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2009年1月14日 (水)

“声に出さない場合の自己対話”

コミュニケーションの中で語られる、世界を形作るもの。存在しているものの共通の認識。
~がある。~は何々である。
……―みたいなもの以外に属するものが“心”であると。
ヘビが『白い』。と言うコトと。ヘビが『かわいい』と言うコトと『こわい』と言うコトと。

けど、『かわいい』の中に『こわい』もあるし、『こわい』の中に『かわいい』もある。それはただヘビを見て“思った”人が“表現したことの一つ”に過ぎないだけ。
(爆笑問題のニッポンの教養。FILE007:哲学ということ。より)

言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ。と。
沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることがまず根底にあるんです。(吉本隆明:貧困と思想 P 22~P 23)

吉本氏の表現として『自己表出』と『指示表出』と言葉を分ける表現をされてますが…。

例えば、ヘビを『かわいい』と思ったとして(自己表出?)、で友人に『かわいいよね?』と言う(指示表出?)。で、

『ヘビをかわいいと思うなんてどうだろう。変に思われるかな。』と思い、ヘビって『“こわい”よねぇ』と言う。
また、言われた方は「そぉ?かわいくない?」と返したり、言った当人も「あ…やっぱり?私もかわいいと思ってたんだー」と言ったり。


もはやヘビが如何なるものかなんてどうでもよく、“私”が“友人”とどのような関係を得たいかというだけで。
“私”自身の本当の感性をそらして“友人”との良好な(?)関係を優先させたい思いの方が強い。

出ている言葉は少ないけれど、沈黙、非言語の状態で“私”がどれだけの自己問答を繰り返しているか。
そっちの葛藤のほうが純粋な“私”の“言葉”なのだろうか。

但し、その葛藤を“心のはたらき”とするのは…どうなんだろう、と思うのですが。

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