ってことも同様に。  好きなものを追求するのは分かるけど、キライなものを追求するなんてね。)


非常識が常識になり、常識が新常識に追いやられたり。


…そんな 常識がどうこうというコトに囚われてること自体が人の心や言動を窮屈にさせてしまうのかしら。

“若者にしか聞こえない不快な高音”が、本来はたむろする若者を遠ざけるためのものが逆にネタになって人を集めてしまったり、アメリカでは授業中の教師に聞こえない着信音として使われてしまったりとか。

発明の起源・着想と、それを発明した という結果、そしてその利用方法も受け取るものによって異なるというのが面白くもあり、皮肉でもあるのね。
(イグノーベル賞の受賞理由コメントとかにもあるようですが。)

(さておき、その若者にしか聞こえない音を「聞こえる」と、(仮に)嘘だとしても聞こえると言ってくれた井上喜久子さんはさすがです!w 17歳ですもの☆)



犬の声の採取に4年を費やしたりなどありましたけど、
『疑問』と『面白さ』があれば、他人からどのように思われようと。子どもの頃、ことあるごとに、
「なんでー?」
と聞いていたような思いを考え続け、探求と生成をし、またその自分の結果に疑問を持ち続ければ、誰かがどう思おうと、自分の欲しい答えや結果が出て、ひいては誰かの役に立ったりするのかしらね。

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2011年10月 7日 (金)

“『マックリブ』を食べた。”

“『マックリブ』を食べた。”
ジューシーなポークパティと、おいしさをしっかり引き立てる香ばしいバーベキューソース、シャキシャキした新鮮なレタス、オニオン、スイートレモンソースが入った、ボリュームたっぷりの一品!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

だそうで。

何年か前の復刻だよね。前に食べた気がするし。

肉も豚なんですよねぇ。いつもと食感が違うからそりゃ分かるけど。

バーベキューソースが肉と絡んで美味しかったですよ。まぁ食べながら肉はズルズルはみ出していくんですが。(笑)

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2011年10月 6日 (木)

“『サッポロ 金のオフ』を飲んだ。”

『金のオフ』を飲みました。


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サッポロビール(株)では、新たに機能系新ジャンル「サッポロ 金のオフ」を2011年9月21日(水)より全国発売します。
 「サッポロ 金のオフ」は、欧州・北米・オーストラリア3大陸の厳選した麦芽をバランスよく配合することで、麦本来のうまみを味わえる糖質70%・プリン体50%オフの新ジャンルです。パッケージは緑色をベースに、サッポロのロゴは金色、商品名、特長は白色であしらい、品質感のあるデザインに仕上げました。またキャラクターは、女優の永作博美さんを起用し、機能系商品であることと同時に、おいしさにこだわった商品であることを訴求します。

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だそうで。

プリン体オフでもあったんだね。さりげなく。
ちょっとずつ“プリン体オフ”自体がメジャーになってきたのかしら。

そしてオフの比率も“麦とホップ”比。

“金のオフ”もそこそこ美味しかったですが、今日も“麦と東北ホップ”を飲んでました。

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2011年10月 5日 (水)

“【100分de名著 ブッダ 真理のことば】 : 『第4回 世界は空なり』を見た。”

100分de名著 ブッダ真理のことば 
第4回『世界は空なり』を見ました。


MC 堀尾 正明
アシスタント 瀧口 友里奈

講師 佐々木 閑

ゲスト 藤田一郎


以下、大体テキスト化↓


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


佐々木:「今日はですね、自分自身を変えることによってわかってくる、ものの見方 ということについてお話しします。   特に今日は“空(くう)”というものを取り上げてお話ししたいと思います。
    日本の仏教でいう“空(くう)”というのは、これを知ることによって、たとえば仏になるための道が開かれる。たいへん重大で 重い教えとして伝わっていますけども、ブッダの教えの中では そういうわけではないんです。 人が色々なカタチで世の中を正しく見ていく その見ていく一つのあり方として、物事を“空(くう)”だと見なさい。と。そういう教えなんですね。
    ですから今日はまぁ、ブッダの空の教えを説いてる たいへん代表的な例として 仏教世界で一番古いと言われている、スッタニパータというお経の中から お話を一つご紹介したいと思います。」


《ナレーション》
 それは モーガラージャという修行僧が どうしたら死を乗り越えられるかを 尋ねたときのブッダの言葉です。

“いつも物事の本質を
 考えるようにして
 「ここに自分というものがある」
 という思いを取り除き
 この世のものは空であると見よ
 そうすれば死の苦しみを
 越えることができるであろう”
      スッタニパータ 一一一九


佐々木:「これはやはり 自分というものが永遠に存在する 絶対的な存在物では無い ということです。 したがって、“私”といっても そこの中には“私”の本体はどこにも無い。前回も申しましたように、色んな要素が集まってできてるのが“私”ですから。その中には“私”というものは“空”つまり 空っぽだと。」

瀧口:「空っぽなんですか?」
佐々木:「空というのは、こういう物・形があるんだけども、その中に本質が無いということです。なぜ 実体が無いのかといえば、それは諸行無常。すべてのものはいつまでも同じ形で残るものは何一つ無い。いつも移り変わって別のものに変わっていくからだ。 ということです。」

瀧口:「それは“私”もずっと変わらないわけは無くて、世の中と一緒で 変わってしまうんだよ。っていう。」
佐々木:「そうです。“私”というものは、昔から一つの存在で続いてるように思いますけど、実際は瞬間瞬間に別のものに移り変わる。ただ記憶とかそういうものが、それを引きずって 同じものだと思わせている。」

堀尾:「もっと言えば、“私”というものは、“空”になってしまうものだ…。」
佐々木:「本質的に“空”だ。今の“私”も―――」
堀尾:「“空”だと」
佐々木:「―――いうことです。」

堀尾:「そうすると、死をも乗り越えられてしまうと――…」
佐々木:「これは 死の“苦しみ”ということです。不死になるという意味じゃありません。死の苦しみから 我々は逃れることができるだろう ということですね。」


《ナレーション》
 “空”とは、自分が見ているものは常に変化しているかりそめの世界だと思え というブッダの教えです。世の中を“空”と見るためには、客観的に物事を捉えることが大切だと ブッダは説きました。しかしそれは容易ではありません。   執着やうらみなど、さまざまな煩悩にとらわれているからです。   ではどうしたら良いのか。大事なのは心の持ち方だと ブッダは言います。


“ものごとは心に導かれ 心に仕え
 心によって作り出される
 もし人が汚れた心で話し
 行動するなら
 その人には苦しみが付き従う
 あたかも車輪が
 それを牽(ひ)く牛の足に付き従うように”
      真理のことば 一


佐々木:「つまり外から我々は色んなものを認識していますけど、それを正しく客観的にできればいいんですけど、それを必ず心が歪めて認識してしまう。 歪んだ認識が 結局我々に苦しみをもたらすのだ。 つまり歪んだ心でものを見ると、そのあとに必ず苦しみがくっついてきますよ と。そういうたとえなんですね。」

堀尾:「歪んだ心 というのは、具体的にどういう状態のことを歪んだ心となるんでしょうね」
佐々木:「それは外界からの認識に対して、たとえば執着とか無明とか」
堀尾:「うらみとか」
佐々木:「うらみとか。そういった煩悩が、一種のフィルターになって、物事を自分中心に作り上げてしまう それが私の実際の本当の世界だと思い込んでしまう。 これが物事が、心によって導かれてしまう ということなんですね。」

瀧口:「じゃあ心の持ちようで、全く見え方が決まってきてしまうということですか」
佐々木:「そうですね。ですから心の持ちようをどうするかによって我々は、我々の心に苦しみが生まれるか生まれないか、それは決まってくる ということですね。」

瀧口:「じゃその心を正しく持たなきゃいけないと思うんですけど、どうすれば心を鍛えることが出来るんですか?」
佐々木:「それは訓練です。」
瀧口:「訓練? それはどんな訓練があるんでしょう?」

佐々木:「もし私たちが 何の訓練も受けずに 生まれた赤ん坊のままで育っていたらどうなっていたか。何も 物を客観視する力が無く、ただ野生のままで育っていく。 しかし私たちはそれを学校教育だとか、色んなところで『これはこう見なさい』というふうに ものの見方をならって(習って? 倣って?)きます。 それが積み重なって本当のものの見方をようやく身につけていく。ということですね。」


《ナレーション》
 ブッダは、心の持ちようを訓練すれば自分勝手な思いにとらわれず 苦しみから逃れることができると説きました。それが世の中を“空”と見ること。つまり、客観的に真実を捉えるということなのです。
 そうしたブッダの考え方は、科学にも通じると佐々木さんは言います。

佐々木:「言ってみれば科学者というのは そういった ものの見方を徹底的に突き詰めていく 客観的にものを見るためのプロですね。それが科学と呼ばれる一つの世界を作ってるんだと思いますね。


◎ブッダの教えを科学的に見るとどうなのか ということで、大阪大学大学院教授・認知脳科学者 藤田一郎さんがスタジオへ。



堀尾:「佐々木さんもお若い頃は科学者を目指していらっしゃったとお伺いしましたが。」
佐々木:「お恥ずかしい話ですが。(苦笑) 色々あって今は仏教学に移りましたけど。まぁ、仏教やってるうちに、だんだん釈迦の教えに触れて それは私にとってたいへん驚きだったんですね。
    まさか科学の因果関係に基づく合理精神が、仏教という宗教の根底にある 初めて気がついたときは たいへんまぁ驚きだったわけです。で、今ではそういう2つの場所に両方いることが出来た ってのはたいへん幸せなことだと思ってます。」

堀尾:「ブッダの教えというのは非常に宗教的、心の問題のようなイメージがありますけど、藤田さん このブッダの教えと脳科学の共通点 これはどういうところにあるんでしょうか。」

藤田:「科学は何千年も真理を追究してきたですね。その殆どの部分は 物質世界を対象に提供してきたんですけども、やはりこの何世紀かですね、精神世界も対象にするようになってきたんです。それが脳科学だというふうに考えます。
    脳科学自体は19世紀ぐらいにはもう始まってるんですけども、心の出来事を脳の出来事で説明する、と、理解しようと、そういう学問はやはりもう最近と言っていいと思うんですけど。1980年代から本格化してきました。
    ですからもう2500年前にブッダが目指していたことを 今の科学で突き進んで行こうと、それが今の脳科学であると考えてもいいと思います。」



【ブッダの教えと脳科学 “客観的”とは何か?】

堀尾:「これまでブッダは人間の認識は主観にとらわれがちである という、もっと客観的に見ろということを説いてますけども、科学から見るとどういうことが言えるんでしょうか」

藤田:「具体的な例をご覧頂きたいと思います。 どういう絵に見えますか?」





瀧口:「うーん、これは三角形が2つ重なってますよね。」
堀尾:「あの黒い線が描かれた三角形の上に、白のイメージが。……そうですね。」

藤田:「これ、三角形、内側と外側では どちら側が明るいですか?」

瀧口:「明るい…あ、内側の…上側にある三角形の方が明るくて浮き上がって見えますね。」
藤田:「そうですね。ここが明るくてここが暗い。というのは輪郭が見えますか?線が」
堀尾:「見えますねぇ。」
瀧口:「はい 見えます。」

藤田:「これ、勿論ここには何も無いわけです。色も線も無いわけです。この中、白く塗ってるわけじゃありません。」




藤田:「これはあくまでも、2人の心の中にだけある輪郭でして、“主観的輪郭”といいます。これはどなたに見て頂いても見えるんです。 ここにあるものと、目に映ってるものと、私の脳 みなさんの心の中に浮かんできたものの間には違いがあるんですね。ズレがあります。」

瀧口:「じゃあこれは間違ったものを私たちは見ちゃってる っていうことになりますか?」

藤田:「ここに無いものが見える という意味では間違ってるということも言えるんですけど、これは脳がやるべき仕事を今やってるからこれが見えてるんだと。そういうことを示してるんだというふうに考えています。で、やるべき仕事。この場合何かというと、足りない情報を補う・補完という そういう仕事なんです。」

堀尾:「脳はもともとそういう補完する能力があるということ―――。」
藤田:「そうなんです。普段の生活の中では どういうことに役に立ってるか ということなんですけども、まずですね、この写真を見て頂きたいんです。これ なんだと思いますか?」

瀧口:「あれ?なんですかこれは」
堀尾:「カマキリでしょう」
瀧口:「カマキリですか!?」




藤田:「これはハナカマキリという、マレーシアにいるカマキリの一種なんですけども、巧みに花びらに擬態することが出来る。化けることができる――その様子をちょっと見てみますと、これなんですけど どこにいるか分かりますか?」




堀尾・瀧口:「「えぇ~~~っ!?」」

堀尾:「全く分からないです。」
瀧口:「そうですね(笑)」

(写真中央あたりに擬態しているハナカマキリがいる。)

藤田:「ところがですね、これ こんなふうにステキに見えるのは、私たちの脳が働いてるからこういうふうに見えるんですね。これ、あの実は色を明るさに基づいて 輪郭をコンピューターに抽出させます。そうしますとこうなるんですね。
    これ、見てお分かりのように カマキリの胴体と首が分かれてしまってます。頭もよく分かりません。これの花びらなどは輪郭がうまく抽出できてませんね。」

堀尾:「花びら自体も分かりにくくなってると」

藤田:「分かりにくくなってますね。これは言ってみればですね、私たちの目の奥にある 光を感じる網膜が 捉えてる像に非常に近いんです。もちろんこれに色がついてるんですけど 網膜の場合には、それでもそこから抽出できる、最大限の情報というのはこのくらいのものなんですね。」

《ナレーション》
 普段、私たちの目の奥にある網膜がとらえるのは こうした不完全な輪郭情報です。しかし脳が記憶などから情報を補うことで 私たちは この写真のように世界を見ることが出来るのです。


堀尾:「ということは、網膜に映る世界と、脳が解釈してる世界が違うということですよね。」

藤田:「そうですね。一番分かり易い例えはですね、こういうテーブルでもそうですが、お皿でも、世の中にまんまるな物ってたくさんありますよね。
    でも、まんまるなお皿や まんまるなテーブルが、私たちの網膜の上でまんまるに映るときってどんなときですか?」

藤田:「まるがまるとして目に映るのは、真上から見るときだけですよね。そうですよね。
    そういうとき、滅多に無いです。私たちの目に映ってるものはいつだって、本物の物体の像とは違ったものが映っている。殆どの場合は。   そういう意味では、脳が解釈して自覚したり認識したりすることに結びついてる結果というのは、網膜に映ってるよりも客観的であるかもしれない。」

堀尾:「先生たとえば、これは上からこうやって見たら丸いから、座って見ても過去に上から見た経験があるから っていうから丸く見える っていうものでもないんですか?」

藤田:「でもさきほど話題になってましたように、最初にこのカマキリを見てなかったら この花の写真にカマキリいるなんて分からなかった。 ということは最初にカマキリを見れば、私たちがその経験を積んだことで見えることになると。 ですから物がどう見えるかではなくて、そこに何があるかという認識のレベルになると。 すごく訓練であるとか 経験であるとかいうのは大きな役割を持ってくるわけですね。」

佐々木:「たとえば仏教ですと、修行によって私たちは間違った世界観をより客観的に正しく見なければいけないと言うんですが。」

藤田:「今は私が専門にしてるということで、視角を例にとってるわけですけども、もっと感情とか、何かの出来事に感情がものすごく結びついてると、『幸せだった』『あれは良かった』『我々は非常に悔しい思いをした』『ヤツにはうらみがある』 と。そういうようなことはちょっとレベルの違った、脳の中の違った場所で 処理されていまして。
    そこでは、僕はものを見ることよりは、もう少し、意識的なコントロールができる というふうに思います。それは自分自身の経験としてもそうですし、脳科学としてもそういう知見というのはかなりあると思うんですね。」


《ナレーション》
 脳科学の観点では、物事を客観的に見るには経験が大事だと言います。一方ブッダは物事を客観的に見るには心のコントロール つまり精神を集中させることが必要だと説きました。


【精神集中は何をもたらすか?】

堀尾:「ブッダは物事を客観的にとらえるためには、瞑想しろ 精神を集中しろと、いうふうに言ってますね。」
瀧口:「でも客観的にとらえるために、どうして瞑想が必要になってくるんですか?」

佐々木:「瞑想というと宗教的な感じがしますが、精神集中というと まぁ、色んなことに必要な精神のはたらきですわね。あの 集中した精神というのは、特別な力を持ってると思います。 仏教というのは その集中した精神を使って自分の心の中を観察して、それを変えようとする。」

堀尾:「藤田さん、この瞑想については 脳科学的にはどういうふうにお考えになりますか?」
藤田:「たとえば瀧口さん、大学で勉強していて、外で工事がガンガンと始まると。」
瀧口:「よくあります そういうこと。」
藤田:「ありますか そういうこと。」
瀧口:「もう気が散って、全然集中できなくなっちゃいますね。」

藤田:「やっぱり私たちの脳っていうのは 自分の周りの世界で変化が起きたことを検出することが大事な仕事ですので、そういうものがあったら当然 そちらに注意が向くんですね。 だけども、それを上手に一つずつ遮断していくと。
    たとえば、目を閉じて、他の感覚だけで食べ物の味を知ろうとか。目だけではなく 耳も閉じる ビールの泡の音も聞こえない。そうするとビールはどんな味になるのか。鼻もつまんでみる。
    一つずつ感覚を遮断していけば、それまで当たり前と思ってたものが 当たり前でないものに変わっていくわけですね。 最後には全て、外からの情報は来ない状態になって、で、そこで、何かを考えるわけですよね。瞑想というのはそこから先に心の中にあるものを整理していくわけですね。」
佐々木:「そうですね。」

瀧口:「つまり集中ということは 一つ一つ感覚を遮断していって こう、限定的にしていくってことが、集中して瞑想する っていうことに繋がるんですか。」

佐々木:「一つの対象を徹底的に観察して理解するためには、そうせざるを得ないでしょう。ほかの余計な情報は それを妨げる原因になりますからね。」


《ナレーション》
 人は時として苦しみや悲しみなどの感情に溺れてしまいます。 そうしたときに正しい判断が出来なくなり、自分を追い詰めてしまうことがあります。そんなときこそ自分の状況を客観的に把握し、生き方を変える勇気が大切になります。
 ブッダは苦しみから逃れるためには 強い意思が必要だと説いたのです。


堀尾:「あの、今の時代、非常に不透明な日本、この、どうして自分が生きてるのかという 意味を見出せない若者もいればね、一方でこの大震災が起きて、大切な肉親を失って、ほんとに自分はこれからどうやって生きていこう っていう苦しみにもがいてる方もいらっしゃる。
    そういう中でね、このブッダの教えが、どういうふうにしてそういう方たちのために活きていくか というのは佐々木さんどうでしょうか」

佐々木:「私たちに必要なのは 世の中のあり方をしっかりと自分の目で確認して見ること、そして正しい判断を下すこと。これがたいへん強く求められてる時代だと思います。 ですからブッダは一人一人のために教えを説きましたが、それは今の日本という国全体にしても たいへん意味のある、役に立つ教えだと思ってます。
    ですからブッダの教えを一つ一つゆっくりと噛みしめて、それが意味しているもの 自分たちの中へ取り込むことで 自分の生き方を変えることができるかもしれない。
    そういう意味ではみなさん一人一人がブッダの教えをよく理解して頂く、そして生きる杖にして頂きたいと思ってます。

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎


正直、脳科学の見地(というか藤田さんの解釈)が加わったことにより、ますます意味が理解できなくなってしまったんですが。

心の問題から脳のほうにいったのなら、身体的な反応や対処とかももっと踏み込んであっても良かったんじゃないかと思うんですけどね。

たとえば、過去の経験から見たものを記憶から補完するってこととかね。
あぁ、あとは佐々木さんが言われていた、『学校などでものの見方をならって(これどっちでも言えますよね、個人の対処としては。“習う”も“倣う”も)』っていうのがありましたけど、そもそもその ならったこと自体が過去の記憶による補完されたものの見方で、それが正しくなかった っていうこともあり得るワケですよね。

ブッダの教えにすら執着するな(前回より)というように。
…まぁ、こういうのも理解と解釈を重ねていって客観をすることになるんでしょうか。

網膜に映るものと、脳が解釈してるものがある っていうその違いについては面白かったですが。

瞑想については何か煮え切らない感じ…。
外界からの感覚を意図して閉ざしても、脳内ではゴチャゴチャと雑念が浮かんでくる場合のことは触れてなかったような。

しかし…なんていうか…、
最後の堀尾さんのフリにあるように、その不透明で各自の持つ不安に対しての処方箋みたいなものは何か? みたいなものを最後に佐々木さんから欲しかったんですが、

“世の中のあり方をしっかりと自分の目で確認して見ること、そして正しい判断を下すこと。これがたいへん強く求められてる時代だと思います。”

これだとそれこそ各個人の、
起きたことは一つであっても、解釈は人によって異なるように各個人の解釈に委ねられ、自分で希望を見つけていくものだ。と?
と言うならばどうしても過去の経験と現在の状況を自分の目で見ると憂うより他ならないんですよね…。

これまでもアスボムッレ・スマナサーラ氏の本を読んできたりしましたので、仏教に関しては大体言わんとしてることは分からなくも無いんですが、それを踏まえて、もっと得たいものがあったんですがちょっと消化不良な感じ。

今のところだと 諦観が結論に感じてしまうし。

ニーチェの永遠回帰も含めてもね。

うーん。第2回、3回は面白かったかもね。


ブログ内リンク:“【100分de名著 ブッダ 真理のことば】 : 『第3回 執着を捨てる』を見た。”


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2011年10月 4日 (火)

“『バクマン。 15巻』読了。”

バクマン。 15 (ジャンプコミックス) (15巻)』を読みました。

七峰くんとの最後の戦いと、中井さんの末路と、PCPの模倣犯など。
展開が早い。


七峰くんに関しては、非常に勿体ない最後だったなー。亜城木に執着しすぎてたというか。
ライバル視するだけならそれはそれで良かったのに、あまりにも固執しすぎてたよね。
人気を取るために死力を尽くした感じで、何が描きたかったのかがよくわからないよね。

前巻のレビューにも書いたけど、七峰くんの手法自体は好きなんだけどね。

で、これから新たに出直すみたいな感じで七峰くん編が終わってるけど、最近のジャンプではあまり変わってないような印象…。


中井さんもなー。
作中セリフにあった通り、新妻エイジのところに居た時には そんなに変な印象は無かったのにな。
蒼樹さんがどうこうというか、蒼樹さんと中井さんがコンビ組んで連載してる時にちゃんと中井さん自身が自分の意思を作品に示さなかったのが、後悔のしこりみたいなもので残ってるんじゃなかろうか。
一緒に連載できるだけで良いと思ってただけで。

女性として魅力的だとかがどうこうよりも、仕事に意見するのを遠慮してたのがそもそもだったというかー…。

平丸さんに関してはさすがです。(笑)
ただ、これから平丸さんのシーンに中井さんが登場するとなるとまた大変だろうなと思いますが。(吉田氏が。w)


そのあとで、亜城木の2人の同窓会の話があるけど、“脇目も振らずに一生懸命やってきた”んだろうけど、同じく脇目も振らずに一生懸命やってた中井さんが居て、報われずにくすんで、腐ってるような人もいるから、経緯も結果も関係無いよなぁ。
嫉妬や羨望も、解消するのは自己を満たすことのみしか他ならないでしょうし。


PCP模倣犯の話は、2回されて頭に来てネタにする ってのは流石だと思ったけど、1週くらい休めばいいのに…。(笑)

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2011年10月 3日 (月)

“【100分de名著 ブッダ 真理のことば】 : 『第3回 執着を捨てる』を見た。”

100分de名著 ブッダ真理のことば 
第3回『執着を捨てる』を見ました。


MC 堀尾 正明
アシスタント 瀧口 友里奈

講師 佐々木 閑


以下、大体テキスト化↓


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

佐々木:「前回は“うらみ”という一つの煩悩でしたけども 今日はもう一つの大きな煩悩である、執着というものについて お話をしたいと思います。」

堀尾:「物とか、人とか 『自分のものだ』って思う瞬間 って多いですよね。
    これはいいことなのか 悪いことなのか ってことですよ。」

佐々木:「執着といっても たとえばですね、ブッダのことばを信じて、その道を進むというのも、ある面から見たら執着ですね。
    しかし世の中には愚かな執着があって、それが苦しみを生み出してしまう。そういうものがあるんですね。今回のブッダの言葉にしても、真理のことばの中に 執着を示す物語があるので ご紹介します。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

美しさに執着していた王妃に ブッダはそれよりさらに美しい女性の幻影を見せるが、その幻影が年を重ね 老いて白骨化していった。
ブッダは、 人間の肉体は永遠に続くものではない。だから美しさに執着しても、意味が無いと 王妃に悟らせた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


堀尾:「そうはいっても女性は年齢を重ねても美しさにこだわるんじゃないですか?」
瀧口:「そうですよね。女性としては美しさは永遠のあこがれですから。」

堀尾:「ただやはり、確実に年老いて、最後は死ぬという現実は紛れもないわけですからね。」
佐々木:「今の場合、王妃は美しさというものに執着したわけです。しかしその執着の美しさというものは、前回も申しましたように“諸行無常(世の中の全てのものは移り変わっていく)”ですから、いつまでも続くものではない。 いつまでも続かないものに、いつまでも続いてほしいとして執着した。それが現実との間に全然違うギャップを生み出してしまう。それが苦しみの元ですね。
    逆に言いますと、美しさというものは 今のVTRのように 必ず衰えていくものである ということが、最初から理解できていたならば、その美しさに強く執着することは無かったハズです。そこに苦しみが生まれるか、それか苦しみが無いか。その違いが表われてくるわけですね。」


【苦しみを生む執着とは?】

“貪欲(とんよく)に染まった人は
 流れのままに押し流されていく
 それはまるで
 蜘蛛が自分で作り出した糸の上を
 進んでいくようなものだ
 一方賢者は
 その貪欲を断ち切り
 執着することなく
 一切の苦しみを捨てて
 進んでいくのである”
      真理のことば 三四七


佐々木:「貪欲――…執着に染まった人は ものの見方が一つに染まってしまいます。例えば今の話のように、美しさが私の全てだ と思った人は美しさだけしか目に入らなくなってる。これが『流れのままに押し流されていく』。 自分が執着したことに、自分が流されていくわけです。自分がつくった道を 自分が流れていく。これが、蜘蛛が自分で作った巣の上 そこしか歩けなくなってしまう という喩え。
    『一方賢者はその貪欲を断ち切り』そうすると、一つの道しか歩けなかった人が自由になって 貪欲から生まれてくる執着から生まれてくる苦しみを捨てることが出来る。そういう意味なんですね。   私たちは色んなことに執着しています。この執着がそれぞれ色んな苦しみを生み出している。それが、私たちの普通の生活だと言ってるわけですね。」


《ナレーション》
 執着は あることにとらわれるあまり、自分の人生を縛りつけてしまいます。執着することで選択肢を失い、自分自身を追い詰めてしまうのです。 ブッダはそうした執着は 自分の周りにいる人にまで及ぶといいます。


佐々木:「その執着にもう一歩踏み込んだ 真理のことばがあるのでご紹介します。」

“愚かな人は
 「私には息子がいる」
 「私には財産がある」などといって
 それで思い悩むが
 自分自身がそもそも
 自分のものではない
 ましてやどうして
 息子が自分のものであろうか
 財産が自分のものであったりしようか”
      真理のことば 六二


佐々木:「これは『私に息子がいる』という気持ちは問題ないんです。これは当たり前のことです。『私には財産がある』これも当然のことです。しかしながら問題は、『私には息子がいる』だからこの息子は私のものだ …というふうに所有の気持ちですね が起こると、息子の人生にまで執着が起こってくるわけです。
    ですからこの子どもがたとえば、自分のあとを継いでほしいと思って、自分のあとを継いでくれと頼んでいるのに 息子は『私は自分の道をいきます』と いってしまうと、何が起こるかというと、非常に辛い苦しみと、そして場合によってはその息子に対する憎しみが起こります。
    それは何故かというと、もともと私と息子は別個の人格で、一人の独立した人間があるのに、それを間違って 息子は自分の所有物だから 自分の好きなように動かせるんだ・生きるべきだ というふうに 自分の思い通りに生きるべきだと考える、その考えに間違いがある。これは執着が生み出す苦しみ。財産についてもそうです。
    そういうことで我々は、自我のまわりに自分の所有する世界というのを無理矢理つくって、そしてそれを そのまま抱えて生きていこうとするから苦しみが起こる。という そういう話ですね。」


堀尾:「しかし親になったらこうしてほしいとか………塾に通わせ …って気持ちが」

佐々木:「将来この子(自分の子ども)は、自分一人で生きていくのであって、人生にまでは干渉しない という思いが必要です。 それで授かった子どもですから。大事に育てて大人にするのが親の義務。しかしその義務を越えた先にあるのが子どもの人生だ。こう思うなら さっき言ったような苦しみは起こらないですね。」


《ナレーション》
 子どもまで自分の所有物だと思い込み、自分の思い通りにしようとする。執着は自分勝手な思い込みを生むと ブッダは考えました。そうした執着にとらわれないためには 自分自身を変えるしかないとブッダは説きます。

堀尾:「『自分自身がそもそも自分のものではない』というところをもう少し解説して…」

佐々木:「それはですね、自分自身というものが最初からあって、不変でいつまでも続くものであるならば それは素晴らしいことかもしれませんが、“私”というものは、今いる“私”も、それからその先にいる“私”、これはみんな別ものです。どんどん変わっていってしまう。ただ、様々な要素が寄り集まったところに、今“私”というものが仮に存在してるだけであって、『これが私です』という実態は何も無いんだ と。それなのに“私”というものにしがみつくと、これも同じように苦しみになる。」


《ナレーション》
 人間を構成する要素である肉体は 永遠に続くものではなく、いつかは衰えていきます。そのため、自分の姿に執着しても意味がありません。 ただし、心は衰えることがなく 鍛えることが出来る と ブッダは説きます。執着にとらわれない柔軟な意思を持ち、将来の道筋を決めていくことが大切なのだとブッダは考えたのです。


佐々木:「あくまで“私”は要素の集まりなんだけど、この中に今の私を自分が変えていくことによって、将来の道筋を決めていく という意思作用。それも、その“私”の作用の中にあるわけです。だからこそ仏教は宿命論ではなくて、今の自分の努力が、この先の自分を決めていく という 修行の宗教になるわけです。」



【意思を持って生きるとは?】

佐々木:「ブッダは執着というものを非常にこう よくないことだと。煩悩の中でも特に大きな煩悩だと。したがって驚くべきことに ブッダは、自分の教えにさえも終着するな というふうに。 それを示す『いかだのたとえ』という話がマッジマニカーヤというお経にありますので、ちょっと紙芝居でご説明します。」


佐々木:「ある旅人がいまして、向こうの 遠くの町まで出掛けていく その旅に出たんですが、その途中に1本の大きな川があって それはとても歩いて渡れないような川なんですね。



    そこでこの旅人はどうしたかというと、何とか川を渡ろうと思って 先ず そのへんの木を切って、渡るための船をつくる。この場合はいかだを作ったわけです。





    そしてそのいかだに乗って、まぁなんとかこの川を渡りきって、

    そしてそこでですね、ブッダは問いかけるわけです。『さぁみんなどう思うかね。この旅人は、もう川を渡りきってしまった。この大きないかだを、そのあとも頭に乗せて目的の町まで運んでいくと思うかね』こう尋ねるわけです。 いかがですか?」




瀧口:「そうですねー……これは置いていきますね。」
堀尾:「そうですか。僕 持って行きますよ。」
瀧口:「え!? 持っていきますか!? ほんとですか」
堀尾:「せっかく一生懸命つくったんだし、例えば 雨傘・日傘にもなるし、オオカミとか来たら…」

瀧口:「でも、堀尾さん、重たいですよ。頭の上に乗せちゃうんですから。」
堀尾:「もったいないよ。」

佐々木:「意見が分かれましたね。(笑)
    たとえばこれ、仰ったとおり重いです。それでこれを担いでいく前に、もちろん体力消耗して 倒れてしまったら一番おおもとの目的、つまり『向こうの町まで行く』という目的が、それでもう挫折してしまう。つまり 自分が持っている、大事なものだと これが大切だと思っている いかだの所為で、自分の人生が挫折してしまうということもありうる ということです。

    ここで言う“いかだ”というのは ブッダの教えを喩えています。この川は向こう岸に渡る つまり 彼岸に渡る。これは悟りの世界に渡ることを意味していますから、そのためのいかだですから これはブッダの教えです。」

堀尾:「ブッダの教えを置いていきなさい ってことを言ってるんですか」
佐々木:「渡ってしまったら もう必要ない ということです。」

堀尾:「いかだを自分で作って それを使って向こう岸に渡れたわけです。成功したわけですよね。成功体験をもある意味 あなた自身にとっては無意味なものになってしまうよ と。」

佐々木:「そういうことです。その場その場において、一番大切なものを選びとっていくべきであって、過去にそれが自分にとって大事だったとか、それでうまくいったとかいうものは 今の自分にとっては何の意味も無いです。」





佐々木:「それではこの話と関連しまして、ブッダが亡くなる直前に 遺言として語った言葉がありますので、それをちょっとご紹介します。」

《ナレーション》
 45年間伝道につとめ、80歳となったブッダ。ある村で重い病に侵されてしまいました。
病に苦しむブッダを見て、弟子たちは ブッダが亡くなったら あとは誰を頼りにしたらいいかと心配しました。それに気付いたブッダは弟子たちにこう語りました。

“自らを灯明(とうみょう)とし
 自らをたよりとして
 他をたよりとせず
 法を灯明とし
 法をたよりとして
 他のものをたよりとせず
 生きよ”
     大パリニッドナ経

 これはブッダが弟子たちに説いた 最後の教えで“自灯明 法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)”と呼ばれています。

佐々木:「この教えはですね、ブッダの最後の旅を語る大パリニッドナ経というお経の中に出てくるもので この“自灯明 法灯明”というのは有名なブッダの遺言として、今でも伝えられているものです。
    その意図がわかるものがありますので、それをご紹介します。」

“自分の救済者は自分自身である
 他の誰が救ってくれようか
 自分を正しく制御してはじめて
 人は得難い救済者を
 手に入れるのだ”
      真理のことば 一六〇


佐々木:「さきほど“自灯明 法灯明”という言葉が出ましたが これは自分を灯明にせよ 法を灯明にせよ、つまり 灯明というのは自分が亡くなったあとに誰を頼りにしたらいいか、何を頼りにしたらいいか というランプですね。暗闇を歩く。
    で、それは自分であり、法である といいます。自分というのは修行者本人。そして法というのは これはブッダが説き残した教えです。つまり自分でがんばっていけ と、こう言ってるわけです。それがこの詩の意味にも表われてきます。『自分の救済者は自分自身である』その通りです。で、『他の誰が救ってくれようか~手に入れるのだ』。 自分の心をきちんと正しい方向に向けていくことによって、はじめて自分自身を苦しみから救うことができる。」

堀尾:「仏教というと 彼岸があったら、彼岸に辿り着くために ある意味このブッダも含めて そういう人たちの教えにすがりついて、それに頼っていく というようなイメージがあったんですけど、最終的に自分の救済者は自分自身なんだよ ということを きちっと教えてるわけですね。」

“自己の救済者は自分自身”


《ナレーション》
 自分自身の意思を頼りにしていきなさい。それがブッダが最後に伝えたかったことなのです。
 そのとき重要なのは、自分の心を正しい方向に向けていくために 物事の原因と結果を突き詰めることだとブッダは説きました。 たとえば執着で苦しんでるときには そお苦しみの原因を見つけ、無意味な価値観に縛られないよう 心を整理することが大事だと諭したのです。

【執着を捨てるには?】

佐々木:「そこで一番大切なのが、ブッダが説いた 世の中は全て原因と結果で動いている。その法則性で世の中を見ていくことが、一番大切だと言います。そしてそれは普遍的なものの真実のあり方ですから、だれの視点が正しいとか彼の視点が正しいとかではなくて、原因・結果に基づいて 全てがきちっと合理的に理解できる その世界こそが この世界であると。」

堀尾:「つまり自分自身で考え抜いていくことで、執着というのをなくすことはできるということなんですね。」

佐々木:「そうですね。つまりこの世の中を正しく見る。正しく見るためには考えなければなりません。よく考えて そして正しく見る。そうすると世の中は 原因と結果の因果関係によって粛々と動いてるのが分かる。
    その中に自分勝手な世界を作って、ものに執着をするということが、これは苦を生み出すんですが、それが所詮は意味の無いことである。無意味なことである ということがわかったそのときに、その執着から生み出される苦しみも消える と、こういう構造になっているわけです。」

堀尾:「自分というものは ある意味 無いに等しい存在なんだっていうことを自覚する っていう…」
佐々木:「えぇ ただし それも先ほど申しましたように、意思作用が必要ですから。何も無い。私は無だ。 っていうわけにはいかないです。今の私は きちっとこの方向を向くんだっていう意思が必要です。
    その意思に従って 正しい方向を向いていくと、それが執着やその他の煩悩を消す道へとつながって、それが ひいては苦しみの消滅に繋がるということで。   仏教では自分の今の意思というものを とても大切にしてるんです。」

堀尾:「なるほど。だってね、執着全部捨てろ って言ったら 例えばほんとに向上心とか 人への情とか、それももしかしたら全部 執着かもしれない っていうふうで、捨て去らなければいけない、そんな思いにもとらわれるんですけど、やっぱり苦しみを伴わないものはそれはいいわけですね。」

佐々木:「そのときそのときで、今の自分にとって苦しみのもとになる執着はなんだ っていうことを考え続けなければならん っていうことですね。」
瀧口:「その 見詰め直すっていう作業が 大切っていうことになってくるんですね。」


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

まぁ、大体は前回の“うらみ”の回についてと共通することではあると思うんですよ。どちらかというとこの第3回のほうが、前回より前の立ち位置にあるような感じでね。

気になったのは先ずこれ、
「あくまで“私”は要素の集まりなんだけど、この中に今の私を自分が変えていくことによって、将来の道筋を決めていく という意思作用。それも、その“私”の作用の中にあるわけです。だからこそ仏教は宿命論ではなくて、今の自分の努力が、この先の自分を決めていく という 修行の宗教になるわけです。」

結局この、唯一無二だと思ってる“私”というものは色んな因果関係によって存在しているもので、別個であるにも関わらず、“私”という個は“個”によってのみ形成されてるワケでは無いということなんでしょうか。
だから“私”は“私”のものでは無い。と。

でも、じゃあ意思作用というものはいったいどういうものなんだろうか。
無常の中で流れていく“私”というのは移り変わっていく時代や社会(年齢によって変わる人間関係)の波の中で摩擦がおこったりして削られたり、また付着したりして(海岸の貝殻や石のように)、“私”というものは形を変えて、意思も形成されていくということで。
じゃあ、その意思作用というのは、“私”であって、“私”では無いのでは。

結局どの範囲が(この表現の仕方も正しいのか分かりませんが)“私”なのか。

色んな要素によって構築される“私”というものは、普遍であって不変では無いということ。
そのとき大切だったおもちゃも、年齢を重ねたら要らなくなったり。
そのとき大切だった友人も、年齢を重ねたら合わなくなって、会わなくなったり。
ずっと続く人間関係というのも、過去の相手を求めるとそれは執着であって、変わっていくことを受け容れ合う関係は続いていくものなのかしらね。

で、『宿命論では無い』というなら、全ての出来事というのは決まってるわけでは無いというコトなのね。

それではネガティブな出来事はどう捉えたら良いのかしら。

いかだを置いていく。ブッダの教えさえも捨てる。成功体験すらも捨てる。
というのがあったけど、それもだけど、
失敗とか挫折とか、心に傷を負う体験とかを捨てる っていうことも大切になるわけで。
『今の自分にとって苦しみの元となる執着を捨てる』ということは。

どう捨てればいいんでしょうね。
事件・事故により傷ついたコトというのは。いわゆるトラウマみたいなものは。
そんなもん、執着してたら苦しいのは分かってることなのに執着してしまう …ってういうね。
前回の“うらみ”の感想でも書きましたけど。
ある意味、自分に対しての“うらみ”。取り返しのつかない悔い。がね。

ま、けど、ラストに佐々木先生の、
「(略)その中に自分勝手な世界を作って、ものに執着をするということが、これは苦を生み出すんですが、それが所詮は意味の無いことである。無意味なことである ということがわかったそのときに、その執着から生み出される苦しみも消える と、こういう構造になっているわけです」
という発言がありましたけど。
トラウマ自体が『今の“私”』には無意味であるということなのかな。

その発言に引き続き、堀尾さんが引き出して下さった、
『“私は無だ”っていうわけにはいかないです』
というのは大きいですね。
これは過去、アルボムッレ・スマナサーラ氏の本などを読んでても、なかなか掴めなくてそう思ってましたから。

“私”というものは“無”である。と。

けど、違う。と。

集合的な要素による、けど個 同士は別個である“私”という生き物。
それが苦しんで、生きるのを阻むものがあれば執着というものであり、それは捨て去るべきと。

常に自分の感情(苦しみ)を見張ることが大切。ということに終始するのでしょうか。


ブログ内リンク:“【100分de名著 ブッダ 真理のことば】 : 『第2回 うらみから離れる』を見た。”

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2011年10月 2日 (日)

“『淀川ベルトコンベア・ガール 3集』読了。”

淀川ベルトコンベア・ガール 3 (ビッグ コミックス) (3集)』を読みました。

最終巻。
エリカは変わらずイヤガラセをしてきたものの、那子とぶつかって本音が見えたり。
また勤める工場は経営危機を迎えたり。。。


天川エリカの那子への嫉妬に関してはよく分からない部分もあるんですが…。
本音でぶつかってくれない那子への苛立ちだったんかなぁ。
ただ、取り巻き…つかその、女友達とエリカの関係に関しては、そういう人間関係の繋がりって、あるよなぁ、って思ったり。


那子自身の今の学校をやめて、工場をやめて…っていう覚悟はすごいというか。
必要の無いものに改めて気付いて、それを切り捨てる っていうのはなかなか出来ないからねぇ。


さて、あとがきを読んで。
1巻の感想にも書いたかもしれないけど、この作品自体が今の時代を投影してる内容で。

“勝てなくても負けの無い着地点”

が、作品としての落ち着くところだったそうですが、たしかに前向きな、主人公かよちゃんが未来へ希望を持って歩んでいく…というエンディングになってました。


“これからも何も変わらない。”

変わらない。もしくは、悪くなっていく。 少なくとも、現状より より良くなるようなものは、この現代には見出せない。

けど、このラスト。
かよちゃんの将来もだけど、エリカからの服のオーダーとかも、フツーは無根拠にイヤガラセをするような・暇つぶしにイヤガラセをするようなヤツらと関わりたくも無いハズだし、エリカもそんな簡単に性格が変わるワケは無いんだ。って思うのです。
(かよちゃんの向き合い方に関しては、まぁ、あるかな って思えるけど。純粋で鈍感っていう感じもあるから。)

そしてかよちゃんの技術。何か秀でた能力があって、それを那子とかがキッカケを作ってくれた。
これも、家系からなのか、そういう技術を持ってたことが、かよちゃんの希望になったんだと思う。





こういう、現実に根ざした作品で、希望を描かれるコトって たいへん難しいことだと思うんですよ。
ただ、かよちゃんの核心は描かれていたのではないでしょうか。

“自分とうまく繋がってないときなんだ―――…”

かよちゃんも那子も、これに最終的に辿り着けたエンディングだったんじゃないでしょうか。


この作品を描かれた村上かつら先生もすごいですわ。
「閉塞感」を包んでいた現代から 震災後の混乱のある現在に、小さな希望を提示されたこと。
新たに踏み出したキャラクターの勇気とともに。

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著者:村上 かつら
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2011年10月 1日 (土)

“『セックスなんか興味ない 3集』読了。”

セックスなんか興味ない 3 (IKKI COMIX) (3巻)』を読みました。

セックスにまつわるオムニバス第3集。
各話同士のリンクも多く見られるように。


全力で“好き”をぶつけてくる男(“私”はそこまで好きじゃない)と、嫌われないように優しくしようとする上司(“私”があこがれてきた人) の、違いを表した episode 18。
(上司が優しくしたいのは自分自身なのでね。)

いつまでも“安心”が享受されてるが故に、遊びに走ってしまって。隔たりが生まれてしまった episode 23。
「怒ってるんだ へー 良かったね。」
それは良いこと。ね。

セフレだと自覚して優しさに溺れる episode 24。
体だけ重ねあって 寂しさ紛らわせたり、快感に酔っていれば都合が良いからただ優しさを共有できてただけ。
最後には“都合”が変わって 優しさが共有できなくなってしまっただけ。

いつまでもトラウマから解放されない episode 20。
哲学を得て 理論武装しても、結局自分に保守的な考えしか取り入れていなくて全然男性自身が“自由”になってない とゆー。


年を重ねた夫婦の愛情を示しあう episode 19。
けど、このepisode 19の夫婦に関してはセックスが必要無いくらいじゃないのかな。
ラストページにあった、
『いろんな形で、愛してるって 伝えあう』
が じゅうぶん出来てると思うもの。
『バッグのこと 覚えててくれたんだ』が一番なんか関係の密度(というか自然な愛情)が表われてると思うの。


“性”に対して 初めて自覚する episode 21、22。
これは単純に、男の子や女の子が自覚する年齢がそれぞれそういうもので、その自覚しったもの同士が、年齢は違うけど共通して触れ合ったというか。
女の子はやっぱり体のことがあるからどうしても勉強して(?)いかざるをえないし。
逆に男の子の方は…本編中で友人・坂口が言ってるように、そして episode 19 の作中のセリフを借りれば、
『ポルノから学ぶしかない現状』 P.050
という、入り口が エロ っていう。

まー、実際、エロいとゆーか、性的な? なんかそういう会話みたいなものは、episode 19 然りでもあるけど、女性同士の方が多いのよねー。年を重ねてもさー。


そしてこの巻の核となるのは、episode 17、25、26。
ホントはヨメとラブラブな単調な日常だけで十分だったダンナ。
けど、子どもが入ってきてこれから“おとうさん・おかあさん”をこなしていく、望まない単調な日常。
まー、これは男性ならゆくゆく思うことなのかしら。始めは仕事から帰ったら玄関先まで「おかえり」を言ってくれたのに、時を経ると出迎えなし とかさ。

『毎日伝えられる 不幸のニュース~だけど今は、伝えられる全ての人が、どこかのあたしでありケンちゃんだ』P.022

そして身近に不幸(というか日常を脅かすような出来事?)が起きて。まぁ、結果的に何もなかったワケだけど。それは現実を引き締め、捉え見直すことになった。



ところで心理学的にはルーティンって大事だそうで。
変わらないものが続いている・続けている って大事というか。
(先日、大関に昇進した琴奨菊関も、イチロー選手の本を読んで、取り組み前に一つの同じ動きをしてたとか。)
(どうでもいいけどこの episode 25、26に出てくる2人の子どもの名前イチローだな…。表記はなぜか episode 25が一郎で、episode 26がイチローだけど。これは2人の視点が違うから異なる表記にしてるのかな。)


不確定な毎日で、今を変わらずに歩んでいけてる。


裏表紙もカバー裏と違ってて良いですな。

セックスなんか興味ない 3 (IKKI COMIX) Book セックスなんか興味ない 3 (IKKI COMIX)

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